金子 みすゞの忌日と金子みすゞの小惑星について
金子 みすゞの忌日と金子みすゞの小惑星について
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金子みすゞ忌 / 童謡詩人、金子みすゞの1930(昭和5)年の忌日。西条八十から「若き童謡詩人中の巨星」と称えられたが、結婚後夫から詩作を禁じられ、夫から病をうつされた末、自ら命を絶った。(3月10日 今日は何の日~毎日が記念日~)
金子 みすゞ(かねこ みすず Misuzu Kaneko、1903年(明治36年)4月11日 – 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。本名、金子 テル(かねこ テル)。大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。 作品 / 代表作には「私と小鳥と鈴と」や「大漁」などがある。仙崎は古くから捕鯨で成り立っていた漁師の村であった。鯨に対する畏敬の念から鯨墓が存在する。金子みすゞは鯨の供養のために、鯨法会をする地域の慣わしに感銘し「鯨法会」という作品を書いている。自然とともに生き、小さないのちを慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしが、金子みすゞの詩集の原点とも言われ、「お魚」「大漁」などに繋がっている。 音楽化と詩の広まり / みすゞの詩は元々曲をつけられることを想定したものではなかったが、詩作への評価の広まりと共に、童謡・歌曲・合唱曲として中田喜直、池辺晋一郎、吉岡しげ美、 李政美、沢知恵、野田淳子、石若雅弥を初めとする作曲家や歌手によって広く作曲されている。西村直記、大西進のように、全ての詩に付曲した者もいる。2006年12月には「私と小鳥と鈴と」の詩に、作曲家の杉本竜一が曲を作り、テノール歌手新垣勉がアルバム「日本を歌う」内で発表している。この楽曲は、その年のNHK「みんなのうた」でも放送された。みすゞと同郷の歌手ちひろは、金子みすゞの詩の50編近くに作曲し歌っており、2004年から2010年の間に、1stCDアルバム『わたしと小鳥とすずと』、2nd『星とたんぽぽ』、3rd『大漁』、4th『花のたましい』、ベストアルバム『私と小鳥と鈴と』と『明るいほうへ』をリリースしている。(金子みすゞ – Wikipedia)
金子みすゞ(かねこみすず、100309 Misuzukaneko)は小惑星帯の小惑星。愛媛県久万高原町の久万高原天体観測館で中村彰正が発見した。大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人金子みすゞから命名された。(金子みすゞ (小惑星) – Wikipedia)
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加藤 雅夫 より 2018 年 7 月 30 日 07:00