大正11年 – 昭和天皇の カラマツ (北海道 北見市 常呂)

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大正11年 – 昭和天皇の カラマツ (北海道 北見市 常呂)
1922 – Larch of Emperor Showa (Kitami city Tokoro, Hokkaido)

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連載 地域再発見!

7月生まれ樹齢90年、今も常呂に

北見市常呂町岐阜に昭和天皇ゆかりの樹齢90年のカラマツがある。大正11年7月、皇太子時代の昭和天皇が来道記念として札幌市内の農場で自らの手で種をまき、その苗が3年後、岐阜に植樹された。当時、道内すべての小学校に5本ずつ配られたが、90年を経て確認されているのは留萌管内幌延町と北見市内のわずか6本。「誕生日のある木」は今も地域の誇りとして生き続けている。

昭和天皇ゆかりのカラマツ
皇太子時代 来道記念に種 3年後の苗が岐阜に植樹

ほとんどの野山の木の誕生日は分からず、分かるのはせいぜい樹齢程度。「誕生日の分かる木」とは人がかかわり、人の思い入れが強い木という意味。

この木があるのは国道238号と市道西5線交差点付近で、畑の一角。この場所は大正時代に岐阜尋常小学校があった場所で、大正14年に5本のカラマツの苗木が届けられ植樹された。残っているのはこのうちの1本。

樹高は12メートルで幹周りは約2メートル、風雪に耐え、校庭で遊ぶ子ども達を見守ってきたが、その後、学校の統廃合で子ども達は現在の錦水小学校に移り、跡地は民有地となった。

この老木が昭和天皇ゆかりの木であることは開基80年の岐阜部落史にわずか一行記されているが、地域の少数の人しか知らない。2年前、岐阜に住む常呂郷土研究同好会の男性(69)が亡父の遺品を整理をしていた際「昭和天皇ゆかりのカラマツ」という新聞記事(平成元年2月24日付)の切り抜きを見つけた。記事には幌延町の小学校跡地にカラマツが残されていると報じ、その台紙には亡父が手書きで「岐阜にもあり」と記し、「岐阜の誇り」としていたその遺志を強く感じたという。

男性は昨夏、このカラマツの“兄弟”に会いたいと幌延町へ。「今も5本とも元気にしていました。周囲の下草が刈られるなど、地元の人達に親しまれ、それがとてもうれしく感じました」と話す。「このカラマツは陛下からいただいた木というだけでなく、岐阜を襲った水害など地域の歴史をずっとそばで見続けてきた木。岐阜ばかりか、市民全員の誇りとして、木が枯れ倒れるまで見守りたい」と話している。 (澄)

連載 地域再発見! – 2011/04/09掲載 (北見市(常呂町)/本紙連載・話題) – 経済の伝書鳩
http://denshobato.com/

昭和天皇ゆかりのカラマツ… (上)

北見市常呂町 新たに9本の“兄弟”

北見市常呂町岐阜にある昭和天皇ゆかりの樹齢90年のカラマツに新たに“兄弟”9本があることが分かった。岐阜に住む常呂町郷土研究同好会の男性(70)が5月中旬に道内3ヵ所を訪れ、関係者からの聞き取りや石碑などで確認した。当初、留萌管内幌延町の5本と常呂の1本だけと思われていたが、今回の調査で道内5ヵ所に計15本が生き残っていることが確認された。

男性確認…全道で15本に
多くの兄弟達が残っていてうれしい

このカラマツは昭和天皇が皇太子時代の大正11年7月、地方視察の来道記念として札幌市内の農場で自らの手で種をまかれた。その3年後に苗木が全道すべての学校に「カラマツのように、すくすくと育ってほしい」との願いを込めて配られ、当時、常呂では岐阜尋常小学校の校庭の一角に植えられた。

新たに見つかったカラマツは、札幌市中央区の公務員宿舎敷地に植えられていた3本のほか、岩見沢市栗沢町の3本、空知管内長沼町の小学校跡地の3本が確認された。

いずれの地にも男性が訪れ、現在のカラマツの様子や写真を撮影した。また、現地で保全状況や石碑、標柱などで「皇太子殿下御手播落葉松」として、記録されていることを確認した。

発見のきっかけは昨年秋のある新聞記事。「昭和天皇お手播(ま)きカラマツ危機」の見出しを見つけた。記事には「老朽化した宿舎の敷地が払い下げされる可能性があり、由来を知る市民が署名活動を始めた」というもの。この記事を見た男性は署名活動を行うグループと連絡をとり、他の2ヵ所のカラマツの情報を得て、現地の確認調査を行った。

男性は「常呂の兄弟の木がこんなにも残されていたことはうれしい。カラマツは陛下からいただいた木で大切にしたい、という地元の人達の思いにも感激しました。今後も連絡を取り合い、カラマツの兄弟達を見守って行きたい」と話している。 (澄)

(掲載写真)
確認調査のきっかけとなった札幌市内のカラマツ
カラマツの由来を記した標柱(札幌市内)

昭和天皇ゆかりのカラマツ… (上) – 2012/05/29掲載 (北見市(常呂町)/話題) – 経済の伝書鳩
http://denshobato.com/

昭和天皇ゆかりのカラマツ… (下)

「昭和天皇御手播の松顕彰会」結成

昭和天皇が皇太子時代の大正11年7月、来道記念として札幌市内の農場で自らの手でカラマツの種をまかれてから、今年で90年を迎える。その1本が北見市常呂町岐阜にあり、常呂町郷土研究家の男性(70)は現存する昭和天皇ゆかりのカラマツを探し続けると同時に、松を愛する人達と「昭和天皇御手播の松顕彰会」を結成、後世に引き継ごうとしている。

常呂の男性が確認…全道で15本に
「松を後世に」…7月には現地顕彰90周年記念祝賀会も
「まだ知られぬ“兄弟達”探したい」

このカラマツは男性の地元を含め、道内5ヵ所に15本が現存する。各地で松を見守る5人が電話などで話し合い、28日に同顕彰会の結成を決めた。会長は最も熱心な男性が選ばれた。

会の結成に伴い、今年が種をまかれて90周年を迎えることから、7月14日に「現地顕彰90周年記念祝賀会」を岩見沢市内で開催することになり、思いが全道に広がっている。

男性のカラマツ探しは4年前から始まった。亡父の遺品を整理をしていた際「昭和天皇ゆかりのカラマツ」という新聞記事(平成元年2月24日付)の切り抜きを見つけた。記事には幌延町の小学校跡地にカラマツが残されていると報じ、記事の台紙に亡父が手書きで「岐阜にもあり」と記し、そのすすけた文字を見つけた。

「天皇陛下を敬い、尊び『陛下がいつも見てくださる』と日々の労働の糧にも感じたことでしょう」と、男性は亡父の思いを代弁する。「このカラマツを野に果てさせるのではなく、きちんとその存在と、価値を広めたい」と“兄弟”探しを始めたという。

これまでに、カラマツの“兄弟”の地に赴き、思いを同じくする4人と出会い、顕彰会の結成に結びついた。

男性は「陛下の松がこの岐阜に植えられ、今も残っていることは地域の誇り。そして他の14本の松とともに北海道の誇りとして残し、まだ知られていない兄弟達を探したい」と話している。 (澄)

昭和天皇ゆかりのカラマツ… (下) – 2012/05/30掲載 (北見市(常呂町)/話題・歴史) – 経済の伝書鳩
http://denshobato.com/

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昭和天皇ゆかりのカラマツ…

苗が道内3カ所に

常呂のひまわりクラブメンバーが育て
存在を後世に引き継ぎたい

北見市常呂町岐阜にある昭和天皇ゆかりのカラマツの苗木が5月に道内3カ所に植樹された。カラマツの保存にかかわる「昭和天皇陛下御手播の松顕彰奉賛会」の会長(73)=常呂町岐阜在住=の活動に共感した常呂の「ひまわりクラブ」のメンバーが育てた苗で「DNAを残して語り継いで」という思いが込められている。

このカラマツは昭和天皇が皇太子時代の大正11年7月、地方視察の来道記念として札幌市内の農場で自らの手で種をまかれた。その3年後に苗木が全道すべての学校に「カラマツのように、すくすくと育ってほしい」との願いを込めて配られた。

現存するカラマツは常呂と置戸町を含め、道内6カ所に16本が確認されている。各地でカラマツを見守る5人が3年前に同顕彰会を結成し毎年、交流している。

苗木の栽培は同クラブが来年、結成10周年を迎える記念事業として常呂町森林公園に植樹しようと計画。常呂のカラマツの種を会長(73)の庭を借りて育て、「せっかくの苗を各地に届けたい」と同クラブの副会長(75)と会長(73)の2人が、カラマツの兄弟のいる札幌と岩見沢、宗谷管内幌延町の3カ所に苗木9本を届けた。

副会長(75)は「昭和天皇ゆかりのカラマツの存在をみなさんに知ってもらい、その命を絶やすことなく後世に引き継ぎたい」と話している。 (澄)

(掲載写真)
苗木を育てるひまわりクラブのメンバー

昭和天皇ゆかりのカラマツ… – 2015/06/08掲載 (北見市/社会) – 経済の伝書鳩
http://denshobato.com/

関連サイト

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天北 天塩/ウェブリブログ
http://47880746.at.webry.info/

「郷土ところ」復刊(常呂町郷土研究同好会発行) | 北見市
http://www.city.kitami.lg.jp/docs/2012122700087/

歴史・風土 | 北見市
http://www.city.kitami.lg.jp/bunya/history/

関連エントリ

天皇家の皆さま方と 美幌峠 (美幌町) – 美幌音楽人 加藤雅夫
Imperial Family and Bihoro Pass (Bihoro town, Hokkaido) – Bihoro music people Masao Kato
http://masaokato.jp/2009/04/10/000013

昭和天皇 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
Search result of Showa Emperor – Bihoro music people Masao Kato
http://masaokato.jp/?s=昭和天皇

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