戦争の体験を 語り継ぐ。(連載1:伝書鳩)

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戦争の体験を 語り継ぐ。(連載1:伝書鳩)

連載 語り継ぐ戦争 (1)

被爆体験証言者・井口 健さん(83)

広島県在住で被爆体験証言者の井口健(いのくち・たけし)さん(83)を講師に迎え、北見市主催の平和講演会が7月14、15日、相内中学校と南中学校で開かれた。井口さんは被爆した当時の様子を「まさに地獄でした」と振り返り「2度と核兵器が使われないことと、核兵器の廃絶が悲願です」と訴えた。今年も「語り継ぐ戦争」を連載します。

北見の2中学校で語る
まさに地獄…核兵器廃絶を

被爆したのはもう70年も前のことですが、今起こったことのように鮮明に覚えています。 私が子どものころから、日本はずっと戦争をしていました。昭和16年12月8日、真珠湾攻撃が始まったとラジオで聞きました。大国のアメリカに勝てるんだろうか、日本は何をやっているんだろうかと思いました。 中学1年ぐらいまで、日本は連戦連勝でした。学校に行くと、社会の先生が地図を広げ「日本が勝って領土が広がったから赤く塗りなさい」と言ったことを覚えています。しかし、翌年になると状況が一変しました。 毎日のように空襲警報のサイレンが鳴り、防空壕に避難する毎日でした。いつ爆弾が落ちてくるかも分からない状況になりました。昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下されました。 あの日、私は学徒動員で爆心地から1.5キロほど離れた工場にいました。点呼のため集会室に向かう途中、飛行機の音に振り返ると閃光で目が見えなくなり、爆風で吹き飛ばされました。「ピカッ、ドーン」という、ものすごい衝撃でした。集会室の天上は落ち、悲鳴が聞こえました。集会室が燃え出してパニックになりました。 どこをどう逃げたのか、私は河川敷にいました。クギが地下足袋を突き破って足に刺さっていることに気付き、そのクギを抜いている途中、周囲を見ると信じられない光景が広がっていました。 背中から被爆した人は背中の皮が腰まで垂れ下がり、顔から被爆した人は目や鼻がどこにあるのかも分からない状況。性別も年齢も分からない人達がいて、まさに地獄でした。 家まで歩いて10分ほどの距離を、4時間かけて這うようにして帰りました。どうにか自宅にたどり着き、しばらく静養しましたが、その後、何日も空襲警報が続きました。日本にとって惨めなニュースばかりが耳に入るようになり、閃光でやられた目は4カ月後まで良くなりませんでした。 暑い夏でした。昼はセミの声が響きますが、夜は死にそうな人達のうめき声が聞こえました。集会室には同級生が150人いましたが、1割ほどが逃げ遅れて白骨になっていました。 なぜ、戦争をしたのか。どうして、私達が原爆を浴びなければならなかったのか。罪もない人達に核兵器を使うことは、非道極まりない。平和とは何でしょう。私は安心して暮らせることだと思います。みなさんにも考えてほしいです。 戦争の恐ろしさ、核兵器の惨めさを、世界中の人達に知ってほしい。私は世界中のいろんなところでこの体験談をお話しましたが、受け継いでくれるのは皆さんです。2度と核兵器が使われないことと、核兵器の廃絶が私の悲願です。 皆さんにお願いがあります。人のつながりを大切にして人の立場でものを考え、人の痛みが分かるようになってください。そうすれば、原爆を使おうと思うことは絶対にないはずです。 (匡)

連載 語り継ぐ戦争 (1) – 経済の伝書鳩
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連載 語り継ぐ戦争 (2)

南洋パラオから奇跡の生還

詩吟や民謡に親しむ北見市の82歳女性には、今も忘れられない幼少時の戦争体験がある。小学生のころ、南洋のパラオに住んでいた女性は、戦火に巻き込まれ、命からがら脱出。奇跡的に一命を取り留めた。パラオでは美しい自然に囲まれて過ごしていただけに「戦争さえなかったら、ずっと住んでいたかった」と語る。

北見市・82歳女性
避難船が銃撃…家族失い
一人、フィリピンの収容所へ

女性一家は昭和16年、北海道から、当時は日本統治下にあった南洋のパラオに移住した。女性は両親、兄、弟、祖母と6人で生活。当時、女性は10歳だった。 移住当初はガラスマオという土地に住み、父はアルミニウム製造会社で働いた。1年後、父が木工所勤めになり一家は主要都市のコロールに転居。コロールは道がアスファルトで整備された近代的な町並みだった。 島には多くの日本人が住み、島民とも友好的に暮らしていた。「海がきれいで、熱帯魚が美しくてね」と女性。ヤシの実やドリアンなど南国の味を今でも覚えている。 しかし昭和19年3月、島は大空襲に襲われ生活が一変。女性らは岩場の穴に逃げ込み難を逃れたが、その後は食糧不足に見舞われ、父は兵役へ。女性にも戦況の悪化がひしひしと感じられた。その後、米軍のサイパン上陸の知らせが入り同年8月、引き揚げ船の巡洋艦「鬼怒」が千人近い人々を乗せてパラオを出港。女性1家5人も乗り込み、フィリピンのセブ島に逃れた。 引揚者はセブ島で別の船に乗り換えて出港したが、女性一家を含む4家族20人は軍の要請もあり、炊飯要員としてセブ島に残留、半年ほどを過ごした。年が明けて昭和20年1月、セブ島にも危険が迫り、日本人の子女は民間の船に乗せられてセブ港を出航。船は満員状態で、女性一家は離れ離れに座っていた。その夜、悲劇が起きた。 米軍の魚雷艇に見つかり、船は射撃を受けて炎上。人々は次々と海に飛び込んだ。海に浮かぶ人々を狙う米兵の小銃。「天皇陛下万歳」と叫ぶ少年。「お姉ちゃん」と呼ぶ少女の声はいつしか途絶えた。女性は無我夢中で何度も海に潜っては浮上を繰り返し、その間、何度も遺体にぶつかった。 銃撃がやみ、女性はフィリピン人の漁師に助けられた。当時、女性は13歳。米軍収容所に入れられたが、周りはフィリピン人ばかりで日本人の姿はなかった。家族がどうなったのかも分からず、言葉も通じない収容所で数カ月を過ごした。その後は別の収容所に移され、そこで終戦を迎えた。11月、米国の船に乗せられ、帰国。家族で生き残ったのは女性と兄の重雄さんだけたった。 たった一人で戦火を生き延びた13歳の少女。女性は69年前の奇跡を「私が子どもだったから耐えられたのかもしれません」と、言葉少なに振り返る。 (柏)

連載 語り継ぐ戦争 (2) – 経済の伝書鳩
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連載 語り継ぐ戦争 (3)

二度と戦争がないよう見届けていきたい

北見・男性(89)
兄の戦死で“軍国少年”の心に変化が
「どれだけの母親が悲しい思いしたのか」

「戦争は非常なもの。どれだけの母親が悲しい思いをしたのか」-。北見市の男性(89)が、2日にロイヤルホテル北見で開かれた講演会「戦争への道を繰り返さないために」(戦争経験者の話を聞く会主催)で自らの戦争体験を語った。 自分自身を「立派な軍国少年だった」という男性。昭和19年に面倒をみてくれた兄が戦死した。「兄の出征の日、私は見送りに行けませんでしたが、妹は柱にしがみついて泣きながら兄の名前を呼んでいたそうです。嫌な予感がしていたのでしょうね」。 兄の乗っていた船はアメリカの潜水艦に雷撃されて、仲間とともに海に消えた。自宅にもどってきたのは空の骨壷だけ。「髪1本、爪一つも入っていない。体が大きく、剛毅な性格の母が仏間で号泣している声を聞いた時、一歩も動けなくなった。お腹を痛めて産んだ子が死ぬのはどれほど悲しいことか」。 工兵学校に所属していた20年、兵舎を狙って連射してくる飛行機に「はじめて恐ろしさを感じた」。兄の死で軍国少年の心は少しずつ変化していった。 しだいに訓練内容が変わり「戦車の下に爆弾を持って飛び込む練習ばかり。いよいよ先が見えてきたと思った」と話す。 男性は「国家は国民のためにある。子どもや孫達のために、戦争は二度としないように、見届けていきたい」と力強く語った。 (菊)

連載 語り継ぐ戦争 (3) – 経済の伝書鳩
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1 件のコメント

  1. 北見で「平和祈念展」

    原爆被害を写真やポスターで紹介
    市北3西3のナップスビル1階で
    17日まで

    広島・長崎の原爆被害を写真パネルやポスターで紹介する、北見市主催の「平和祈念展」が市北3西3のナップスビル1階で開かれている。恒久平和への願いを込めた恒例の取り組み。8月17日まで。 同展に合わせて、市立中央図書館は同館内に平和図書コーナーを開設。戦争や原爆関連の図書約50冊を集め、通常図書と同様に貸し出しも行っている。 問い合わせは市民活動課(TEL 0157-25-1105)へ。 (匡)

    北見で「平和祈念展」 – 経済の伝書鳩
    http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=80323

    加藤 雅夫 より 2014 年 8 月 7 日 13:25

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