伝書鳩の連載、語り継ぐ戦争(4)(5)(6)

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満蒙開拓移民
満蒙開拓移民(まんもうかいたくいみん)は、満州事変以降太平洋戦争までの期間に日本政府の国策によって推進された、中国大陸の旧満州、内蒙古、華北に入植した日本人移民の総称である。満蒙開拓団(まんもうかいたくだん)とも言われる。 満州開拓移民の募集には、『王道楽土』や『五族協和』などをスローガンに喧伝したキャンペーンが大々的に行われ、多くの人々が募集に応じた。 戦局の悪化による兵力動員で1942年以降は成人男性の入植が困難となり、15歳から18歳ほどの少年で組織された「満蒙開拓青少年義勇軍」が主軸となった。 青少年義勇軍を含む満州開拓移民の総数は27万人とも、32万人ともされる。ソ連の参戦でほとんどが国境地帯に取り残され、日本に帰国できたのは11万人あまりだった。各地の開拓移民団は引き揚げの途中で多くの死者、行方不明者、収容所での感染症による病死者を出し、無事に帰国できた開拓団はなかった。 また、国境を越えてきたソ連兵に捕らえられシベリアへ送られた男子入植者は、シベリア抑留者となり帰国は更に困難を極めた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/満蒙開拓移民

連載 語り続ぐ戦争 (4)

常呂・女性(77)

終戦の年、父は娘に言った。「ロシア人が家に入ってきたら、全力で追い返すが、間に合わなかったらこれで…」と3人の娘に短刀を手渡した。こんな、いまわしい記憶を語ったのは樺太引き揚げ者だった、北見市常呂に住む女性(77)。「辱めを受けるくらいなら死を」と覚悟した10代の少女、その覚悟を強いた父親。狂った時代だった。

10代で強いられた“死の覚悟”
樺太引き揚げ前のいまわしい記憶
姉達は当時の恐怖を口にせず

女性の父は網走で「柾」(まさ)葺き屋根の職人だった。家族は母親と7人の子ども。父親は昭和16年に、まだ幼かった女性ら兄弟5人を連れて樺太の豊原市(現在のユジノサハリンスク)に移住。当時、北樺太が旧ソ連領で、南樺太は日本領だった。
そこで柾製造の工場を建てて家族と暮らしていたが、20年に旧ソ連が太平洋戦争に参戦、南樺太に侵攻した。
「当時、小学校の2年生くらいだったのですが、家の前で空から爆弾がたくさん落ちてくるのを見た記憶があります。学校や駅などあちこちで炎や煙が上がり防空壕に逃げる時、人が死んでいるのを何人も見ました。とにかく怖く、ふとんの中でおびえていました」という。
多くの日本人が捕虜となったが、民間人だった女性家族は小さな家で生活していた。だが、旧ソ連軍の占領下当時、略奪や暴行が横行していた。日本人の若い女性が襲われることもたびたびあったという。
心配した父親は幼かった女性を除き3人の姉を室(むろ)で寝かせた。「夜、姉達はろうそくのわずかな明かりの中、息を潜め、おびえながら夜を過ごしていました」。今でもあのときのことを姉妹のだれも口にしないという。姉達自身はきっと、当時の恐怖を封印してしまったのだろう。
そんな中、隣近所にロシア人家族が生活をするようになり、女性は同年代の子どもと一緒に遊んだりし、ロシア語を多少なりとも覚えた。「あんな思いをしたのですが、今ではロシアの人達も私達同様に普通の人。一部に悪いことをする人がいたのだと思います」と、戦時下のロシア人に対する不信感は薄らいだという。 (澄)

北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2013/08/15掲載(北見市/本紙連載)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=72185

連載 語り継ぐ戦争 (5)

子や孫には味わわせたくない
網走・男性(83)

同じ歴史は二度と繰り返してはいけない-。網走市の男性(83)は15歳で満蒙開拓青少年義勇軍として満州(中国東北部)に渡った。戦場には駆り出されなかったものの、戦時下の混乱を体験。「子や孫には味わわせたくない苦い思い出です」と話している。

青少年義勇軍に志願、満州へ
戦時下、戦後の混乱「苦い思い出」

秋田県出身。国民を戦争にまい進させるための運動が強かった当時の日本で「私もお国の役に立ちたい」と青少年義勇軍に志願し、15歳で満州に渡った。
満州はマイナス40度を下回ることもある極寒の地。義勇軍の訓練所では満足な食事も与えられなかったが、日本の勝利を信じてひたすら軍需工場で働いた。
有事に備えた軍事訓練では「精神鍛錬」と称して、仲間同士で頬を打ち合う「対抗ビンタ」を体験。男性は訓練が原因で左耳の聴力を失っており「訓練とはいえ、理由なく人をぶった記憶は今も忘れられません」
男性ら青少年義勇軍に十分な戦況が知らされることがないまま、敗戦。満州には、あっという間にソ連軍が進駐し、略奪や暴行が横行。男性も危うくシベリアに連行されるところだった。
敗戦の翌年、命からがら戻って見た日本は焼け野原。引き揚げ列車の車窓から見た広島は街が消失し、上野駅では戦災孤児が物乞いをしていた。
「為政者の間違った判断でどれほどの人が戦争で苦しんだかわからない。高齢の私ですが、命の限り戦争の非道さを子や孫に伝えたいです」と話している。 (玲)

北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2013/08/16掲載(網走市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=72218

連載 語り継ぐ戦争 (6)

こども達に自作の紙芝居を見てもらう会

平和の尊さ、戦争の悲惨さを伝えたい-。8月15日の「終戦の日」に合わせて上演する15回目の「がいとう紙芝居」が、今年も北見市内の銀座通で開かれた。主催の「こども達に自作の紙芝居を見てもらう会」の会長は「戦争に対する思いはみんな持っていると思う。ずっと続けていきたい」と話す。

今年も北見で「がいとう紙芝居」
終戦の日に合わせ15回目の実施
「平和を考える糸口になれば」

上演したのは同会のオリジナル紙芝居「湧別町機雷爆発」。
太平洋戦争中の昭和17年、湧別町(当時下湧別村)で起きた爆発事故を紙芝居にしたもの。流れ着いた2つの機雷を戦意高揚のため、大勢の見物人を呼んで公開爆発させようとしたところ、運んでいる最中に爆発。集まっていた112人が死亡、112人が負傷した事故を描いた。
祭りで賑わう商店街。子どもから大人までが足を止め、身を乗り出すように紙芝居を見つめた。紙芝居は会員が親に聞いた話を元にしたものと、実際に体験した人の話を描いた2部構成。2部の読み手になった会長は「戦争は家族の幸せを一瞬にして奪う。命と平和の大切さを考えなくてはならない」と訴えた。
オリジナル作のほか「かわいそうなぞう」など既製の作品も上演した。
夏休みの宿題を兼ねて紙芝居を鑑賞した北見小泉小の5年生の女の子は「北見の近くでも戦争のために亡くなった人がたくさんいるのを知って驚いた。戦争は良くないと思いました」と感想を話した。
同会事務局長は「がいとう紙芝居もやっと定着してきたと感じます。この活動が、戦争を身近なものに感じ、平和について考える糸口になれば」と願っている。 (菊)

北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2013/08/17掲載(北見市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=72241

関連動画

満蒙開拓団のくらし – YouTube
感動法話 「五十回忌」 (足利孝之 著 『おそだて』 より)by Che-lee – YouTube
あなたの幸を祈ります 松原操・瀬川伸 – YouTube
聖蹟桜ケ丘 拓魂公苑 – YouTube

関連サイト

満蒙開拓青少年義勇軍 ~少年と教師 それぞれの戦争 – NHKオンライン
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001230003_00000

関連エントリー

戦時に動物園で動物処分 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/2013/08/09/060210

伝書鳩の連載、語り継ぐ戦争(1)(2)(3) – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/2013/08/14/144732

満州 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/?s=満州

樺太 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/?s=樺太&paged=3
http://masaokato.jp/?s=樺太&paged=2
http://masaokato.jp/?s=樺太

語り継ぐ戦争 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/?s=語り継ぐ戦争&paged=2
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