伝書鳩の連載、語り継ぐ戦争(1)(2)(3)
- 2013年08月14日(水) 14:47
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玉音放送
玉音放送(ぎょくおんほうそう)とは、天皇の肉声(玉音)を放送することをいう。特に1945年(昭和20年)8月15日正午(日本標準時)に、社団法人日本放送協会(当時)にてラジオ放送された、昭和天皇による終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)の音読放送を指すことが多く、本項ではこの放送について記述する。この放送は、大東亜戦争(太平洋戦争)における日本の降伏を国民に伝えるものであった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/玉音放送
連載 語り継ぐ戦争 (1)
北見・女性2人
食べ物なくて つらかった…北見の女性2人は、ともに大正9年生まれの93歳。出身地は異なるが、2人とも昭和18年に結婚し、身内を徴兵されたがいずれも無事に帰った。同じ時代を生き、不思議と共通点の多い2人。「食べ物がなくて本当につらかった」という戦前から戦後を振り返り「戦争はいけない」と訴える。
ともに93歳、共通点多い2人が苦労振り返る
お金あっても食料買えず…家族のために山菜や野草を集め女性は野付牛町(現在の北見市)生まれで、6人きょうだいの3人目。もう1人の女性は足寄村(現在の十勝管内足寄町)生まれで、10人きょうだいの9人目。ともに昭和18年に結婚し、女性は夫と兄、もう1人の女性は兄を徴兵されたが、いずれも無事に帰った。
もう1人の女性は結婚を機に訓子府、北見へと移った。出身の違う2人だが、ともに戦後は北見で過ごしており、不思議と同じような境遇で戦前から戦後を生き抜いた。2人とも家にラジオはなかったが、出掛け先で偶然、玉音放送を聞いたことまで共通している。
「玉音放送を一緒に聞いていた父が『あー、戦争が終わった』と声を上げ『これで、もう心配ない』と言いました。夫や兄だけでなく、それまで戦地に向かう人を何人も万歳で見送ってきましたから、あの時のことは今でも忘れられません」と女性。
もう1人の女性は「玉音放送の直後、当時の訓子府村長が住民を集めて『日本はどうなるか分からないから、食べ物を集められるだけ集めておきなさい』と言いました。敵が攻め込んでくるのではないかと不安になり、ただただ恐怖を感じました」と振り返る。
2人にとって戦争で最もつらかったのは、食べ物がなかったこと。お金があっても食料を得られず、生活苦で自ら命を絶った人の話が耳に入ってくることもあった。家族のためにいつも何か食べ物がないかを考え、山菜や野草を集めた。
「今食べている物を食べ終わったら、次に食べる物がない毎日でした」と2人。いつもお腹が空いていて、ビートを煮詰めてあめ状にして食べるのが最高のご馳走だったと言う。
もう1人の女性は「つらい時代があったからこそ、今の時代をとても幸せに感じます。でも、今の幸せは当たり前のことではありません。それを忘れてはいけない」、女性は「どんなことにも、命をかける必要はない。国と国は仲良くしなきゃいけない」と訴える。 (匡)
北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2013/08/09掲載(北見市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=72074
連載 語り継ぐ戦争 (2)
ポスターで知る「戦時中」
国策宣伝に利用戦時中、国威発揚や志願兵の確保、戦費調達などを目的に制作された国策宣伝用ポスターの展示会が北網圏北見文化センターで開かれている。当時の国策や世相を知る貴重な資料で、市教委文化財課は「戦争の記憶が遠くなりつつある中、あらためて戦争と平和を考えてほしい」と来場を呼びかけている。18日まで。
北網圏北見文セン・18日まで
現存する貴重な歴史資料を展示展示されているポスターは昭和12~19年に中央官庁などが制作した24点。当時北見市役所に勤務していた故・香川軍男氏が戦後も自宅で保管していたもので、平成15年に遺族が市に寄贈した。
同課によると、これだけの枚数がまとまって現存するのは全国的に珍しく、保存状態も良好で貴重な歴史資料となっている。
香川氏はいも版画で知られる北見の芸術家。ポスターには横山大観、藤田嗣治をはじめ著名な画家の原画が多く使われており、同課は「香川氏がポスターの美術的な価値を重視して保管したのではないか」としている。ポスター展は10年ぶりの開催。
ポスターの制作元は陸軍省、逓信省、大政翼賛会など。戦時中は大量に制作され、北見市を含め全国各地の市町村に掲示されていた。
ポスターは「国民精神総動員」「撃ちてし止まむ」といったスローガンで戦意をあおる内容や「勝利だ 戦費だ 国債だ」などの文言で戦費調達を図るもの、志願兵の募集など。直接的な表現と印象に残る絵柄、構図が目を引く。
政府は終戦直後、全国にポスター類を焼却する命令を下しており、そのためほとんどのポスターが処分された。今回の展示会には、その証拠を示す「戦争ポスター類焼却指示」の文書(長野県松本市所蔵)のパネルも展示されている。 (柏)
北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2013/08/12掲載(北見市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=72128
連載 語り継ぐ戦争 (3)
「戦争の道」絶対選んではいけない
北見・女性(77)北見市の女性(77)は終戦直後、満州(現在の中国東北部)から命からがら引き揚げてきた経験を持つ。ほんの少し歯車が狂えば命を落としたり、残留孤児になってもおかしくない状況だった。「終戦の日が近づくと当時を思い出します。戦争の道は決して選んではいけない」と訴える。
終戦直後、満州から命からがら引き揚げる
匪賊の襲撃、食料のない過酷な生活…
同じ経験を誰にもさせたくない上美幌出身の女性は昭和16年、父、母、妹、弟と5人で満州の内陸部にある集落に移住。父は開拓団の仕事に従事し、家族は平穏に暮らしていた。しかし終戦直前、事態は一変する。ソ連軍が満州へ侵攻するとの情報が入り、日本の敗戦を察知した集落の住民は帰国を決意。しかし、駅は焼き払われてしまい鉄道は利用できない。馬車にできる限りの荷物を載せ、徒歩で近くの都市、新京を目指した。女性は当時10歳だった。
開拓団は途中、匪(ひ)賊と呼ばれる略奪集団の襲撃を3度受けた。「今もはっきり覚えています。棒や大きな鎌などを持った300人くらいの集団がずっと後をついて来るんです」。匪賊は日本人に疲れが見えると襲いかかり、武器で脅して金品を略奪。殺されたり、拉致される人もいた。3度目の襲撃では1人の女性が銃で撃たれ、みな散り散りに逃げた。女性の家族も必死に逃げ、なんとか生き延びることができた。しかし周りには襲撃で親を失った子ども、連れさらわれた女性もいた。「私は親の背中に隠れてなんとか無事でしたが、生きた心地がしませんでした」。
開拓団は最初200人ほどだったが、途中で他の開拓団と合流するなどして、新京到着時には3千人規模になった。新京まで40日余りを要した。
やっとの思いで新京に到着したものの帰国の道は閉ざされそこで足止め。女性一家は割り当てられた学校で集団生活を送ることになった。しかし栄養失調や過労などで死者が続出。そして過酷な生活は、ついに幼い6歳の弟の命も奪った。「最後に『リンゴが食べたい』とねだりましたが、お金がなくて買えませんでした。ひと口でも食べさせてあげたかった…」。
一家が日本に戻ることができたのは、終戦から10カ月が過ぎた翌昭和21年6月。帰国の船に乗り込んだ時に「ようやくほっとすることができました」と振り返る。
滝川にある母親の実家に着いた時は「母の兄弟がやせ細った私達の姿をみてわんわん泣いていました。そこで食べたトマトのおいしかったこと」。
時は過ぎ平成12年。半世紀余りを経て女性は再び開拓団の集落を訪ねた。懐かしい景色や父親の知人らと再会し、辛かった思い出も心をよぎった。「私は幸いにして日本に戻ることができましたが、もし満州に残されたらどうなっていたでしょう。あんな経験は誰にもしてほしくない。戦争は絶対に許してはいけないのです」。 (柏)
北見 網走 オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩
2013/08/14掲載(北見市/本紙連載・歴史)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=72156
関連サイト
ヌプンケシ34号 | 北見市 (いも版画家、香川軍男さんのこと)
http://www.city.kitami.lg.jp/docs/2498/
北網圏北見文化センター
http://business4.plala.or.jp/bunsen21/
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日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1404V_V10C13A8MM0000/
加藤 雅夫 より 2013 年 8 月 15 日 10:42