赤い白いカーネーション「母の日」プレゼント

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赤いカーネーションの花言葉「母の愛」
白いカーネーションの花言葉「私の愛は生きている」

カーネーションの和名
和蘭石竹(オランダせきちく)
和蘭撫子(オランダなでしこ)

「父母、撫で養ふこと限りなし」(宇津保物語・忠こそ)
「善を撫で悪を罪するは天なり」(雨月物語・貧福論)

母の日(ははのひ)は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。 日本では、1931年(昭和6年)に、大日本連合婦人会を結成したのを機に、皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたが、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。母の日にはカーネーションなどを贈るのが一般的。(Wikipedia

母の日 のニュースブログ(Google 検索)

「母の日」企画…母を語る
 5月第2日曜日は「母の日」。日ごろの感謝の気持ちを伝えたいと思っていても照れくさくて言葉にできない人や、親孝行したい時には親はなしという、母を亡くした人に母への思いを聞いた。

子ども第一とする母「自分も目標に」
北見・女性(30)
 北見市の女性(30)は母の日を前にして、市内の施設で支援員として勤務する母に財布をプレゼントした。「元気に若々しく働き、長生きしてほしいですね」と母の健康を気遣う。
子どものころ両親は農業に従事し、玉ねぎやイチゴ、メロンなどを栽培していた。雨の日や仕事がない時に「母に絵本を読んでもらったり、一緒にパンを作り、イチゴ狩りなど楽しかったことを思い出します」。
市内の児童館で児童厚生員として子ども達を指導している。「明るく社交的で、子どものことを第一に考えてくれる」母のように子ども達に接している。「自分が母親になったら母を目標にしたいです」という。
母の日には毎年、花やかわいらしい小物などを贈っている。今年は財布が古くなり、買い換えたいと聞いていたため財布をプレゼントした。「とても喜んでくれました」
おいしいものを食べにドライブするのが趣味。結婚後も両親らと各地を訪問しており、先日は3人で釧路市に出掛けた。両親の結婚30周年記念には弟と2人で道内旅行をプレゼントした。「今度は道外へ行ってもらいたい」と計画している。 (成)

2人の母「幸せの道作ってくれた」
北見・女性(66)
 北見市の女性(66)には母が2人いる。「2つの家族、2人の母がいるからこそ、今の私の幸せがあります」と感謝する。
終戦の翌日の昭和20年8月16日、旧満州で生まれた。当時父はシベリアに抑留されており、女性は戦後の混乱の中、母の親類に助けられながら5人の兄姉とともに帰国。島根県の父の実家から、母親のふるさとの北海道に移住した。しかし、生活は苦しく、幼かった末娘の女性は子どものいない夫婦の養女になった。
同じ町で暮らす実母と顔がそっくりだったことなど養女になって、つらい思いをした時期もあったという。
成長と共に実母とも自由に会えるようになり、見た目だけでなく、価値観など自分との共通点がたくさんあることに驚かされた。「生まれながらに持っているものは似るんだとつくづく思いました」と話す。
その後2人の母は姉妹のような関係になった。「年上の実の母が姉のようにいろいろ教えていました。北見で歌謡ショーがあった時、2人にチケットをプレゼントしたら喜んでくれて、仲良く一緒に行っていましたね」と懐かしく思う。
育ての母は同居を経てみとった。しかし昨年96歳で亡くなった実の母は、夫の大きな手術と重なり、最期に会うことができなかった。「実の母は私のために心身ともに筆舌に尽くし難い苦労をしてくれたと思います。感謝の言葉を言うこともできなかった。直接お別れをしていないので、1年経った今も亡くなった実感が持てません」と悔やむ。
これまでを振り返り「いろいろありましたが、最後には丸く収まった。母は幸せの道を作ってくれた。私の中に残してくれたたくさんのものを、これからも大切にしていきたい」 (菊)

優しかった母「見習いたいこといっぱい」
北見・女性(85)
 「とても優しい人でした」と母親のことを語る北見市内の女性(85)。病気のため30代の若さで亡くなったという。女性も高齢であまり多くを語れないものの、色あせることのない母の思いを懐かしみながら静かに思い起こす。
東京で3人きょうだいの長女として生まれた。「父にも母にも怒られた記憶はありません」と幼少期を振り返り、時折、目を細めながら「母は穏やかで優しくて。とても美人の人でした」と語る。
母の日には通っていた教会で千代紙のカーネーションを作り、プレゼントした。いつもの優しい笑顔と「ありがとう」と返してくれた言葉が今も心に残る。それから数十年が経ち、母になった女性も同じように我が子から教会で作ったカーネーションをプレゼントされ、幼かった自分と同じ気持ちが込められた贈り物に心が温かくなったという。
「見習いたいことはいっぱいあります。その中でも優しさが一番ですね」と見せる穏やかな表情は、優しかった母の面影なのかもしれない。 (理)

子育て通じ母の苦労実感「感謝しています」
北見・女性(47)
 北見市内の女性(47)は2人の娘を持つ母。子育てを通して自分を育ててくれた母の苦労を肌で感じ、感謝の思いを寄せる。
小さいころは近所の家を勝手に渡り歩くようなお転婆な女の子だった女性。「私が幼かったころの話を母から聞くと、私も娘達にはあまり強く言えません。やはり親子の血ですかね」と笑い、「いろいろと心配をかけてしまい、母もたぶん大変だったと思います」。
趣味に打ち込む母。意欲的に行動する姿は「私よりも楽しそう。子育てをしている時にはできなかったんだと思います。私が母の年齢になった時に同じようになっていれたら」と憧れる。
母の日には毎年、感謝の気持ちを込めてプレゼントを贈る。気恥ずかしさから、あらためて感謝を言葉にすることはほとんどないと言うが「今でも母に助けてもらって本当に感謝しています。親孝行をしてあげたいし、孫の晴れ姿も見てもらいたいので、長生きしてほしいです」。 (理)

北見・網走・オホーツクのフリーペーパー「経済の伝書鳩」 2012/05/11掲載(北見市/話題)
http://denshobato.com/BD/N/page.php?id=61117

母の日の関連エントリー:

母の日 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/母の日

赤いカーネーション の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/赤いカーネーション

白いカーネーション の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫
http://masaokato.jp/白いカーネーション

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