北見まちづくり竜馬会について
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生き様学び地域に貢献を 2019/11/21掲載(北見市/社会) 北見まちづくり青年会が北見まちづくり龍馬会に改称 / 全国で206番目の龍馬会に / 北見まちづくり青年会として活動してきた、北見市の若手経済人らがその名も新たに「北見まちづくり龍馬会」と改め15日、市内のホテル黒部で発足式を開いた。幕末の志士・坂本龍馬にちなんだ改称で「龍馬の生きざまを学び、地域に貢献していきたい」と意気込みを新たにしている。 青年会として4年間、ボランティア清掃やカラオケバトル開催など地域おこし活動を行ってきた。龍馬の出身の高知と北見は姉妹都市であり、おいの坂本直寛率いる北光社移民団との縁も深いことから、そんな心意気を忘れまいと改称した。 30代~40代の約30人で活動。発足式では、自己の資質向上を図り、希望に満ちた社会づくりに積極的に参画することなどを確認した。全国各地に龍馬会があり、全国龍馬社中から、206番目の団体として認定すると届いた登録証がお披露目された。会長(40)は「龍馬の精神を基礎に、誇りをもって活動していきたい」と力強く挨拶した。 会員の勉強会をはじめ、龍馬まつりなど市民参加型のイベント開催も検討していく。(寒) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
坂本龍馬 日本の江戸時代の志士、商人 / 坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日〈新暦・1836年1月3日〉 – 慶応3年11月15日〈新暦・1867年12月10日〉)は、江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。 土佐藩郷士の家に生まれ、脱藩したあとは志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(のちの海援隊)を結成した。薩長同盟の成立に協力するなど、倒幕および明治維新に関与した。大政奉還成立の1か月後に近江屋事件で中岡慎太郎、山田藤吉らとともに暗殺された。暗殺者は諸説あるが、京都見廻組という説が有力である。1891年(明治24年)4月8日、正四位を追贈される。 (坂本龍馬 – Wikipedia)
坂本直寛 / 坂本 直寛(さかもと なおひろ、嘉永6年10月5日(1853年11月5日) – 明治44年(1911年)9月6日)は、明治時代の自由民権運動家、キリスト教牧師。土佐藩郷士坂本家5代当主であり、坂本龍馬は叔父に当たる。兄・坂本直は龍馬の養嗣子になった。 (坂本直寛 – Wikipedia)
関連サイト
連載:ピアソン夫妻 その4 坂本直寛 – 十勝の活性化を考える会 – Goo ブログ
ヌプンケシ141号 (北光社初代社長、坂本直寛の前半生) – 北見市のウェブサイト
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