ああ、戦後75年 陸軍少年飛行兵について 長屋昭次 (北海道 美幌町出身)
ああ、戦後75年 陸軍少年飛行兵について 長屋昭次 (北海道 美幌町出身)
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特攻で散った先輩偲び… 2020/08/06掲載(網走市/話題) 網走の男性(93) / かつての日本軍が所有していた戦闘機などの模型の収集を続ける、網走市の男性(93)。15歳からの2年半、陸軍パイロットとして訓練を受けた経験を持つ。これまでに集めた模型は約230機。特攻隊員として命を落とした先輩たちを「いまだに忘れられません」と偲ぶ。 戦闘機の模型を収集 ずらり230機 / 男性の自宅に並ぶ模型専用の陳列棚。かつての日本陸軍や海軍が所有していた戦闘機、爆撃機、練習機などがきれいに整列されている。外国軍隊所属の飛行機も含まれる。「おそらく、日本軍の飛行機はすべて収集できたと思っています」 模型の大半は通信販売で購入した。つい先日も1機を手に入れた。 飛行機模型の収集は30年ほど前から本格化した。きっかけの一つに、若かりし頃の自分の苦い経験がある。 美幌町で生まれ、15歳の時に陸軍少年飛行兵に志願。狭き門の試験に合格し、16期生として2年半の訓練に励んだ。実戦経験を踏まないまま、現在の韓国蔚山にあった練習飛行場で終戦を迎えた。 男性の先輩となる同飛行兵15期生の一部は、特攻隊員として命を落とした。「今でも先輩たちのことは忘れられない」 戦闘機などの陳列棚は、自宅の茶の間や玄関、階段の踊り場などに置かれている。集めた模型を横目に「2年半の訓練は鮮明に覚えている。大変な経験をしたが、当時の訓練の詳細を簡単には説明できないですね」 男性は復員兵として帰国後、網走刑務所の刑務官となった。在職中に社会保険労務士などの資格を取得し、定年退職した60歳の時に開業。いまだに現役だ。 特攻で散った先輩、苦しかった飛行隊での訓練などを踏まえ、「多くの人のおかげで今日があります」と感謝の日々を送っている。(大) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
陸軍少年飛行兵(りくぐんしょうねんひこうへい)とは、日本陸軍の航空兵科現役下士官となるため、10代の男子志願者から選抜されて陸軍の航空関係諸学校で教育を受ける者。1933年(昭和8年)4月に制度の原点となる陸軍飛行学校生徒が定められ、1940年(昭和15年)4月より正式に「少年飛行兵」の名称となり太平洋戦争(大東亜戦争)終結まで存在した。少飛と略称される場合がある。 (陸軍少年飛行兵 – Wikipedia)
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