北海道美幌町 美幌ユースホステル (田上義也)
北海道美幌町 美幌ユースホステル (田上義也)
美幌ユースホステルは、美幌町元町に建築された。敷地内には美幌開基記念碑がある。1887年 (明治20年) 10月12日は、美幌町はじまりの記念日である。 美幌ユースホステルの丘は、有田山 (ありたやま) と言われていたが、美幌町の加藤家の所有だった。敷地内には祖父が建立した稲荷神社 (正一稲荷大明神) があった。 美幌ユースホステルの設立のため、土地の一部を美幌町に寄付する。
関連記事
美幌ユースホステル(びほろユースホステル)は、かつて北海道網走郡美幌町に存在したユースホステル。 概要 / 本ユースホステルは、1965年10月、美幌町の誘致を受け日本ユースホステル協会が、北海道内では3番目のユースホステルとして設立した。ホテルの建物は、支笏湖ユースホステルや室蘭ユースホステルなどを設計した、北海道を代表する建築家である田上義也の設計である。設立当初は年間約5千人、ピーク時の1970年代前半には約1万人が宿泊した。 2004年、同協会は建物を美幌町に無償譲渡した。2013年3月31日、施設の老朽化並びに利用客減少などを理由として美幌町がユースホステル営業継続を断念し、47年の歴史に終止符を打ち廃館となった。 (美幌ユースホステル – Wikipedia
田上義也(たのうえ よしや Yoshiya Tanoue、1899年(明治32年)5月5日 – 1991年(平成3年)8月17日)は、日本の建築家、音楽家。 人物 / 栃木県那須郡西那須野村(現・那須塩原市)出身。本名吉也。 大正から昭和にかけて北海道を拠点に活躍した。若くしてフランク・ロイド・ライトの影響を受け、確な腕を持つ棟梁の小島与市との出会った。特徴的な要素を持つ、北海道の気候風土に根ざした洋風建築を数多く残している。 また、札幌新交響楽団の創立者でもあり、初代指揮者も兼務した。 (田上義也 – Wikipedia)
関連サイト
関連エントリ
ツイッター (Twitter)
フェイスブック (Facebook)
- 一つ新しい記事: 10月31日 ハロウィン (記念日)
- 一つ古い記事: 日本ユースホステル協会 (中山正男)
コメントをどうぞ
- お名前とメールアドレスは必ず入力してください。
(メールアドレスは管理者にのみ通知され、コメント一覧には表示されません) - いただいたコメントは管理者の承認が必要となる場合がありますのでご了承ください。
コメント
コメントはまだありません。