1880年10月25日、君が代のフランツ・エッケルトによる編曲の試演

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1880年10月25日、君が代のフランツ・エッケルトによる編曲の試演
October 25, 1880, demonstration of the arrangement by Franz Eckert of Kimigayo

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君が代
Kimi Ga Yo
Kimigayo
君が代(きみがよ)とは、日本の国歌である。 歌詞は『古今和歌集』の短歌の一つで、曲は1880年(明治13年)につけられた。以後、国歌として扱われるようになり、1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に国歌に制定された。 歴史(制定までの経緯): 明治維新から「君が代」制定まで: 1880年(明治13年)に宮内省式部職雅樂課の伶人奥好義がつけた旋律を一等伶人の林廣守が曲に起こし、それを前年に来日したドイツ人の音楽家であり海軍軍楽教師フランツ・エッケルトが西洋風和声を付けた。 1903年(明治36年)にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、「君が代」は一等を受賞した。(http://ja.wikipedia.org/wiki/君が代

フランツ・エッケルト
프란츠 에케르트
Franz Eckert (Komponist)
Franz Eckert
フランツ・エッケルト(Franz Eckert、1852年4月5日 – 1916年8月6日)は、明治時代の日本で活動したドイツの作曲家。 経歴: 1879年に来日する。1880年、奥好義・林廣守作曲、林廣守撰定の「君が代」に伴奏、和声を付けた。 1897年、英照皇太后の大喪の礼のために『哀の極』(かなしみのきわみ)を作曲した。(http://ja.wikipedia.org/wiki/フランツ・エッケルト

関連動画


日本国国歌 君が代 Japanese National Anthem Kimigayo (HD) – YouTube


Japanese spirit. Japan’s national anthem. High school girls sing. 【君が代/KIMIGAYO】 – YouTube

“Kimi Ga Yo” – Japan National Anthem Japanese & English lyrics – YouTube

葬送行進曲

エッケルト 《哀の極》 – YouTube

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2 件のコメント

  1. 近代日本の西洋音楽受容について、多少の文章を書き、講演もしている者です。

    このページのトップに出ている図は、1880年のものではなく、1888年(明治21年)に海軍が諸外国に配布したもの(オリジナルはドイツ語、ここでは英語版)です。
    (海軍だけが単独で出してしまった為、後から外務省や陸軍とモメたようですが…)

    1880年版と1888年版との違いは楽器編成にあります。
    当時の日本では演奏の難しいダブルリード楽器(オーボエとファゴット)を省いていたので、1880年版には含まれていません。
    1888年版は欧米諸国での演奏を前提としており、オーボエもファゴットも2本ずつ含まれていますが、当時の日本では実際には不可能でした。
    1892年の雅楽寮での洋楽演習でも、まだダメでした。(オーボエのパートはクラリネットが吹いた)

    ところが1897年(明治30年)の「哀の極」のスコアにはオーボエが2本入っています。
    これは英照皇太后の葬儀、つまり国内での実用目的の曲なので、この時には既にオーボエを2本そろえる事が可能だった事になります。
    この僅か5年間に、日本の管楽器教育は長足の進歩を遂げた事が分かるのです。

    通りがかり より 2015 年 2 月 25 日 01:02

  2. img_bihoro_song04_01.jpg

    美幌町の写真
    1907年(明治40年)、美幌青年楽団

    音楽動画:

    エッケルト 《哀の極》
    警視庁音楽隊
    F・エッケルト : 葬送行進曲『哀之極(かなしみのきわみ)』
    明治30年に英照皇太后の大喪に際して作曲され、明治天皇、大正天皇、そして、198­9年2月24日の昭和天皇の大喪の礼においても演奏され話題になった。
    chiharu kun – YouTube
    http://youtu.be/8E9Y2hJY6k8

    加藤 雅夫 より 2015 年 2 月 25 日 03:07

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