4月5日、「ニーハオ 鄧小平」 (上映のお知らせ)

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東京都文京区にある現代中国映画上映会(現中映)から 2014年4月上映会のニュースレターが送られてきました。 映画ファンにご案内いたします。

上映日、4月5日(土)
「ニーハオ 鄧小平」 (ドキュメンタリー)
「鄧小平」 (伝記映画)
「建国20周年 国慶節」 (記録 映画)

4月5日(土)《鄧小平》《ニーハオ鄧小平》《建国20周年国慶節》上映のお知らせ
現代中国映画上映会

現代中国映画上映会です。 次回の定期上映会は、4月5日(土)に、定期上映会が500回を突破してことを記念し《鄧小平》《建国20周年国慶節》など3作品を上映します。
上映作品は、その生誕100周年を記念して制作された大型伝記映画《鄧小平》、建国後の鄧小平の姿をまとめたドキュメンタリー《ニーハオ鄧小平》、“文革”中の1969年に開かれた建国20周年の国慶節の様子をまとめたドキュメンタリー《建国20周年国慶節》の3作品です。
特に《建国20周年国慶節》は九全大会で毛沢東の後継者に指名された林彪が行った演説を全て収録し、時代を感じさせる市民パレードが映し出されるなど大変歴史的に貴重なものとなっています。
《建国20周年国慶節》は昨年奇跡的に再発見されたフィルムを使用して上映を行います。歴史的に貴重な資料を永久保存するため今後の上映は行いません。この機会をお見逃しなくご覧下さい。 上映会場は文京シビックセンターの2階にあるシビックホール(小ホール)です。皆様のご来場をお待ち申し上げております。

第501回現代中国映画上映会(定期上映会)

上映作品: 記録映画 《ニーハオ鄧小平》
2004年/中央新聞記録映画制作所/35mm/カラー/ビスタサイズ
91分/中国語/日本語字幕スーパー
公映許可番号: 紀字(2004)第7号
原題: 小平您好 (Hello Xiaoping)
総監督: 徐海嬰 (シュー・ハイイン)
監督: 阮柳紅 (ルァン・リゥホン)、呂木子 (リュィ・ムーヅ)
脚本: 徐海嬰 (シュー・ハイイン)、阮柳紅 (ルァン・リゥホン)、呂木子 (リュィ・ムーヅ)
撮影: 新影撮影隊、何雄鷹 (フー・シォンイン)、朱奕 (ヂュー・イー)
解説: 易 (リー・イー)
録音: 瞿衛軍 (チュィ・ウェイヂュィン)、劉芳 (リゥ・ファン)
編輯: 蒋建偉 (ヂァン・ジェンウェイ)、安娜 (アン・ナー)

劇映画 《鄧小平》
2003年/珠江電影制片公司・電影頻道節目中心/35mm/カラー
シネスコサイズ/110分/中国語/日本語字幕スーパー
公映許可番号: 故字[2003]第1号
原題: 鄧小平 (Deng Xiaoping)
監督: 丁蔭楠 (ティン・インナン)
脚本: 龍平平 (ロン・ピンピン)、高屹 (ガオ・イー)、丁蔭楠 (ティン・インナン)
撮影: 沈星浩 (シェン・シンハオ)
美術:那樹楓 (ナー・シュフォン)
音楽: 程大兆 (チェン・ダーチァオ)
録音: 呉凌 (ウー・リン)、呉江 (ウー・ヂァン)
主演: 盧奇 (ルー・チー)、王蘇婭 (ワン・スーヤー)
劉殿臣 (リウ・ディェンチェン)、張云立 (ヂャン・ユンリー)、李晋明 (リー・ヂンミン)、
董世澤 (ドン・シーヅァー)、史崇 仁(シー・チョンレン)、李一清 (リー・イーチン)、
邸国強 (ディ・グオチァン)、張春祥 (ヂャン・チュンシァン)

記録映画 《建国20周年国慶節》
1969年/八一電影制片厂・中央新聞紀録電影制片厂/16mm/カラー
スタンダード/82分/中国語/日本語字幕スーパー
原題: 慶祝偉大的中華人民共和国成立20周年
監督: 共同監督
撮影: 中央新聞記録電影制片厂撮影隊

上映日時: 4月5日(土) 開場は各回上映開始の20分前、入替制
午後2:00 ニーハオ鄧小平
午後4:00 鄧小平
午後6:30 建国20周年国慶節

上映会場:文京シビックホール(小ホール)
(文京区役所がある文京シビックセンター2F)
東京メトロ丸ノ内線・南北線 後楽園駅 直結
都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅 直結
地図: http://www1.parkcity.ne.jp/gentyuei/civic.htm

会場費: 1200円(会員)、1600円(非会員)
入会金: 600円(一般会員、同時入会可、有効期間1年)

記録映画 《ニーハオ鄧小平》
 「世界の工場」といわれ、GDPで世界第2位、貿易量で世界第1位になった中国。その原動力となった改革開放政策は1978年に鄧小平が提唱したものである。本作は、鄧小平(1904-1997)の生誕100周年を記念して制作されたドキュメンタリー映画で、主に1952年以降に絞って紹介したものである。特に1978年以降の改革開放期における鄧小平を中心に、膨大な写真と記録映画やニュース映像で描いている。珍しい映像が随所に使われ、改革開放期の鄧小平を理解するのに役立つ貴重な作品である。
 1904年、四川省に生まれた鄧小平は若くして留学したフランスで共産主義に傾倒した。帰国した彼は共産党で活動し、工農紅軍や八路軍において政治部主任などを歴任した。長征にも参加し、1940年代前半は抗日戦争を戦い、1940年代後半の国共内戦では劉伯承と共に行動し、国民党軍を苦しめた。1949年10月1日の開国大典には戦場から駆けつけ、式典が終わるとすぐに西南戦線に戻った。建国後は政務院(のちの国務院)副総理として疲弊した中国を立て直すため邁進した。“文革”初期には劉少奇と共に失脚したが、1973年に復活し、国務院副総理として周恩来を支えた。
 1971年、国連に復帰した中国は1974年の国連総会に鄧小平を送り込み、彼は有名な『3つの世界論』を世界に提唱した。鄧小平は病気の周恩来を側面から支え、“文革”で混乱した中国を正常な状態に戻すため奔走した。“四人組”のため『1976年天安門事件』に連座したとして再度失脚させられた鄧小平は翌年には復活し、国務院副総理などの職務に復帰した。彼は中国共産党内における“文革”肯定派との激烈な論争に勝利し、1978年12月に改革開放に向けて中国の舵を切り直した。
直後には台湾政策を変更し、『三通』を提唱した(三通は30年後にようやく完全実現)。1981年には“歴史決議”で“文革”を総括し、1984年にはイギリスとの間での香港返還を巡る厳しい交渉過程で『一国二制度』を提案し、1997年7月1日の全面返還を勝ち取った。1987年にはポルトガルとの間で同方式での1999年12月20日のマカオ返還が約束された。
 彼が提唱したスローガンの一つが“実事求是”である。実践を通じて真理を追究するという意味であるが、鄧小平は改革開放や社会主義市場経済という大きな実践を通じて中国を政治中心の社会から市場経済中心の社会に変革させ、今や中国経済抜きで世界経済が語れないまでに至っている。こういった大きな功績を残した鄧小平は1989年には表舞台から退き、香港返還実現直前の1997年2月に93歳で亡くなった。
 本作の題名になった“小平您好”は1984年の国慶節に伴って行われた市民行進で掲げられた横断幕に書かれた有名な言葉である。

劇映画《鄧小平》
 1976年、丸10年にわたり中国を混乱に陥れた“文化大革命”が終結した。政治的失脚状態にあった鄧小平は中国南方でこのニュースを聞いた。しばらくして復職した彼は、危機に陥っている中国を救うべく立ち上がった。彼は、“4つの近代化”を実現するため、教育界から手を付けた。全国各地に眠る優秀な人材を集めるため大学入試を復活させた。優秀な青年たちがこれに応えた。復活後の統一入試は後世に語り継がれるものとなった。
 政治的教訓から前に出ることをためらう人が多くいる現状を打破すべく、鄧小平は“実事求是”というスローガンを発表した。実践こそが真理を確かめる唯一の方法だと説いたのだ。中国共産党内に反発が強かったが、ついに1978年末、“改革開放”政策が決まった。一方で、文革で犠牲になった人たちの名誉回復が次々に行われ、追放されていた人たちは元の職場に復帰し、下放されていた青年たちは親元へ帰ることができた。
 文革期に注目を浴びた大慶油田を視察した鄧小平は現場の労働者の賃金が能力に無関係なことを知り、給与改革に乗り出した。人々からやる気を引き出す手段が軽視されていたのを正したのだ。疲弊した農村では人民公社を廃して生産請負制が始まり、目覚ましい成果をあげ始めた。彼は言った。「貧乏は社会主義ではない、人々が豊かになってこそ国家も強大になれる」。
 鄧小平は日本各地を視察し、家電メーカーや自動車工場、製鉄所などを自分の目で見、その発展を実感した。アメリカでは飛行機工場や宇宙センターなどを見学し、世界と中国との差を思い知ることになった。
 1981年には毛沢東の革命を総括する“歴史決議”が採択され、社会主義の下で市場経済を発展させる基盤が整った。各地に経済特区が作られ、そのモデル地区になった深圳は小さな漁村からビルが建ち並ぶ巨大都市へと変貌した。
 鄧小平は厳しい交渉の後、1982年には香港返還問題を解決させ、1997年7月1日の全面返還が決まった。株式市場も開設され、ブームが巻き起こった。
 経済発展を確認し、1989年には隠居生活に入った鄧小平だったが、“六・四事件”の影響から発展が一時的にスローダウンしたのを感じ取った鄧小平は、1992年の春、列車に乗って中国南方を視察した。その行程で出された“南巡講話”により中国の経済発展は勢いを取り戻し、急速な回復を始めた。そして、中国は“世界の工場”といわれるまでに発展した。
 香港返還が間近に迫った1997年2月19日、鄧小平は93年の生涯を閉じた。
 今や“世界の工場”から“世界の市場”となり、経済の中で重要な位置を占めるまでに成長を遂げた中国経済。若干のスピードダウンはあるものの、毎年7%以上の成長を続けている。その原動力の基礎を作ったのが鄧小平である。解放戦争では卓越した戦術で国民党軍を苦しめ、建国後は経済面で新中国の成長に尽力した。

今回上映する《鄧小平》は劇場未公開作です(映画祭などでの特別上映を除く)。日本ではDVD類も発売されていませんので、この機会をお見逃しなくご覧下さい。
※《鄧小平》は上映会場で中国国内版のDVD(中英文字幕、NTSC)の販売がございます。

記録映画《建国20周年国慶節》
 1966年に突如始まった“文革”の混乱が一段落した1969年春に開かれた中国共産党第九期全国代表大会で毛沢東の後継者として指名された林彪は、“毛主席の親密な戦友”などとして共産党の実権を握った。2年後には今も謎が残る“林彪事件”を起こして墜死する林彪であるが、本作はこの年の国慶節で行われた林彪による記念演説の全てや、それに引き続いて行われた国慶節の人民パレードを収録したカラー記録映画である。今年で建国65周年を迎える中国だが、文革中に行われた45年前の国慶節式典の模様は歴史的にも非常に貴重な資料である。
 この記録映画には“林彪事件”に連座して失脚した数々の政治家や毛沢東夫人の江青の姿などが収められている。
 市民パレードに出てくる出し物や『人民公社は素晴らしい』『打倒アメリカ帝国主義』『打倒社会帝国主義』『必ず台湾を解放する』などといった勇ましいスローガンの数々は“文革”という時代を強く感じさせるものばかりである。
 モノクロ映画全盛の時期にあってオールカラーで撮影されたこの記録映画は国を挙げて祝う建国20周年への気概を強く感じさせるものとなっている。
 なお、今回の上映には廃棄直前に見つかったフィルムを利用します。歴史的資料を保存するため今後の再上映は行いません。中国国内でもDVDなどの形で見ることができないものです。この機会をお見逃しなくご覧下さい。

※各作品のスチール写真などは次をご覧下さい。
www1.parkcity.ne.jp/gentyuei/future.htm

上映会場はすべて文京シビックホール(小ホール)です。地図は次をご覧下さい。
http://www1.parkcity.ne.jp/gentyuei/civic.htm

発信者: 現代中国映画上映会

現代中国映画上映会 www1.parkcity.ne.jp/gentyuei/

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