南欧 カテゴリのアーカイブ

LA MUSICA E’ SACRA OPENING CONCERT

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カルロ・フォルリヴェジ
カルロ・フォルリヴェジ(Carlo Forlivesi, 1971年10月23日 – )はイタリアの現代音楽作曲家。ボローニャ出身。 日本政府文部科学省給費生として、東京音楽大学大学院で湯浅譲二に師事する。またアイヌ音楽の研究に取り組み、論文を発表する。 武満徹作曲賞入選。 現在西欧で最も活動的な現代音楽作曲家である。近年パリに活動の拠点を移し、ヨーロッパで活動する。

イタリアの現代音楽作曲家カルロ・フォルリヴェジ(Carlo Forlivesi)から ニュースレター「LA MUSICA E’ SACRA OPENING CONCERT」が送られてきました。

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池宮英夫さんから新曲アップのお知らせ。(2013年9月)

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Ikemy(池宮英夫)の新曲アップのお知らせです。日本および世界各国のMP3/ MIDI音楽愛好の皆様にご案内いたします。

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生没同日、8月29日に女優イングリッド・バーグマン

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「あれを弾いて、マサオ。『時の過ぎ行くままに』を」
“Play it, Masao. Play ‘As Time Goes By.”

「君の瞳に乾杯」
“Here’s looking at you, kid.”

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8月25日、マンドリンオーケストラで 細川ガラシャ

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細川 ガラシャ
細川 ガラシャ(伽羅奢、迦羅奢) / 明智 珠(明智 玉)(ほそかわ ガラシャ / あけち たま、永禄6年(1563年) – 慶長5年7月17日(1600年8月25日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。明智光秀の三女で細川忠興の正室。諱は「たま」(珠、玉)または玉子(たまこ)。キリスト教信徒(キリシタン)として有名。 明治期にキリスト教徒らが彼女を讃えて「細川ガラシャ」と呼ぶようになり、現在でもこのように呼ばれる場合が多い。 壮絶な最期: 「細川家記」の編著者は、彼女が詠んだ辞世の歌として、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」と記している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/細川 ガラシャ

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今日の音楽、「ドビュッシーのシランクス」(8月22日)

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クロード・ドビュッシー
クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 – 1918年3月25日)は、フランスの作曲家。 幼少期: ドビュッシーは1862年8月22日の午前4時半にイヴリーヌ県のサン・ジェルマン=アン=レーに生まれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ドビュッシー

ルイ・フルーリー
ルイ・フルーリー(Louis Fleury, 1878年 – 1926年)は、フランスのフルート奏者。 クロード・ドビュッシーからフルート独奏曲《シランクス》を献呈されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・フルーリー

シランクス
『シランクス』(フランス語: Syrinx)は、クロード・ドビュッシーにより1913年に作曲された無伴奏フルート作品。19世紀末から20世紀前半に活躍したフランスの名フルート奏者、ルイ・フルーリーに献呈された。 シランクスとは、ギリシャ神話のニンフにしてアルテミスの従者、シュリンクスの名をフランス語読みにしたものである。彼女は牧神パンに一目惚れされてにじり寄られ、恐怖に駆られて逃げ惑ううちに葦に姿を変えたと言い伝えられている。パンはその葦を手折って葦笛シュリンクスパンフルートを作り、自らのトレードマークとした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/シランクス

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中国の女性ギタリストスーフェイ・ヤン(楊雪霏、杨雪霏、Xuefei Yang)

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スーフェイ・ヤン – Wikipedia
スーフェイ・ヤン(楊雪霏、Xuefei Yang, 1977年 北京 -)は中国出身のギター奏者。日本語表記では、EMIミュージック・ジャパンからCDが発売される以前はヤン・シュエフェイまたは、シュエフェイ・ヤンとも呼ばれていた。輸入盤の販売サイトなどでは、シュエフェイ・ヤンが使用されていることが多い。
北京の中央音楽学院にギター専攻者として、初めて入学し、世界的にも注目され、中国のギターの英才教育のお手本となった。ワン・ヤンメン(王雅夢、Wang Yameng)、チェン・シャンシャン(陳册册、Chen Shanshan)、スー・メン(蘇萌、Su Meng)、リー・ジエ(李潔、Li Jie)といった超若手の中国女性ギタリストたちをリードする存在。
1989年、社団法人日本ギター連盟主催の第32回「東京国際ギターコンクール」に参加し、演奏を披露、特別賞を受賞。
1990年、大都市・北京でも、将来有望な少女ギタリストとして注目されるようになり、北京市長から表彰される。この年、北京の中央音楽学院附属中学に入学。在中国スペイン大使からコンサート・ギターの贈呈を受ける。
1991年2月、14歳でマドリッドでデビュー・コンサートを行い、ホアキン・ロドリーゴ(Joaquín Rodrigo)も聴衆のひとりとなる。
1995年、ジョン・ウィリアムズ(John Williams)が彼女の演奏を聴いた後、将来性を確信して、自分のスモールマン・ギターを寄贈。

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ドレミの日

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ドレミの日
6月24日、イタリアの修道士グイード・ダレッツォが「ドレミファソラシ」を利用した階名唱法を考案。(1024年)

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外務省からのメールマガジン「わかる!国際情勢、第64号」

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バチカン市国(バチカンしこく、ラテン語: Status Civitatis Vaticanæ、イタリア語: Stato della Città del Vaticano)、通称バチカンは、ヨーロッパにある国家で、国土面積は世界最小である。ヴァチカンやバティカン、ヴァティカンとも表記される。 日本の外務省は、ローマ教皇及びローマ教皇庁を総称した概念を法王聖座、ローマ教皇を国家元首とする独立国家をバチカン市国と呼び、その聖俗両面の総称をバチカンとしている。(Wikipedia

フランシスコ(羅: Franciscus、伊: Francesco、西: Francisco、英: Francis、1936年12月17日 – )は、第266代ローマ教皇(在位:2013年3月13日 – )。就任は3月19日であり、この日にサン・ピエトロ広場に於いて就任ミサを執り行った。(Wikipedia

外務省(MOFA)のメールマガジン「わかる!国際情勢」第64号(2013年6月21日発行)が送られてきました。日本及び世界各地の皆様へお知らせいたします。

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Año dual España-Japón (日本・スペイン400周年)

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支倉常長(Hasekura Tsunenaga、1571年 – 1622年8月7日)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。伊達氏の家臣。慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、ローマでは貴族に列せられた。(Wikipedia

慶長遣欧使節とは慶長18年(1613年)に仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、エスパーニャ帝国(スペイン)の国王フェリペ3世、およびバチカンのローマ教皇パウルス5世のもとに派遣した使節である。(Wikipedia

コリア・デル・リオ(Coria del Río)は、スペイン、アンダルシア州、セビリア県の自治体。 1614年、仙台藩の伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節が滞在したことで知られる。コリア・デル・リオにはJapón(ハポン、日本)の姓を持つ人が約700人おり、使節団の一員として来訪したまま現地に留まったキリスト教徒日本人、使節の現地人水夫、及びその支援者の子孫達と考えられている。 2013年6月、徳仁皇太子がコリア・デル・リオを訪問し、植樹式を行なった。(Wikipedia

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カジュアルのクラシックスコンサート(びほーるで)

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ジュリオ・カッチーニ(Каччини, Джулио) – Wikipedia
“カッチーニのアヴェ・マリア”実際には1970年頃ソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフ(Vladimir Vavilov 1925-73)によって作曲された歌曲である

ウラディーミル・ヴァヴィロフ(Вавилов, Владимир Фёдорович) – Wikipedia
《カッチーニのアヴェ・マリア》ヴァヴィロフ自身は作者不詳としていたが、いつの間にかジュリオ・カッチーニ作として定着した。

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