終戦 の検索結果: 76 件

ああ、戦後75年 終戦の日 終戦記念日

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終戦の日 一般に第二次世界大戦の終戦を記念する日、日本では毎年8月15日 / 日本の終戦記念日 / 日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日(せんぼつしゃをついとうしへいわをきねんするひ)」とし、全国戦没者追悼式を主催している。一般にも同日は終戦記念日(しゅうせんきねんび)や終戦の日(しゅうせんのひ)と称され、政治団体・非営利団体(NPO)等による平和集会が開かれる。 (終戦の日 – Wikipedia)

関連サイト

戦後75年 戦争を語り継ぐ 吉永小百合の思い – 記事 – NHK クローズアップ現代

WEB特集 戦後75年 母と信じた人は別人だった | NHKニュース

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美幌海軍航空隊 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

戦後75年 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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2019年(令和元年) 終戦の日 (8月15日 日本)

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2019年(令和元年) 終戦の日 (8月15日 日本)

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終戦の日(しゅうせんのひ)は、一般に1945年(昭和20年)の戦争が終結した日をさす。本項目では各国における第二次世界大戦の終結(終戦)を記念する日について解説する。 日本の終戦記念日 / 日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日(せんぼつしゃをついとうしへいわをきねんするひ)」とし、全国戦没者追悼式を主催している。一般にも同日は終戦記念日(しゅうせんきねんび)や終戦の日(しゅうせんのひ)と称され、政治団体・非営利団体(NPO)等による平和集会が開かれる。 (終戦の日 Wikipedia)

日本の降伏(にっぽんのこうふく、にほんのこうふく)とは、通常、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の日本による「ポツダム宣言」受諾(1945年8月14日)から降伏文書署名(1945年9月2日)に至るまでの過程を指す。以下、日本および日本の各占領地における経過を説明する。 (日本の降伏 – Wikipedia)

全国戦没者追悼式(ぜんこくせんぼつしゃついとうしき、英語: Memorial Ceremony for the War Dead)は、日本国政府の主催で1952年(昭和27年)以後行われる式典。1965年(昭和40年)以降は東京都千代田区の日本武道館で毎年8月15日に行われる、第二次世界大戦の日本人戦没者に対して宗教的に中立な形で行われる追悼式。 (全国戦没者追悼式 – Wikipedia)

関連サイト

戦没者慰霊(忘れてはならない4つの日) – 宮内庁ホームページ

終戦の玉音放送 – 宮内庁ホームページ

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戦時に動物園で動物処分 – 美幌音楽人 加藤雅夫

全国戦没者追悼式 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

日本の降伏 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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8月15日 日本の終戦の日に寄せて | 緑十字飛行・緑十字機 泉谷むつみ

8月15日 日本の終戦の日に寄せて | 緑十字飛行・緑十字機 泉谷むつみ

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緑十字飛行(みどりじゅうじひこう)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦連絡事務処理のため、1945年(昭和20年)8月14日から同年10月10日まで日本機でもって行われていた行為の呼称。また、本航空運行に使用された機体は緑十字機と称される。 概要 / 由来 / 1945年8月14日のポツダム宣言受諾により、後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)最高司令官となるダグラス・マッカーサーは、日本の大本営に対し、日本政府、大本営の代表使節団のアメリカ領マニラへの派遣を要請した。混乱を避けるため、マッカーサーは、代表使節団の使用機材、外装、通信波長に至るまで細かく指定し、機体の塗装に関しては『全面を白色に塗り、胴体の中央部に大きな緑十字を描け』とした。「緑十字飛行」「緑十字機」という名称はこれに由来する。 (緑十字飛行 – Wikipedia)

関連動画

月の鮫島海岸 (緑十字機 決死の飛行) – YouTube

関連サイト

緑十字機の詳細内容 | 太平洋戦争と歴史

緑十字機が歌になりました – ただ若き日を惜しめ (緑十字機決死の飛行)

「緑十字機」の歴史を歌に 作曲の泉谷さん、継承イベントで披露 | 静岡新聞アットエス

株式会社舎鐘 長谷川玲子アナウンス事務所 「泉谷 むつみ プロフィール」

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テレビ番組「映画音楽」お知らせ・ニュース (泉谷むったん・泉谷むつこ) – 美幌音楽人 加藤雅夫

飛騨古川で、武満徹生誕80年記念演奏会 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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8月15日 終戦の日 (日本)

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8月15日 終戦の日 (日本)

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記念日 8月15日 / 終戦記念日,敗戦記念日,全国戦没者追悼式 / 1945年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられた。これにより第二次世界大戦が終結した。内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人だった。1982年4月の閣議決定により「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」となった。1963年から毎年、政府主催による「全国戦没者追悼式」が行われ、正午から1分間、黙祷が捧げられる。8月15日 歴史 / 1945年 宮城事件。前日深夜、陸軍軍務局員の畑中健二少佐らが終戦阻止の為に近衛師団を動かし皇居と東京放送局を占拠。早朝鎮圧される。8月15日 歴史 / 1945年 早朝、陸軍横浜警備隊長・佐々木武雄大尉が終戦阻止の為に横浜高工の学生らを率いて首相公邸・首相私邸・内大臣邸などを襲撃。8月15日 歴史 / 1945年 正午、昭和天皇の「戦争終結の詔書」の放送(玉音放送)。
(8月15日 今日は何の日~毎日が記念日~)

8月15日 できごと / 1945年 – 第二次世界大戦: 正午、昭和天皇が「戦争終結の詔書」を読み上げる玉音放送により、ポツダム宣言{正式には日本への降伏要求の最終宣言(Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言}を受諾・連合国への降伏がラジオと新聞で日本国民に伝えられる(日本の終戦の日)。8月15日 記念日・年中行事 / 第二次世界大戦終結の日なので、多くの関係国で記念日になっている。ただし、ポツダム宣言の基づく日本が降伏文書に調印した9月2日前後としている国家も多い。終戦の日・戦没者を追悼し平和を祈念する日(日本) / 日本で、1945年8月15日の正午に、天皇による終戦の詔書のラジオ放送(玉音放送)が行われ、国民にポツダム宣言受諾が伝えられた。1963年以降、毎年この日に「全国戦没者追悼式」が行われる。 (8月15日 – Wikipedia)

終戦の日(しゅうせんのひ)は、一般に戦争が終結した日をさす。本項目では各国における第二次世界大戦の終結(終戦)を記念する日について解説する。概要 / 伝統的な戦時国際法において、休戦協定の合意は口頭による同意によれば良く文書の手交を要件としない。このため、休戦が協定された日と休戦協定が外交文書(降伏文書)として固定された日は異なり、実際に各地の戦線で休戦が合意された日もまた異なる。対日戦勝記念日とされる場合、通常は、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日を指すことが多い。なお、同じく連合国の中華民国やソビエト連邦、連合国ではない中華人民共和国とロシア連邦の対日戦勝記念日は、その翌日9月3日である。日本の終戦記念日 / 日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。一般にも同日は終戦記念日や終戦の日と称され、政治団体・NPO等による平和集会が開かれる。 (終戦の日 – Wikipedia)



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終戦の日 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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この歌と語りに耳を傾けてください!(終戦記念日に)

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今日(8月15日)は、終戦記念日。(日本) 

日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催している。正午から1分間、黙祷が捧げられる。(Wikipedia) 

写真は、玉音盤(玉音放送で流された、天皇の肉声(玉音)を録音したレコード盤)。(NHK放送博物館所蔵) 

音楽動画は、花嫁人形。(歌:倍賞千恵子) 

終戦記念日 のニュースブログ(Google 検索) 

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連載 語り継ぐ戦争、「終戦の痛恨の夏めぐり来て燃える夕陽がしづかに没む」(伝書鳩Web)

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終戦の日に寄せて:ハトはオリーブと共に平和の象徴。日本では童謡の『鳩』や滝廉太郎の『鳩ぽっぽ』がある。リベラルの友愛鳩は飛び去った。
「月天心 貧しき町を 通りけり」(蕪村)
「月天心 哀しき者に 語りけり」(雅夫
(人々が健康で平和を感じることができるのなら、貧乏な国でよいのではないか)

写真: 白い伝書鳩(White Homing pigeon)、ノアとハトのモザイク画(Wikipedia

(さらに…)

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日本中国文化交流協会編集月刊誌・日中文化交流 (2021年11月1日 発行)

日本中国文化交流協会編集月刊誌・日中文化交流 (2021年11月1日 発行)

日本中国文化交流協会編集月刊誌「日中文化交流 No.908 2021年11月1日発行」と、人民中国雑誌社の「人民中国 2021年11月号」が送られてきました。日本と中国の皆様へご案内いたします。もし、ご関心がおありでしたら、日本中国文化交流協会へご連絡いただければ幸いです。一般財団法人 日本中国文化交流協会の会員 加藤雅夫 (北海道網走郡美幌町の音楽人 Masao Kato)

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『日中文化交流』 No.908 2021.11.1 目次 / 中国東北で終戦直後を生きた 三木卓 / 第2回日中伝統芸能オンライン交流会 / 報道 (『日中文化交流』誌 目次一覧 – 日本中国文化交流協会)

一般財団法人日本中国文化交流協会(にほんちゅうごくぶんかこうりゅうきょうかい)は、日中友好7団体の一つで民間法人。 経緯 / 1956年3月23日に東京で設立された。 本部所在地 / 東京都千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビルデング423 役員 / 会長 黑井千次 副会長・理事長 池辺晋一郎 活動 / 日本と当時まだ国交が無かった中華人民共和国との間での文化交流のための代表団を相互往来させている。また、各種展覧会や学術討議会を相互開催している。 関連項目 / 以下の4人が、設立に中心的な役割を果たした。中島健蔵 仏文学者、千田是也 演出家、井上靖 作家、團伊玖磨 作曲家。 (Wikipedia)

関連サイト

日本中国文化交流協会

一般財団法人 日本中国文化交流協会のフエィスブック

関連エントリー

中国琵琶演奏家ジャンティン(蔣婷) – 美幌音楽人 加藤雅夫

團伊玖磨 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

日中文化交流 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

日本中国文化交流協会 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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令和3年 道俳句会北見支部作品一覧

令和3年 道俳句会北見支部(月曜会、水曜会、水無月会)作品一覧

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伝書鳩文芸 俳句
道俳句会北見支部 八月作品
頬ずりの仔牛市場へ夏の朝 渡部彩風
賑やかに花屋の棚や吾亦紅 山崎北郎
密咲けて場所は明かさぬ大花火 渡部三重子
緑陰や歴史を学ぶ野付牛 土門喜楽
里帰り物置と化す夏座敷 浜田艶花
朝庭の元気印は向日葵よ 杉田とよ
ねこじゃらし風に抗うすべ知らず 青木菜々
生身魂次々と出る武勇伝 樽石リカ
蓮花や満面の笑み空に向け 坂井りんご
母の忌や色深めゆく吾亦紅 村井直子
茄子漬や空家に風の吹き渡る 佐竹亮仁
噴水の中の子供ら母見つむ 佐々木美佐雄
校舎まで響く興奮初プール 斉藤のばら
終戦日今も忘れぬ軍歌あり 中村セツ子
墓洗う父の名前をなぞりつつ 国奥純子
コロナ禍や所告げずに遠花火 越智トヨミ
今日ひと日浮かばぬ思案溽暑かな 松田さち子
選手達ひたすら盛夏擦り抜けし 北川ゆみ子
麦秋の空駆けぬけて会いに来よ 田之上征春

伝書鳩文芸 俳句
道俳句会北見支部五月作品
強風や過呼吸ぎみの鯉のぼり 村井直子
師の声の黄泉より届く花筏 渡部彩風
枝ごとに風を招きて雪柳 山崎北郎
たんぽぽの根は漢方としたり顔 渡部三重子
畝ごとにシートの重き春の土 土門喜楽
男泣き夕餉一品山葵かな 浜田艶花
最北へ桜前線たどり着く 杉田とよ
種袋供花になるもの選びおり 青木菜々
羊刈るプロレスの技時々に 樽石リカ
風強き一日にして桜散る 吉崎きえ子
老いてなお鍬持つ姿春田かな 坂井りんご
芝桜白球追いし子らの夢 佐竹亮人
ホールインワンパークゴルフや揚雲雀 佐々木美佐雄
ペダル漕ぐポニーテールや若葉風 斉藤のばら
青き踏む己が気力のよみがえる 中村セツ子
端見えぬ畝をたよりに薯を植う 国奥純子
ピアソンの愛を育む若葉風 松田さち子
母の日の母の笑顔母慕ふ 北川ゆみ子
夏来れば夏の顔して埴輪かな 田之上征春

伝書鳩文芸 俳句
道俳句会北見支部 四月作品
新若布ぱつと華やぐ浅みどり 村井直子
くろ土の田畑の起伏麦青む 渡辺彩風
生き生きとコバルトの空冴え返る 山崎北郎
草萌ゆる眩しき今のままがいい 渡部三重子
入社式わが初陣の名刺かな 土門喜楽
鳥の餌のひまわり蒔きて発芽かな 浜田艶花
沖合の白と青との寒の明け 杉田とよ
苗札のカタカナばかり並びおり 青木菜々
ふきのとう杖なき方の手に一つ 樽石リカ
常呂川広き川辺の忘れ雪 吉崎きえ子
砂ぼこり窓震わせて春疾風 坂井りんご
コロナ禍の何処吹く風や桜吹く 佐竹亮仁
卒業生力任せのボウリング 佐々木美佐雄
退職の派手な見送り山笑う 斉藤のばら
山笑う足の向くまま歩をのばす 中村セツ子
春狭門今はなき家あのあたり 国奥純子
たくましや歩道のひびの蕗の薹 越智トヨミ
母さんと呼んで駆け寄る蕗の薹 松田さち子
早朝の四月の雪は身に堪え 北川ゆみ子
春めきし紅き鼻緒の巫女溜まり 田之上征春
ものの芽や柔らぐ日差し野仏に 田中美津子

伝書鳩文芸 俳句
道俳句会北見支部 三月作品
春愁ひこれは大人の第一歩 村井直子
筑港の海開け近き化粧船 渡部彩風
アポロンを恋うて風船一人旅 山崎北郎
木の芽時素直に聞ける褒め言葉 渡部三重子
検温のかすかな音や春浅し 土門気楽
流氷のかもめ群がる切れ間かな 浜田艶子
早十年忘れないでね春の地震 青木菜々
千本の棒鱈揺する浜の風 樽石リカ
雪しんしん別れのことば無くていい 吉崎きえ子
桜咲く吉野の山よいつか見ん 坂井りんご
水温む孫とじいさん汽車の旅 佐竹亮人
春疾風山を映さぬ富里湖 佐々木美佐雄
被災地の十年早し春の海 斉藤のばら
絶え間なき軒の雫や春の雪 中村セツ子
冴返る靴下を編む母の居て 国奥純子
雪解坂俄か小川に陽が零れ 越智トヨミ
のどけしや鳥語とび交う森の朝 松田さち子
下萌えのピアソン館の景を待つ 北川ゆみ子
観世音白の余寒を手の先に 田之上征春
行く先は大河を目指す川氷 田中美津子

伝書鳩文芸 俳句
道俳句会北見支部 二月作品
再婚の知らせ届くや桃の花 村井直子
枝折れの古木に確と冬木の芽 渡部彩風
流氷の居酒屋に灯の漁師町 山崎北郎
流氷や感嘆の声異国語も 渡部三重子
球児らの闘志燃やして春を待つ 土門喜楽
寒明けや油断ならない水落し 浜田艶花
凍道のあわやの転倒持ちこたえ 杉田とよ
ひらめきの一句忘れし寒波くる 青木奈々
味噌搗きの靴は借り物「とみ子」の名 樽石リカ
朝一やストーブ前の座席とり 坂井りんご
立春の光集めて雀群れ 佐竹亮人
糖業の煙横たう大寒波 佐々木美佐雄
雪しまき大安売りの旗騒ぐ 斉藤のばら

関連サイト

北見市生涯学習 令和3年発行 団体・指導者ガイド

関連エントリー

伝書鳩文芸 の検索結果- 美幌音楽人 加藤雅夫

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ああ、戦後75年 陸軍少年飛行兵について 長屋昭次 (北海道 美幌町出身)


ああ、戦後75年 陸軍少年飛行兵について 長屋昭次 (北海道 美幌町出身)

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特攻で散った先輩偲び… 2020/08/06掲載(網走市/話題) 網走の男性(93) / かつての日本軍が所有していた戦闘機などの模型の収集を続ける、網走市の男性(93)。15歳からの2年半、陸軍パイロットとして訓練を受けた経験を持つ。これまでに集めた模型は約230機。特攻隊員として命を落とした先輩たちを「いまだに忘れられません」と偲ぶ。 戦闘機の模型を収集 ずらり230機 / 男性の自宅に並ぶ模型専用の陳列棚。かつての日本陸軍や海軍が所有していた戦闘機、爆撃機、練習機などがきれいに整列されている。外国軍隊所属の飛行機も含まれる。「おそらく、日本軍の飛行機はすべて収集できたと思っています」 模型の大半は通信販売で購入した。つい先日も1機を手に入れた。 飛行機模型の収集は30年ほど前から本格化した。きっかけの一つに、若かりし頃の自分の苦い経験がある。 美幌町で生まれ、15歳の時に陸軍少年飛行兵に志願。狭き門の試験に合格し、16期生として2年半の訓練に励んだ。実戦経験を踏まないまま、現在の韓国蔚山にあった練習飛行場で終戦を迎えた。 男性の先輩となる同飛行兵15期生の一部は、特攻隊員として命を落とした。「今でも先輩たちのことは忘れられない」 戦闘機などの陳列棚は、自宅の茶の間や玄関、階段の踊り場などに置かれている。集めた模型を横目に「2年半の訓練は鮮明に覚えている。大変な経験をしたが、当時の訓練の詳細を簡単には説明できないですね」 男性は復員兵として帰国後、網走刑務所の刑務官となった。在職中に社会保険労務士などの資格を取得し、定年退職した60歳の時に開業。いまだに現役だ。 特攻で散った先輩、苦しかった飛行隊での訓練などを踏まえ、「多くの人のおかげで今日があります」と感謝の日々を送っている。(大) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

陸軍少年飛行兵(りくぐんしょうねんひこうへい)とは、日本陸軍の航空兵科現役下士官となるため、10代の男子志願者から選抜されて陸軍の航空関係諸学校で教育を受ける者。1933年(昭和8年)4月に制度の原点となる陸軍飛行学校生徒が定められ、1940年(昭和15年)4月より正式に「少年飛行兵」の名称となり太平洋戦争(大東亜戦争)終結まで存在した。少飛と略称される場合がある。 (陸軍少年飛行兵 – Wikipedia)

関連サイト

長屋昭次社会保険労務士事務所

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奉迎 天皇皇后両陛下御来町(北海道網走郡美幌町)


奉迎 天皇皇后両陛下御来町(北海道網走郡美幌町)

美幌町立美幌小学校の一年生の私は、最前列で日の丸の旗を振って歓迎した。

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千載一遇の歓喜 豊田町長謹話 町民と共に奉迎 / 十三日天皇、皇后 両陛下の御来町に当たり、豊田町長は十一日次のように謹話を述べている。 天皇、皇后両陛下におかせられましては終戦後はじめて北海道御巡幸を遊ばされることになり八月十三日函館に御上陸、広く道内各地の産業、経済、民情を御観察なさいますが幸いに八月十三日美幌駅前奉迎場に両陛下お揃いで御立寄り戴くことになりましたことは無上の光栄であり感激を深く致している次第でございます。千載一遇とも申すべきこの歓喜を二万五千町民ならびに近隣町村の住民と共に心から御奉迎申し上げ、かつ無事に行幸啓を終えさせられて御還幸なさいますようにお祈り致します。 (1954年(昭和29年)8月11日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

両陛下奉迎台に立つ とどろく万歳と旗の波 / 天皇、皇后両陛下御来町の十三日は測候所の天気予報をつがえして、いんうつな雨模様はあとかたなく消え去り、満天の青空という絶好の日和に恵まれ、町内は早朝から日の丸の旗に彩られ、駅前奉迎場には午前七時ころから歓迎者が続々とつめかけ、午前九時三十分ごろは千五百坪の広場も沿道も押し寄せた人波で身動きもできないほどであった。 定刻午前十時九分お召し列車が第二ホームに御到着と同時にお祝いの花火が高々と打ち上げられ、木下美幌駅長先行船津旭鉄管理局長御先導で駅正面玄関お姿をみせ林津別町長の御案内で奉迎台にお上りになった両陛下のお顔は長旅の御視察に日焼けが目立つほどであった。とりわけ皇后様にはきょうまで御風邪を召され御安否が気づかっていただけに奉迎者に安ど感を與えるいとまなく自衛隊美幌部隊の音楽隊が奏でる「君が代」斉唱に両陛下は微動もせずお立ちになり、豊田美幌町長の発唱による万歳三唱、これに和する一万数千の奉迎者がのどもさけよとばかりの万歳とちぎれるばかり打ち振る小旗に天皇はカンカン帽を三度、四度振られて応えられ、また皇后もにこやかに御会釈され、午前十時十七分花火の合図とともに美幌駅を離れられたが、両陛下は車窓にお立ちになり奉迎者の歓送するなかを網走市へ向かわれた。 (1954年(昭和29年)8月14日 美幌新聞 発行人 大庭不二雄)

昭和天皇 日本の第124代天皇 / 昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位:1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は裕仁(ひろひと)、称号は迪宮(みちのみや)。お印は若竹(わかたけ)。 第二次世界大戦前に即位し、日本が復興するまで60年余りに亘って在位し、帝国憲法に定められた「統治権の総攬者(そうらんしゃ)=立憲君主」としての天皇と日本国憲法に定められた「象徴天皇」の両方を経験した。 (昭和天皇 – Wikipedia)

香淳皇后 日本の女性皇族 / 香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6日 – 2000年〈平成12年〉6月16日)は、日本の第124代天皇・昭和天皇の皇后(在位:1926年〈昭和元年〉12月25日 – 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は良子(ながこ)。お印は桃。 (香淳皇后 – Wikipedia)

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天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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