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井上伝蔵 の検索結果: 3 件
北海道北見市の歴史講演会「野付牛の井上伝蔵一家」
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23日・歴史講演会 北見市立中央図書館で 講師は「北見のあれこれ」執筆者・田丸誠さん / 秩父事件の首謀者の一人 井上伝蔵と家族の波乱の人生に迫る 没後100年 / 「秩父事件」の首謀者の一人、井上伝蔵をテーマに北見市立中央図書館主催の歴史講演会が23日(土)午後1時半から、同館で開かれる。講師は、広報きたみに連載されている「北見の歴史あれこれ」コーナーの執筆者・田丸誠さん。聴講無料。希望者は当日、会場へ。自由民権運動末期の1884年に埼玉県秩父地方の農民らが借金の減免などを求め武装蜂起した事件。井上は死刑判決を受けたものの北海道に渡り、1918年6月23日に現在の北見市内で死亡した。同館は、井上の没後100年に合わせて講演テーマを決定。命日の6月23日、田丸さんが映像と写真を交え、井上と家族の波乱の人生を紹介する。すでに配布されている広報きたみ6月号の北見の歴史あれこれのテーマも、井上伝蔵となっている。問い合わせは同館(TEL 0157-57-4646)へ。 (匡) (2018年6月18日の記事 経済の伝書鳩)
終焉の地・北見で歴史講演会 / 井上伝蔵 没後100年 / 「北見の歴史あれこれ」の田丸誠さん 伝蔵一家の波乱の人生語る / 歴史講演会「野付牛の井上伝蔵一家」が23日、北見市立中央図書館で開かれた。広報きたみに連載中の「北見の歴史あれこれ」の執筆者・田丸誠さんが講師を務め、伝蔵一家の波乱の人生を語った。伝蔵は、自由民権運動末期の1884年に埼玉県秩父地方の農民らが借金の減免などを求めて武装蜂起した秩父事件の首謀者の一人。死刑判決を受けたものの北海道に逃亡、1918年6月23日に現在の北見市内で死亡した。講演では、田丸さんが伝蔵一家の北見での暮らしぶりなどを映像と写真を交えて解説。伝蔵は北海道で伊藤房次郎と名乗っていたが死の直前、家族に正体を明かしたというエピソードなどを紹介した。また、伝蔵にスポットを当てた映画『草の乱』(2004年公開)の撮影が市内で行われる可能性があったと説明。田丸さんは当時、市役所で市史編纂業務を担当していた縁から、市内でロケ地を探す映画製作の関係者を案内したことを明かした。この講演は、今年が伝蔵の没後100年に当たることから、命日の6月23日に合わせて企画された。100人を超える聴衆が訪れ、真剣に耳を傾けた。(匡) (2018年6月29日の記事経済の伝書鳩)
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北見市立中央図書館 北見の歴史講演会「野付牛の井上伝蔵一家」を開催します ー 北見市
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北海道地域の文芸誌・文芸北見について
北海道地域の文芸誌・北見文芸について
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連載 地域文芸誌「文芸北見」㊤ 2020/01/16掲載(北見市/本誌連載・文化) 今年50号発行を予定 / 地域文芸誌「文芸北見」は今年、50号が発行される。1971(昭和46)年に創刊し、およそ年1回刊行、投稿者数は述べ1万3千人を超える。編集長(84)は「50年、感慨深いものがあります。どれも印象深い作品ばかり。文化的な資料としても貴重なものになっていると思います」と話す。(菊)
1971年創刊、投稿者数は述べ1万3千人超 自らの作品発表する最高の場 文化的資料としても貴重なもの / 編集長は、27号から編集委員、34号から事務局長、47号から編集長も兼務する。作品に目を通していると「どの作品も印象深いですし、思いを込めて書かれているので、読んでいると引き込まれます」という。創刊号が発刊された当時は、高度経済成長の勢いがあった時代。目次には実行委員長の林白言氏らそうそうたる面々の名前が並ぶ。創刊号の巻頭を飾る小池喜孝氏の「井上伝蔵の足跡を追って」を始まりとし、当時から現在まで脈々と受け継がれていることがあるという。それは、48号の『佐呂間町栃木歌舞伎の盛衰』、49号の『蛙声の記憶』といった地域の郷土史、民衆史を扱った作品が毎回のように投稿されていること。「記録として載せておきたいという人もいるかもしれません。伝統になっていると言ってもいいのではないでしょうか」と考える。郷土史・民衆史以外にも、創作(小説)、評論、ルポルタージュ、詩、短歌や俳句と内容は幅広く、毎回投稿する人も多い。中でも投稿の8割が短詩(俳句、短歌、川柳)。熱心に投稿する人が特に多く「みなさん、一生懸命やってくれています」と感謝する。「多くの作品を自由に発表する場をつくる」という考えのもと、基本的にはすべての作品を掲載する。読まれる文芸誌として一定のレベルを保つため、書き直しや希望者への添削も行う。その成果か、文芸北見投稿者の中にはこれまでに、道内外の公募展での入賞や、掲載作品などをまとめて出版している人もいる。また、理由は不明だが、48号は人気で各書店で売り切れが続出したという。自らも作品を投稿する編集長は「言葉を使った表現は、人に伝えようと整理することで、自分自身も見つめ、知ることができる。文芸北見は、人に伝えたいという思いが実現できる、作品を発表する場としては最高だと思います」と胸を張る。大きな節目となる50号に向け「記念の特集号にしたいと思ってます。多くの投稿を期待したい。今後も細く、長く続けていけたら」と話している。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
連載 地域文芸誌「文芸北見」㊦ 2020/01/20掲載(北見市/本誌連載・文化) 今年50号発行を予定/ / 「文芸北見」は、北見文化連盟初代会長の故・林白言氏が実行委員長になり、創刊。林氏は文芸北見の創刊号で「この地方で文学をめざし、文芸を愛好するすべての人々のものである」と書いている。また、「平和的な文学の研鑽の場であり、その試験場でもある」とも記している。
初代実行委員長は故・林 白言氏 投稿者、愛読者に支えられた半世紀 文芸愛好するすべての人々のもの / 創刊号の表紙は、薯版画家として知られる香川軍男氏の薯版画。題字は、当時の北見市長・宇佐美福生氏が担当した。内容は、小池喜孝氏の「井上伝蔵の足跡を追って」、林白言氏のルポルタージュ「梅田事件」などで、当時は大きな話題となった。1995(平成7)年に林氏が亡くなり、同年12月発行の文芸北見26号は「故 林白言氏を偲ぶ」と題した特集が組まれ、これまでに文芸北見や林氏に関わってきた多くの人達が思い出などを寄稿し、別れを惜しんだ。表紙は2号以降、管内の作家の描いた風景画などを採用。近年はオホーツク美術展の出品作品の中から選んでおり、それぞれ地域の風景などを描いた特色ある表紙になっている。また、5号からは優れた作品を表彰する文芸北見賞を設け、授賞式と合評会を開いてきた。受賞者に贈られるメダルは香川さんの薯版を元にした特注品で、好評を得ているという(写真)。投稿者数の平均は11~31号では300人余りで、中でも23号はこれまでで最も多い378人が参加。現在では100~200人が投稿している。一般投稿は高校生以上が対象だが、47号からは北見市小中学生俳句コンクールの入選作品を掲載。より幅広い年齢の作品が楽しめるようになった。廃刊になる地方文芸誌が増えている中、多くの投稿者、愛読者に支えられて今年、50年、50号を迎える。(菊) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
文芸北見の実行委・編集委が合同会議 2020/01/20掲載(北見市/文化) 50号の節目に導入 / 文芸北見発刊実行委員会(平野温美実行委員長)の実行委員と編集委員を集めた合同会議がこのほど、北見市民会館で開かれた。
「掲載料と本誌贈呈」新システム / 昨年7月発刊の第49号に関する報告に続き、今年発刊予定の第50号から実施する「掲載料と本誌贈呈」の新システムについて説明したほか、50号の節目の記念事業などを提案。また「ここ数年のマイナス決算を補うためにも企業や団体に協賛広告をお願いしたい。継続していくためにご理解と積極的な声がけの協力を」と呼びかけた。「掲載料と本誌贈呈」の新システムは、昨年の合同会議で提案し承認された。これまでは前納した掲載料が発刊後に受け取る規定冊数の代金を兼ねていた。新システムでは、掲載の記念として従来の半分の規定冊数が贈呈される方式へと変わる。受け取る冊数は減るが、投稿料が2割安くなるため投稿者の裾野を広げる一助にもなると期待されている。平野実行委員長は挨拶で「寄稿してくれる人がいて、編集してくれる人がいて、本を読んでくださる方がいてこれまで続けてこられた。50号に向けて、足並みを揃えていきたい」と話していた。(公)
「文芸北見」第50号 / 掲載作品を募集中2月28日締め切!り 文芸北見発刊実行委員会は、今年7月1日発行予定の地域文芸誌「文芸北見」第50号に掲載する作品を募集している。対象は16歳以上の管内在住・出身者か、ゆかりのある人。締め切りは2月28日。募集内容は、創作、児童文学、評論、自分史や随筆、詩、短歌・俳句・川柳など。原稿用紙(400字詰め)で長編は26~50枚、中編は5~25枚、随筆は4枚以内、詩は3枚以内で、所定の応募票を原稿に添付して投稿。短歌・俳句・川柳は専用の原稿用紙で投稿。USBメモリでの入稿も受け付けるジャンルごとに掲載料が異なり、掲載の記念に規定の冊数が贈呈される(高校生は投稿無料だが贈呈なし)。問い合わせはNPO法人北見文化連盟内の同実行委(0157・22・0099)へ。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)
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「想いだすことみな悲し秋の暮」 (柳蛙)
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井上 伝蔵(いのうえ でんぞう、Denzo Inoue、安政元年6月26日(1854年7月20日) – 大正7年(1918年)6月23日)は、秩父事件の中心人物の一人。人物 / 井上類作の次男として武蔵国下吉田村(のちの埼玉県秩父郡吉田町、現秩父市)に生まれる。幼名は治作。長男が早くなくなったため、商家「丸井」を継ぎ、代々の「伝蔵」を名乗る。商用で上京するうち自由民権運動に共鳴し、自由党に入る。1884年(明治17年)11月に起きた秩父事件では会計長を努めた。秩父事件敗北後、逃亡。欠席裁判で死刑の判決を受けたが、北海道に潜行していた。北海道石狩で代書屋を開業、1905年(明治38年)「代書人取締規則」の施行で規制が強化され、逃亡中の身であり身分証提出ができず代書業を廃業せざるを得なかった。伝蔵は1918年(大正7年)、野付牛町(現・北見市)で、秩父から呼びよせた先妻や、変名(伊藤房次郎)のまま結婚した妻と子供に見守られながら波乱に富んだ生涯を閉じた。享年65。死去直前に伝蔵は、子供らに北海道へ来る前のことを語ったという。伝蔵の生家は1947年(昭和22年)に取り壊され、いまは空き地となりわずかに「井上伝蔵の家」(吉田町教育委員会)という立看板があるだけである。また墓地も道路を挟んだ畑のなかにある。2004年公開の映画『草の乱』撮影に際しては、証言や写真により忠実に再現した生家のセットが作られ、撮影終了後は道の駅龍勢会館脇に移築の上、「秩父事件資料館 井上伝蔵邸」として有料で一般公開されている。秩父時代の妻はコマ(「古ま」とも)。一子フデの子で孫にあたる女性(1920年生れ)が、地元秩父市に住んでいる。北海道時代の妻は高浜ミキ。その三女の子の男性(1927年生れ)と女性(1925年生れ)が東京都足立区に住んでいる。2003年6月23日には映画『草の乱』の上映を機会に3人の孫が墓参を行っている。伝蔵は俳句もたしなみ号は柳蛙と号した。「想いだすことみな悲し秋の暮」などが残されている。秩父時代の妻コマは浅草の芸者だった。東京都板橋区の養育院(養老院)で死去している。 (井上伝蔵 – Wikipedia)
秩父事件(ちちぶじけん)は、1884年(明治17年)10月31日から11月9日にかけて、埼玉県秩父郡の農民が政府に対して負債の延納、雑税の減少などを求めて起こした武装蜂起事件。隣接する群馬県・長野県の町村にも波及し、数千人規模の一大騒動となった。自由民権運動の影響下に発生した、いわゆる「激化事件」の代表例とされてきた。概要 / 事件後、約1万4千名が処罰され、首謀者とされた田代栄助・加藤織平・新井周三郎・高岸善吉・坂本宗作・菊池貫平・井上伝蔵の7名には死刑判決が下された(ただし、井上・菊池は欠席裁判での判決。井上は北海道に逃走し、1918年にそこで死去した。菊池はのち甲府で逮捕されたが、終身刑に減刑され、1905年出獄し、1914年に死去)。秩父事件を題材とした作品 / 映画 / 『草の乱』(神山征二郎監督、2004年)。テレビドラマ / 大河ドラマ『獅子の時代』(NHK、1980年)主人公の一人である元会津藩士平沼銑次(架空の人物。演:菅原文太)は北海道の監獄を脱走後秩父に流れ着き、秩父困民党に参加する。彼の目を通してみた秩父事件が、もう一人の主人公である苅谷嘉顕(演:加藤剛)の目から見た明治憲法制定の過程と共に、ドラマの終盤展開の主軸となる。(秩父事件 – Wikipedia)
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秩父事件と井上伝蔵 (市史編さんニュース ヌプンケシ) ー 北見市
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Denzo Inoue の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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