中央アジア カテゴリのアーカイブ

世界の民族衣装 アジア地方

世界の民族衣装 アジア地方

関連記事

民族服(みんぞくふく、英: Folk costume)は、ある地方や民族特有の衣服。言語・宗教・歴史など、自然や文化・伝統を共有する人間集団に固有の服で、民族衣装(みんぞくいしょう)ともいう。関連する呼称として、国家が国民に着用を推奨(または強制)する国民服、都会から離れた地域の衣装として民俗服・郷土服・地方服といわれるものもある。 各地の民族衣装 / 中国 / 中国では古代から17世紀まで漢服が着られていた。清朝では満州民族の衣服と弁髪が強制され、漢服は道士などの衣服に名残をとどめるのみとなった。現在では一部に漢服復興運動がある。 満州民族が建国した清では、細い筒袖や裾の長いスリットをもつ、乗馬に適した旗装が着用された。女性用の旗装を現代風にアレンジしたものがチャイナドレスである。中華人民共和国が成立してからは人民服(中山服)が着用されたが、21世紀の現在は洋装が広く行われている。 日本 / 日本の民族衣装である和服(着物・呉服などともいう)は、平安時代の庶民の間で着られていた小袖が、平安時代末期から中世にかけて上流階級にまで広がり、日本独自の発展を遂げたものである。平安時代中期以前の貴族は漢服の流れを汲む礼服などの衣装も着用しており、束帯などの儀礼的和服は漢服の影響を受けている。安土桃山時代から江戸時代にかけてはポルトガルの影響も受け、ポルトガルの衣服が日本化した股引・鯉口シャツなどは広く庶民の作業着や下着として普及した。現在では男性は紋付きの羽織・袴、女性は留袖・振袖などが正装として使われる、礼服としての和服は用途(結婚式や葬式など)によって使い分ける。普段着としては多くが廃れ、わずかに浴衣(男性では甚平・作務衣なども)が夏場に好まれている。 朝鮮半島 / 朝鮮半島の民族衣装は韓服と呼ばれており、長いプリーツ・スカートの形状をしたチマと、丈の短く結び紐があるチョゴリ(上衣)を組み合わせた女性用のチマチョゴリが代表的である。男性はやや長めのチョゴリに、パジというズボン状のものをはき、外套(トゥルマギ)を着る。騎馬遊牧民の衣装であった胡服を原型に、中国(隋・唐)の民族衣装であった漢服や、モンゴル帝国の民族服デール(胡服系)の影響を受けている。 東南アジア / ベトナムでは清朝の影響を受けた女性服、アオザイがある。 清朝の影響をあまり受けなかった地域では巻衣(ドレーパリ)形式が発達した。巻衣には、ミャンマーの僧侶が着る黄衣、一般男女が着るロンギー、マレーシアのサロン、インドネシアのスレンダン、カバヤ、フィリピンのバロン・タガログなどがある。 インド / インド人女性は、チョリというシャツ、ガーグラというスカートを履き、その上からサリーをまとう。北インドではサリーの他にサルワール・カミーズやレヘンガも着用される。北インドの男性用民族衣装はクルター・パジャマ。腰巻のルンギーやドーティーなどもある。シク教徒の男性はターバンを頭に巻く。極東部や中部山岳地帯の少数民族は、一般的なインド人の民族衣装とは異なる衣装を着用する。 (民族服 – Wikipedia)

民族衣装一覧(みんぞくいしょういちらん)では、世界の民族衣装の一覧を記述する。 アジア地方 / 日本:和服、琉装、アットゥシ(アイヌ) / 朝鮮:韓服(チマチョゴリ) / 中国:漢服(漢民族及び中国大陸の中国人)、チャイナドレス(満州民族及び香港・台湾と海外の華人)と他の少数民族の民族服 / 台湾:チャイナドレス(台湾の中国人)方衣(台湾の原住民、高砂族) / モンゴル:デール / ベトナム:アオザイ / タイ:パーシン / ミャンマー:エンジー・ロンジー / インドネシア:サロン・カバヤ / インド:サリー、サルワールカミーズ、ドウティ / ブータン王国:キラ、ゴ / パキスタン:サルワール・カミーズ / アフガニスタン:チャドリ、ペロン・トンボン / アラブ首長国連邦:クーフィーヤ、アバヤ / タジキスタン:アトラス、トゥッピー / サウジアラビア:クーフィーヤ / トルコ:カフタン、フェズ (民族衣装一覧 – Wikipedia)

A folk costume (also regional costume, national costume, or traditional garment) expresses an identity through costume, which is usually associated with a geographic area or a period of time in history. It can also indicate social, marital or religious status. If the costume is used to represent the culture or identity of a specific ethnic group, it is usually known as ethnic costume (also ethnic dress, ethnic wear, ethnic clothing, traditional ethnic wear or traditional ethnic garment). Such costumes often come in two forms: one for everyday occasions, the other for traditional festivals and formal wear. Following the outbreak of romantic nationalism, the peasantry of Europe came to serve as models for all that appeared genuine and desirable. Their dress crystallised into so-called “typical” forms, and enthusiasts adopted that attire as part of their symbolism. In areas where Western dress codes have become usual, traditional garments are often worn at special events or celebrations; particularly those connected with cultural traditions, heritage or pride. International events may cater for non-Western attendees with a compound dress code such as “business suit or national dress”. In modern times, there are instances where traditional garments are required by sumptuary laws. In Bhutan, the traditional Tibetan-style clothing of gho and kera for men, and kira and toego for women, must be worn by all citizens, including those not of Tibetan heritage. In Saudi Arabia, women are also required to wear the abaya in public. (Folk costume – Wikipedia)

関連エントリ

世界の民族衣装 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

Folk costume の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

ツイッター (Twitter)

bihorokato_icon4.jpg

600px-Japanese_crest_Hikone_Tahibana.svg.png

加藤 雅夫 (@bihorokato) | Twitter

フェイスブック (Facebook)

275257_100004368631176_1138034801_n.jpg

img_index02.jpg

加藤 雅夫 | Facebook

Masao Kato – Facebook

このページの先頭へ戻る

中央アジアの 秘境タクラマカン砂漠を行く 坂東招造 (北海道北見市)

300px-Taklamakan_desert

中央アジアの 秘境タクラマカン砂漠を行く 坂東招造 (北海道北見市)

関連記事

タクラマカン砂漠横断の大冒険を書籍に 2019/05/23掲載(北見市/社会) / 北見・坂東 招造さん(93) / 中央アジアの秘境、タクラマカン砂漠の横断に70代で挑んだ北見市の坂東招造さん(93)は、冒険の記録をまとめた「秘境タクラマカン砂漠を行く」(青山ライフ出版・税別1500円)を自費出版した。インターネット販売のほか、さきごろ北見をはじめ全国の書店でも販売が開始された。坂東さんは「家族らのおかげで形に残すことができた。当時のことを思い出します」と話している。 形に残せたのは家族のおかげ 当時のことを思い出します / 中国の新疆ウイグル自治区に横たわるタクラマカン砂漠(面積33万平方キロメートル)は世界で2番目の巨大砂漠。坂東さんはスウェーデン人の中央アジア探検家、スウェン・ヘディン(1952年没)にあこがれ「ヘディンの足跡をたどりたい」と73歳からタクラマカン砂漠の冒険を開始した。 1999年、冒険家の成田正次さんらと四輪駆動車による「さまよえる湖」ロプノール湖探検を成功させ、2002年にはラクダのキャラバン隊でタクラマカン砂漠の横断(約半分)を成し遂げた。2004年には78歳でラクダでの完全横断に挑み10人の隊員、47頭のラクダとともに73日間で1200キロを踏破した。砂漠中央の北緯39度線を移動するルートは最も過酷で前人未到と言われていた。 坂東さんは帰国後、各地で講演活動を行い、完全横断の様子はテレビでも放映された。 坂東さんは冒険の日々を日記に残しており、北見と横浜に住む娘ら家族が日記の整理や出版社とのやり取りを行い、ほぼ1年がかりで書籍化した。過酷な砂山越えや水不足、疲労、アクシデントとの闘い、仲間との触れ合いなどが生き生きとつづられている。 坂東さんは「ヘッドライトを点けて寝床で日記を付けた。疲れた体で毎日書くのは大変で、自分のことながら、よくやったと思います」と振り返る。書籍化については「僕一人ではできなかったが、家族の協力で形にすることができて本当に良かった」と話している。(柏) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)

タクラマカン砂漠(タクラマカンさばく)は、中央アジアのタリム盆地の大部分を占める砂漠である。南は崑崙山脈、西はパミール高原、北は天山山脈、東はゴビ砂漠に囲まれている。一帯は現在中国の新疆ウイグル自治区に属している。 名称 / スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンの旅行記には、その昔この砂漠の中に「タクラ・マカン(大戈壁)」と呼ばれる大都市があったという言い伝えが残されていることが紹介されており、こうした伝説が元となっている。 (タクラマカン砂漠 – Wikipedia)

スヴェン・アンダシュ(アンデシュ)・ヘディン(Sven Anders Hedin, 1865年2月19日-1952年11月26日)は、スウェーデンの地理学者・中央アジア探検家。 (スヴェン・ヘディン – Wikipedia)

関連動画

タクラマカン砂漠 – YouTube

関連サイト

坂東招造 プロフィール – オフィスTEN

関連エントリ

大宜見義夫の 「シルクロード 爆走記」 – 美幌音楽人 加藤雅夫

坂東招造 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

Shouzo Bandou の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

ツイッター (Twitter)

bihorokato_icon4.jpg

600px-Japanese_crest_Hikone_Tahibana.svg.png

加藤 雅夫 (@bihorokato) | Twitter

フェイスブック (Facebook)

275257_100004368631176_1138034801_n.jpg

img_index02.jpg

加藤 雅夫 | Facebook

Masao Kato – Facebook

このページの先頭へ戻る

2月27日 ロシア帝国の作曲家 アレクサンドル・ボロディン (忌日)

220px-Borodin

2月27日 ロシア帝国の作曲家 アレクサンドル・ボロディン (忌日)

関連記事

2月27日 忌日 / 1887年 – アレクサンドル・ボロディン、作曲家 (2月27日 – Wikipedia)

アレクサンドル・ポルフィーリエヴィチ・ボロディン(Alexander Porfiryevich Borodin, Алекса́ндр Порфи́рьевич Бороди́н, 1833年10月31日(ユリウス暦)/11月12日(グレゴリオ暦) – 1887年2月15日/2月27日)は、帝政ロシアの作曲家、化学者、医師。ロシア音楽の作曲に打込んだロシア5人組の一人である。 (アレクサンドル・ボロディン – Wikipedia)

音楽動画

交響詩「中央アジアの草原にて」(В средней Азии, In the Steppes of Central Asia) – Ensemble Amedeo(マンドリンオーケストラ)

関連サイト

アンサンブル・アメデオ マンドリンオーケストラ (関東・東京)

関連エントリ

アレクサンドル・ボロディン の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

ツイッター (Twitter)

bihorokato_icon4.jpg

600px-Japanese_crest_Hikone_Tahibana.svg.png

加藤 雅夫 (@bihorokato) | Twitter

フェイスブック (Facebook)

275257_100004368631176_1138034801_n.jpg

img_index02.jpg

加藤 雅夫 | Facebook

Masao Kato – Facebook

このページの先頭へ戻る

キルギスの伝統楽器コムズ (キルギスの音楽)

SeidenstrasseGMT.JPG

キルギスの伝統楽器コムズ (キルギスの音楽)

関連記事

キルギスの音楽は遊牧民的もしくは農村部の素朴さを残しており、トルクメニスタンやカザフスタンの民族音楽と密接な関係がある。キルギスの民俗音楽は長く尾を引くようなピッチに特徴があるが、ロシア民族音楽的な要素も取り入れられている。伝統音楽 / 旅行音楽家やマナスチと呼ばれるシャーマンは歌やコムズと呼ばれる楽器を演奏するため人気がある。彼らの音楽は典型的な伝説の叙事詩であり、有名なものとしてはかつて国を守るため部下とともに中国人と戦ったマナスの愛国的な物語、マナス (ホメロスのオデュッセイアの20倍の長さがある) がある。現代における有名なマナスの口述家 (マナスチ) としてはリスベク・ジュマバエフやサヤクバイ・カララエフなどがいる。コムズ以外で有名なキルギスの民族楽器としては、フィドルのような楽器キル・キヤクや横笛のシビズギ、チョポ・チョールやテミル・オーズ・コムズのような口琴がある。コムズはキルギスの国民的な楽器であり弦をこすって音を出す。キル・キヤクもまたキルギスのアイデンティティを象徴する楽器であるが、こちらはモンゴルの馬頭琴に似て楽器の構造に馬との深い関連が有り、キルギスの文化において重要な役割を果たしている。キルギスの民俗音楽にはシャーマン的な要素が残っており、ドブルバ (片面太鼓)やアサ・タヤク (鐘やその他の小道具がついた木製楽器)、そして先ほど挙げたキル・キヤクなどが使用される。キルギスの民族音楽では、様々な種類があるキュイ (もしくはküü) と呼ばれる音楽の旅をめぐる際の前準備となる物語が表現される。物語は事話で進められ、物語の重要な部分に関しては大げさなジェスチャーで強調することがある。演奏家 / 現代のキルギスの音楽家はカンバルカンを国民的な民族音楽の合奏曲として演奏する。サラマト・サディコヴァは声量の多さで人気のあるキルギスの伝統音楽の歌手であり、彼女は極めて長い期間に渡り曲の暗唱が可能である。彼女の歌のレパートリーには通常の民俗音楽とともに現代的な要素を取り入れた楽曲もある。その他の有名な民俗音楽家としてはTengir-Too、Djunushov兄弟、Jusup Aisaevなどがいる。 (キルギスの音楽 – Wikipedia)

The komuz or qomuz (Kyrgyz: комуз Kyrgyz pronunciation: [qoˈmuz]), Azeri Qopuz, Turkish Kopuz, is an ancient fretless string instrument used in Central Asian music, related to certain other Turkic string instruments and the lute. (Komuz – Wikipedia)


音楽動画 (YouTube)

Kyrgyz Komuz ft. Kazakh Dombra(Turkic Battle)

関連エントリ

キルギス音楽 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

コムズ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

Komuz の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

ツイッター (Twitter)

bihorokato_icon4.jpg

600px-Japanese_crest_Hikone_Tahibana.svg.png

加藤 雅夫 (@bihorokato) | Twitter

フェイスブック (Facebook)

275257_100004368631176_1138034801_n.jpg

img_index02.jpg

加藤 雅夫 | Facebook

Masao Kato – Facebook

このページの先頭へ戻る

カザフスタンの伝統楽器ドンブラ (カザフスタンの音楽)

SeidenstrasseGMT.JPG

カザフスタンの伝統楽器ドンブラ (カザフスタンの音楽)

関連記事

現代のカザフスタンの音楽において有名な楽団として、カザフスタン国立クルマンガズィ民族楽器交響楽団、カザフスタン国立フィルハーモニー交響楽団、カザフスタン国立劇場とカザフスタン国立室内管弦楽団などがある。民族楽器による管弦楽団は19世紀の有名作曲家でありドンブラ奏者であったクルマンガズィ・サギルバユリ(英語版) (ロシア語名:クルマンガズィ・サギルバエフ) にちなんで名付けられた。伝統音楽 / ロシア・ソビエト連邦時代の音楽 / 音楽研究所 / 伝統楽器 / 最も馴染みのある伝統楽器は弦楽器である。それらの一つがドンブラであり、カザフスタンの楽器において最も古く人気のある楽器である。遊牧民は2000年以上前から二弦楽器に似た楽器を使用していたと主張するものもいる。ドンブラは5度音程の二弦を使用するリュートに似た楽器である。その他演奏で重要な役割を果たす楽器にはコブズ (Qobyz) があり、これは本体部分が木彫りで作られている馬頭琴に似た楽器であり、共鳴部には動物の皮、弦と弓には馬の髪を用いている。コブズは中世はるか以前に伝説的なシャーマンQorqytによって考案されたとされている。 ジェティゲン (ZhetigenもしくはJetigen、7つの弦) はシターンに似た楽器と考えられており、中国にも似たような楽器がある。弦は長さの違う二つの部分に分かれており、支柱は移動可能であり、動物の骨を使用して作られている。 (カザフスタンの音楽)

ドンブラ (Donbura)は、カザフの民族楽器である。概説 / ドンブラは二弦撥弦楽器であり、二弦擦弦楽器のコブズにならぶ、カザフの代表的な民族楽器である。弦を直接指ではじいて演奏され、単奏あるいは叙事詩を歌う伴奏に用いられる。 ドンブラの演奏には、キュイあるいはキュと呼ばれる、曲の注釈となる伝説を有し、演奏者が演奏に先だって伝説を語るスタイルがある。歌はアンと総称され、歌い手が伴奏しながら歌う。 カザフスタン西部では二弦を高速で演奏し、中・東部では一弦をゆっくりとしたテンポで演奏する地方様式がある。 アクンと呼ばれる語り手によって、叙事詩が歌われ、ドンブラが演奏される。歴史 / 演奏者は伝統的に男性であったが、19世紀後半から女性の演奏者も現れるようになった。 クルマンガズ(1806年?-1879年?)のキュイが、現在70曲ほど伝えられている。 (ドンブラ – Wikipedia)


音楽動画 (YouTube)

Kyrgyz Komuz ft. Kazakh Dombra(Turkic Battle)

Kazakh Folk Song

関連エントリ

カザフスタン音楽 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

ドンブラ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

Dombra の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

ツイッター (Twitter)

bihorokato_icon4.jpg

600px-Japanese_crest_Hikone_Tahibana.svg.png

加藤 雅夫 (@bihorokato) | Twitter

フェイスブック (Facebook)

275257_100004368631176_1138034801_n.jpg

img_index02.jpg

加藤 雅夫 | Facebook

Masao Kato – Facebook

このページの先頭へ戻る

The Silk Road 3月28日 シルクロードの日

SeidenstrasseGMT.JPG

The Silk Road 3月28日 シルクロードの日

関連記事

3月28日 1900年のこの日、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された。(3月28日 今日は何の日~毎日が記念日~

シルクロード(絹の道、英語: Silk Road, ドイツ語: Seidenstraße, 繁体字:絲綢之路, 簡体字:丝绸之路)は、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。絹が中国側の最も重要な交易品であったことから名付けられた。その一部は2014年に初めて「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」としてユネスコの世界遺産に登録された。概要 / 「シルクロード」という名称は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『China(支那)』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセン(ドイツ語:Seidenstraßen;「絹の道」の複数形)として使用したのが最初であるが、リヒトホーフェンは古来中国で「西域」と呼ばれていた東トルキスタン(現在の中国新疆ウイグル自治区)を東西に横断する交易路、いわゆる「オアシスの道(オアシスロード)」を経由するルートを指してシルクロードと呼んだのである。リヒトホーフェンの弟子で、1900年に楼蘭の遺跡を発見したスウェーデンの地理学者ヘディンが、自らの中央アジア旅行記の書名の一つとして用い、これが1938年に『The Silk Road』の題名で英訳されて広く知られるようになった。「草原の道」 / 「オアシスの道」 / 「海の道」 / シルクロードと日本 / 日本には、奈良の正倉院に中国製やペルシア製の宝物が数多く残っており、天平時代に遣唐使に随行してペルシア人の李密翳(り・みつえい)が日本に来朝したことに関する記録[4]なども残されている。当時の日本は唐代の東西交通路の東端に連なっていたと認識されており、摂津国の住吉津(現在の大阪市住吉区)は「シルクロードの日本の玄関」、飛鳥京や平城京は「シルクロードの東の終着点」と呼ぶことがある。なお、ユーラシア交易と直接的な関係はないが、幕末から明治にかけて、日本の主要な輸出品であった絹を横浜港に運ぶ交易路が存在し、その集積地があった八王子から横浜にかけての道が「絹の道」や「シルクロード」と呼ばれることもある。シルクロードに関しては近年の日本における学校教育でも取り上げられていたが、歴史やヘディンの著書などに関心を持つ一部の人たち以外には、さほど興味を引く存在ではなかった。しかし、中華人民共和国との文化交流が進む過程でNHKが中国中央電視台とともに1980年に共同制作した『NHK特集 シルクロード-絲綢之路-』によって、喜多郎のノスタルジックなテーマ音楽とともに、一躍シルクロードの名が広く知れ渡ることとなった。日本ではシルクロードという語は独特のエキゾチシズムやノスタルジアと結びついており、西安や新疆、ウズベキスタン、イラン、トルコなどへの海外旅行情報やツアーの広告には必ずと言ってよいほど「シルクロード」という言葉が記されている。この80年代の「シルクロードブーム」を受け[5]、1988年に日中両政府は日中友好環境保護センターの設立を決定した。また、シルクロードの世界遺産登録をユネスコに中国政府とともに働きかけた[6][7]平山郁夫は平山郁夫シルクロード美術館を設立している。(シルクロード – Wikipedia

楼蘭(ろうらん,Loulan,推定されている現地名はクロライナ Kroraina)は、中央アジア、タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部(現在の中国・新疆ウイグル自治区チャルクリク)に、かつて存在した都市、及びその都市を中心とした国家である。「さまよえる湖」ロプノールの西岸に位置し、シルクロードが西域南道と天山南路に分岐する要衝にあって、交易により栄えた。紀元前77年に漢の影響下で国名を鄯善(中国語名併音shàn shàn・日本語名ぜんぜん)と改称したが、楼蘭の名はその後も長く用いられ続けた。4世紀頃からロプノールが干上がるのとほぼ時を同じくして国力も衰え、やがて砂漠に呑み込まれたが、1900年にスウェーデンの探検家ヘディンによって遺跡が発見された。後世の記録と発掘 / 中央アジア探検 / 近代的な調査は19世紀のヨーロッパ人探検家による調査によって始まる。その始まりは1893年10月から行われたスウェーデンの探検家、ヘディンによる中央アジア探検である。最初の探検では水不足のために一時は探検キャラバンが壊滅し彼自身も死の淵を彷徨うこともあった難旅行であったが、ヘディンは1897年3月まで西域各地を回った。そして2度目の探検旅行が1899年6月に開始され、翌1900年3月23日、楼蘭遺跡を偶然発見した。その翌年彼は楼蘭を再訪し若干の調査を行った。1908年には日本の大谷探検隊(第2次)が楼蘭を訪れた。西本願寺の大谷光瑞は非常な情熱を持って数次にわたる中央アジア調査を企画し、彼によって派遣された橘瑞超は楼蘭故城を訪れた。この時の調査によって『李柏文書』と呼ばれる有名な文書が発見されている。彼は1911年にもかつての楼蘭王国の領域を訪れて壁画などを収集した。日本の探検隊はその後長く途絶えたが、ヘディンやスタインは繰り返し楼蘭の調査を行っている。彼らの調査は当時新しく成立した中華民国政府や文献の国外流出に怒る中国人学者達の強い反対を受けて難航したが、全ての調査に中国人を同行させることで同意を取り付けたり、道路建設のための調査依頼を受ける形での調査を行った。こうした苦労に報いるに十分な発見が1934年にヘディンによってなされた。新疆で発生していた回族の反乱のために彼は拘禁されていたが、偶然にもロプノール地方で灌漑の可能性の調査を命ぜられ現地の調査を行う事ができた。このとき彼は女性のミイラを発見したのである。この発見に興奮した彼はそのミイラに「ロプの女王」と言う名をつけたが、実際にこのミイラが女王のミイラであったかはわからない。番組『シルクロード』の取材と中国の調査 / この時の調査以降、第二次世界大戦や国共内戦、更に中国の共産化などのため、暫くの間楼蘭の調査は途絶えた。再び楼蘭に大規模な調査隊が訪れるのは1979年の事である。これは日本のNHKと中国の中央電視台による共同制作番組『シルクロード』の取材によるもので、この時中央電視台の要請によって中国人学者による調査隊が組まれたのである。このとき新たに女性のミイラが発見されている。翌年には更に大規模な調査が行われ大きな成果を上げた。この調査では初めて楼蘭の水源も明らかとなっている。その後も大規模な調査が繰り返し行われ、多くの知見が得られた。1986年以降は新疆文化庁によって恒常的に調査が行われ、膨大な量の遺物が収集されている。1988年の日中共同調査では早稲田大学教授の長澤和俊やジャーナリストの轡田隆史も楼蘭故城の調査にあたり、外国人としては54年ぶりの楼蘭調査となった。しかし、現在は外国人による調査がほとんど許可されないため、中国人学者の手によって行われている。(楼蘭 – Wikipedia

スヴェン・アンダシュ(アンデシュ)・ヘディン(Sven Anders Hedin, 1865年2月19日-1952年11月26日)は、スウェーデンの地理学者・中央アジア探検家。日本との関わり / 1898年~1900年頃から大谷光瑞と交流があり、探検旅行の帰途、大谷、外務省、東京地学協会の招聘[2]で、1908年に来日し、明治天皇に謁見。日本人として初めてチベット入した河口慧海とも書簡を交している。1923年にも来日している。(スヴェン・ヘディン – Wikipedia

関連サイト

NHK特集 シルクロード 絲綢之路 | NHK名作選(動画他) – NHK語学番組 – NHKオンライン

NHK特集「シルクロード-絲綢之路-」 | なつかしの番組 特集番組編 | 特集記事から探す | NHKアーカイブス – NHKオンライン

関連エントリ

音楽の旅 / ギリシャから日本に「シルクロードの果て」(美幌音楽 加藤雅夫)

大宜見義夫の 「シルクロード 爆走記」 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

スウェン・ヘディン の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

シルクロードの日 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

ツイッター( Twitter)

bihorokato_icon4.jpg

600px-Japanese_crest_Hikone_Tahibana.svg.png

加藤 雅夫 (@bihorokato) | Twitter

フェイスブック (Facebook)

275257_100004368631176_1138034801_n.jpg

img_index02.jpg

加藤 雅夫 | Facebook

Masao Kato – Facebook

このページの先頭へ戻る

北海道 北国の春 / 北国之春(日本 歌曲)

fcwr38s.jpg

北海道 北国の春 / 北国之春(日本 歌曲)

関連記事

「北国の春」(きたぐにのはる)は、1977年4月5日に発売された千昌夫のシングルレコードである。解説 / タイトル曲「北国の春」は、都会で暮らす男性が実家から届いた小包[2]を受け取り、早春期の故郷や家族、かつての恋心などを想う内容の歌詞である。日本国外の主なカバー / 文夏(台湾語) – 「北国之春」、葉啓田(台湾語) – 「晴空万里」(訳:青空どこまでも)、蔡秋鳳(台湾語) – 「懷念的春天」(訳:懐かしい春)、洪栄宏(台湾語) – 「思郷的人」(訳:故郷を思う人)、謝莉婷&林慶宗(台湾語) – 「深深的愛」(訳:深い愛)、黃瑞琪(台湾語) – 「沙西米甲娃沙美」(訳:刺身とわさび)、テレサ・テン(台湾・標準中国語) – 「我和你」(訳:私とあなた)、テレサ・テン(台湾・標準中国語) – 「北国之春」、余天(台湾・標準中国語) – 「榕樹下」(訳:ガジュマルの下で)、林玉英(台湾・標準中国語) – 「地雷水餃股票」(訳:地雷銘柄にクズ銘柄)、蒋大為(中華人民共和国・標準中国語) – 「北国之春」、江智民(中華人民共和国・標準中国語) – 「故郷的雨」、谷行雲(シンガポール・標準中国語) – 「春的懐念」(訳:春の懐かしさ)、蘇徳存(マレーシア・海南語) – 「想当初」(訳:最初の頃を思い出す)、薰妮(香港・広東語) – 「故郷的雨」、鄭子固(香港・広東語) – 「故郷的雨」、張偉文(香港・広東語) – 「故郷的雨」、鍾文康(香港・広東語) – 「故郷的雨」、曼里(中華人民共和国・広東語) – 「故郷的雨」、劉亮鷺(中華人民共和国・広東語) – 「故郷的雨」、潘秀瓊(中華人民共和国・広東語) – 「故郷的雨」、劉珺兒(マレーシア・広東語) – 「故郷的雨」、劉珺兒(マレーシア・広東語) – 「情深海更深」、アンディ・ラウ(香港・標準中国語と広東語) – 「北国之春之榕樹下之故郷的雨」、ほかに、チベット語、タイ語、ベトナム語、ミャオ語、モンゴル語など。(北国の春 – Wikipedia

北国之春是一首日本民谣,作于1977年并在一年后流行日本全国。原为一首思念家乡的歌曲,当时日本有很多为了求学或谋生而离开北方农村的年轻人,这首歌也就在当时很是流行。 日文原唱是著名的演歌歌手千昌夫所唱,后被大泉逸郎、渥美二郎等众多日本演歌歌手翻唱。1979年,于日本乐坛发展的邓丽君将这首风靡日本的曲子交由台湾著名词作家林煌坤先生填写中文歌词,随后出现了第一个国语版本《我和你》,并经邓丽君的出色演绎被国人所熟知。此后的十余年间,由蒋大为、叶启田、韩宝仪等国内歌手演唱的民歌版本及闽南语版本相继出现,《北国之春》也成为了华人社会流传最广的日本民谣之一。(北国之春(日语歌曲)_百度百科

関連サイト

北国之春_梅婷_新浪博客

関連エントリ

梅婷「非誠勿擾/北国之春」北海道 – 美幌音楽人 加藤雅夫

北国の春 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

北国之春 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

ツイッター( Twitter)

bihorokato_icon4.jpg

600px-Japanese_crest_Hikone_Tahibana.svg.png

加藤 雅夫 (@bihorokato) | Twitter

フェイスブック (Facebook)

275257_100004368631176_1138034801_n.jpg

img_index02.jpg

加藤 雅夫 | Facebook

Masao Kato – Facebook

このページの先頭へ戻る

JICA (国際協力機構) メールマガジン vol.148

598px-Peace_dove_noredblobs_svg.png

NASA-Apollo8-Dec24-Earthrise_2.jpg

JICA (国際協力機構) メールマガジン vol.148
JICA (Japan International Cooperation Agency) Newsletter vol.148

JICA (国際協力機構) メールマガジン vol.148 の全文を読む

このページの先頭へ戻る

創設・50周年 – 青年海外協力隊 (JOCV)

598px-Peace_dove_noredblobs_svg.png

NASA-Apollo8-Dec24-Earthrise_2.jpg

創設・50周年 – 青年海外協力隊 (JOCV)
Founding, 50 anniversary – Japan Overseas Cooperation Volunteers (JOCV)

日本の外務省からのメールマガジン。 わかる!国際情勢 (第89号)
E-mail newsletter from the Ministry of Foreign Affairs of Japan. Wakaru! International situation (No. 89)

創設・50周年 – 青年海外協力隊 (JOCV) の全文を読む

このページの先頭へ戻る

JICA(国際協力機構) のメールマガジン (vol.143)

598px-Peace_dove_noredblobs_svg.png

NASA-Apollo8-Dec24-Earthrise_2.jpg

JICA(国際協力機構) のメールマガジン (vol.143)
E-mail magazine of JICA (Japan International Cooperation Agency) (vol.143)

JICA(国際協力機構) のメールマガジン (vol.143) の全文を読む

このページの先頭へ戻る

このページの先頭へ戻る