行方不明 の検索結果: 60 件

父の遺品から67年前の文集発見

父の遺品から67年前の文集発見

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父の遺品から67年前の文集発見
2021-11-12 掲載
(網走市/歴史網走の男性)
訓子府町にあった南訓小中学校(小学校は昭和47年、中学校は同41年に閉校)で67年前に発行された文集「しらかば」創刊号を、網走市の男性が発見した。文集は茶褐色に変色しているものの、破れや折れなどはなく良好な状態。男性は、複写した創刊号を南訓校の卒業生らに送ったところ「泣きながら読まれた方もいました」という。
訓子府の南訓小中学校「しらかば」創刊号
児童・生徒の思い現代に伝える
創刊号の表紙
文集「しらかば」は、昭和29年11月に創刊。当時の古川信美校長の子どもで、網走市に住む79歳男性が発見した。「父の遺品を私の自宅で整理していた時に偶然見つけました」と振り返る。発行から70年ほどが経過しているため変色しているが、破れたり、折れている部分は皆無だ。
創刊号は30ページ。ガリ版印刷で、子どもたちが考えた句や詩、作文など約30作を掲載している。文集を作成した目的について、当時の古川校長は創刊号の巻頭ページで「作文を通して、人間を磨くための一端として、此処に文集刊行の計画を樹てて(原文ママ)くれたことは、誠に喜ばしい次第」などと記し、言葉と文字で表現することで「人間をみがく」ことに重点を置いたようだ。
収録作品の一つで作文「荒れ狂う夜海で死んだ兄さん」(中1の女子生徒)は、青函連絡船・洞爺丸の転覆事故で兄を失った切ない心情が書かれている。洞爺丸事故は、この文集が創刊される2カ月ほど前の昭和29年9月26日に発生し、死者行方不明者は1155人で日本海難事故史上最大とされる。
このほか、小6男子児童の作文「網走まで」は、学校行事としての鉄道旅行の思い出を綴った。
「美幌あたりまで行ったら、もう網走に着くかと思って、汽車には、もうじっとしてられなかった〜中略〜女満別あたりにいった時、湖がちらくと見え出し、僕達は、海だとばかり思っていると、それは、違って、湖であった。これで湖なら海はどの位でかいと思って、なほく早く網走に着けばいゝと思った」などと記されている。
当時の訓子府の子どもにとって網走は遠い所にあり、海を実際に見る機会は少なかったことがうかがえる。
男性は複写した創刊号を南訓校の卒業生数人に送ったところ「涙を流しながら読み進めたという人もいました。発見できてよかったです」と喜んでいる。(大)
(経済の伝書鳩)7

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北海道警察災害派遣隊 北見方面本部の警察官

北海道警察災害派遣隊 北見方面本部の警察官

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自然災害の恐ろしさ実感 2021/08/10掲載(北見市/社会) 道警北本の警察官17人 / 道警北見方面本部の警察官17人が「北海道警察災害派遣隊」の一員として7月15日~19日、土砂災害のあった静岡県熱海市内で行方不明者の捜索活動を行った。自然災害の恐ろしさを目の当たりにして帰北した隊員達はあらためて防災への思いを強め、市民に対策を呼び掛けている。
災害派遣隊として静岡県熱海市で行方不明者を捜索し帰還 重い土砂を人の手で搬出「まだまだ時間が必要」 / 北見方面本部から派遣されたのは警備課、捜査課、交通課の警察官。総勢114人からなる同派遣隊の第四中隊第三小隊長以下17人が編成され、熱海市内の伊豆山地区で任務にあたった。当時19人とされた行方不明者の捜索のため連日、土砂と家屋の瓦礫をスコップで搬出。土砂の中に行方不明者がいる可能性があるため重機が入れないことから、スコップにまとわりつく重い土砂を人海戦術で搬出した。19日で任務を終え大阪と千葉の警察に引き継ぎ、21日に帰北した。小隊長は「災害が発生したのは7月3日。私達が到着したのは12日後の15日でしたが、重機を使うことができたのは一部のエリアで、土砂を避けるにはまだまだ時間が必要という印象でした」と振り返る。また、生活用品や子どもの玩具が土砂に流されているのを目の当たりにして「あらためて自然災害の恐ろしさを実感しました。大切なのは、すぐに避難できるようにしておくこと。市民の皆さんも万が一の事態を想定して、防災対策を万全にしてください」と呼び掛けている。(匡) (経済の伝書鳩)

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北海道警察北見方面本部 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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ゾッとした話・ヒヤっとした話 (経済の伝書鳩より)

ゾッとした話・ヒヤっとした話 (経済の伝書鳩より)

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ゾッとした話・ヒヤっとした話 2021/07/23掲載(北見市/話題)た~すけて~ / 夏本番。厳しい暑さを吹き飛ばしてくれる、笑えるような、笑えないような「ゾッとした話・ヒヤっとした話」を集めてみました。

みんなの声

トイレ怪談 うしろに誰かが / 実家に泊りに行った夜、深夜午前2時頃おしっこがしたくなり、トイレに行きました。洋式便座のふたを上げ、腰をおろすと、もちろん誰もいないはずの個室なのに、誰かが背中をコンと突きます。うしろに誰かいる、と青ざめ、こわごわ、思い切ってうしろを振り返ると、ふたが背中に倒れかかっています。便座のふたを上げる際、真ん中あたりまで上げて座ったようです。ゆっくりとこちら側に倒れてきたのでした。(北見市、50代・男性)

トイレ怪談 お尻の下に / ふだんは夜中に起きないのですが、実家に泊りに行くと、なぜか夜中にトイレに行きたくなります。その夜も、半ば寝ぼけまなこで深夜、トイレに行きました。パンツを下げ、洋式便座にかがむと、お尻に、丸くてツルっと冷たい感触。瞬間的に「お尻の下に誰かいる。ツルツル頭だ」と思いました。「ツルツル頭のじいさんが便器から登場?」と寝ぼけた頭に浮かんだのです。「怖っ!」と、すっと立ち上がり、こわごわ下を見ると、ふたが閉まっていました。ふたをしたまま便座に座ったのでした。今でも実家のトイレは怖いです。(北見市、50代・男性)

きも試しですれ違った 白い服の男… / かつてボーイスカウトで活動していた小学6年生の頃の話です。毎年夏、網走の二ツ岩海岸にキャンプに行くのが楽しみでした。きれいな砂浜の岩陰にテントを張り、夜は定番のきも試しです。海岸線に沿い数百㍍先に、使われていない漁師の小さな作業場のような小屋があって、一人でそこまで行って、目当ての物を持ち帰るのがルール。キャンプファイヤーを囲んで、先輩スカウトの怖い話を聞いてから、一人ずつスタートです。真っ暗な中、背丈以上に伸びた海浜植物を縫うように進んだその時、向こう側から誰かが歩いて来ます。脅し役かと思い、下を向いて歩いていくと、何も起こらず、すれ違いました。白い服のおとなの男性です。脅し役は怖くない、と逆に勇気が出て、無事に帰ってくることができました。別のスカウト一人も白い服の人を見掛けたそうですが、先輩スカウトに聞くと、誰も脅し役はしていないという。次の日、キャンプ地に情報が入り、網走刑務所の収容者1人が脱走し、行方不明だというのです。二ツ岩の山の向こう側は網走刑務所です。昨夜の白い服の男は…。即、キャンプを撤収したのは言うまでもありません。もう50年以上前の話です。(北見市、60代・男性)

孫の冷視線 なめてました / 娘夫婦が共働きのため、小学校の孫を放課後に預かっています。「おなかがすいた」と言う日は簡単な食事を用意してあげることもあり、マナーとして「どんなに好きな食べ物でも、食べ終わったお皿をなめてはいけないよ」と言っていました。ある日、私が夕飯の味見をするため、小皿をペロっとなめてしまった時のこと、孫がすかさず「なめちゃだめなんだよ」と言ってきて、言い訳も出ませんでした。あの時の孫の冷たい視線に肝が冷えました。例え1人の時であってもお皿はなめないと誓いました。(北見市、60代・女性)

おしゃべりしたい ご先祖様の遺影 / 保育園に通う孫が仏間で遊んでいた時、遺影に指をさしながら突然「見て!口をパクパクしている」と言い出しました。私が「そんなはずないよ。怖いこと言わないで」と冗談ぽく言うと、孫も変だなと感じたのか「怖い、怖い」と言いながら走って仏間を出ていきました。怖がらないように「ご先祖様も〇〇くんとおしゃべりしたくなっちゃたんだね」とフォローしましたが、孫がそんな嘘をつくとは思えず、周りの大人達はなんとも言えない雰囲気になりました。孫によると、その日以来、遺影の口は動いていないそうです。(北見市、60代・女性)

正座で階段落ち あわや大怪我?! 傷なくも青あざ / 大学の卒業旅行で立ち寄った、札幌駅でのこと。旅行も終盤に差し掛かり、若干の疲れを感じながら友人とホームから続く駅の長い階段を降りようと、一歩踏み出しました。気が付くと私は、正座で階段を一段一段落ちている状態に。どんな状況か分からぬまま、体は階段を落ち(降り)続け、なぜか一段を残して止まりました。あまりの恥ずかしさに、何事もなかったかのように立ち上がり、友人達とそのままホテルに向かいました。ホテルの部屋に入ってからズボンを脱いで確認してみましたが、痛みはあるものの幸い足に傷らしきものはなく、ほっとしました。旅行から帰って数日後、就職の面接があり、ストッキングをはいたら両足のスネは隠しきれないほどの青あざだらけ。ばれないように必死だったのを覚えています。もし、正座ではなく、転がり落ちていたら大怪我をしていたかもと思うとゾッとします。ものすごく恥ずかしかったですが、今思えば、正座で落ちてよかったのかもしれません。(北見市、40代・女性)

行方をくらましたダニ 車中の恐怖 / 車を運転していた時、運転席の天井にダニがいることに気が付きました。すぐさま近くの駐車場に車を止めて捕らえようとしました。が、時すでに遅し。ダニの姿は消えていました。その場でできる限りのチェックをしたものの発見できませんでした。その後、運転を再開して20~30分経ったころ、首元がかゆくて手を伸ばし、まさかと思い手元を確認するとダニで、「やっぱり飛び移っていたか」とゾッとしました。その日は河川敷を散歩していただけなので油断していました。まさか一緒にドライブしているとは。(北見市、30代・女性)

本紙記者も体験 ワイシャツ脱いだら… / 取材で橋の写真を撮りに北見市留辺蘂町大和の無加川沿いに行ったとき。堤防からは、いまいち良い写真が撮れなかったので川べりまで下りることに。ひざ丈ほどの枯草の河畔を100㍍ほどこぎ、写真を撮り、堤防に戻りました。そして念入りに足元をほろいました。ダニが嫌だったからです。その日の勤務を終了し、家に帰ってからすぐに、着ていたものをチェック。いつもは、そのまま脱衣かごにポイッと入れるのを、何となく嫌な予感がして、脱いだワイシャツを丁寧に見ると、何やら黒く動くものが…。その時のスマホでのLive撮影を見ると、今でもゾッとします。ダニにくわれる前に発見できて良かったのですが、指でつぶそうと思っても、硬くて何度も生き延びる生命力の強さに、もう一度怖くなったものです。(寒) (経済の伝書鳩)

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植村花菜の感動的な関西弁の歌「トイレの神様」 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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冬の藻琴山で合同救助訓練 / 東藻琴消防団スノーモービル隊など

冬の藻琴山で合同救助訓練 / 東藻琴消防団スノーモービル隊など

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藻琴山で冬の救助訓練 2020/02/20掲載(大空町/社会)東藻琴消防団スノーモービル隊など関係機関が連隊 / 大空消防署は12日、東藻琴消防団スノーモービル隊などによる冬の藻琴山救助訓練を行った。冬の藻琴山は登山やスキーなどでの入山者が増加傾向にあり、消防署が負傷者救助のため出動したケースも過去に何度かある。これらの事態に対応するため、2009(平成21)年にはスノーモービルを所有する消防団員によるスノーモービル隊が発足。冬山での万が一の事故に備え、関係機関とともに毎年、訓練を行っている。今回の訓練にはモービル隊と大空消防署、大空町を担当する陸上自衛隊美幌駐屯地第101特科大隊、網走警察署、近隣の消防署などから総勢87人が参加。山頂付近の雪庇(せっぴ)が崩落し1人が行方不明になり、1人が負傷して8合目ヒュッテ(銀嶺荘)で動けなくなった設定で実施した。キャンプ場から第101特科大隊などが行方不明者の捜索のため入山。東藻琴側登山口から9台のモービルが消防署員と毛布、スコップなどの資機材を乗せて銀嶺荘に向かった。負傷者を担架に乗せてモービルで引っ張って搬送し、救急隊に引き継ぐまでを訓練した。モービル隊をもつ消防団は全国的にも珍しいという。東藻琴消防団の団長は「1分でも早く救助するのが隊の務め。関係機関との訓練は意義深く、今後も継続したい」と話している。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

藻琴山(もことやま)は北海道東部にある火山。標高999.9メートル。屈斜路湖の北側に位置しており、小清水町(斜里郡)、弟子屈町(川上郡)、大空町、美幌町(網走郡)にまたがる。 (藻琴山 – Wikipedia)

美幌駐屯地(びほろちゅうとんち、JGSDF Camp Bihoro)とは、北海道網走郡美幌町字田中に所在し、第6普通科連隊等が駐屯している陸上自衛隊の駐屯地である。最寄の演習場は、美幌訓練場。駐屯地司令は、第6普通科連隊長が兼務。 (美幌駐屯地 – Wikipedia)

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美幌町のメール配信システム あんしんねっとびほろ

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美幌町のメール配信システム あんしんねっとびほろ

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このメール配信システム「あんしんねっとびほろ」は、防災情報など緊急性の高い情報などを希望する方に配信するサービスです。平成29年9月1日からは、【防災情報】の他に【SOSネットワーク】【不審者情報】及び【防犯関係情報】が加わり新たな「あんしんねっとびほろ」として配信します。メール受信が可能なパソコン、携帯電話やスマートフォン等をお持ちの方であれば受信が可能ですので、ぜひ登録してみてください。
配信カテゴリ / 防災情報 防災に関する情報を配信します。認知症高齢者等SOSネットワーク 認知症高齢者等が行方不明になった場合に、その方の特徴などを配信します。不審者情報 児童・生徒への不審者による声かけ発生情報を配信します。防犯関係情報 防犯に関する情報を配信します。Jアラート連携 Jアラート(緊急情報を住民へ瞬時に伝達するシステム)から発信された情報を配信するカテゴリです。 (あんしんねっとびほろ – 美幌町のホームページ)

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津別町のメール配信システム ささえねっと@つべつ

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メール配信システム「ささえねっと@つべつ」は、子供やお年寄りの行方不明情報、日ごろの防災・防犯情報、町内でのイベント情報などのさまざまな情報から、希望する情報を配信するサービスです。このサービスは、メールを受信できる携帯電話やパソコンをお持ちの方であれば受信できますので、是非ご登録ください。 配信カテゴリ / 行方不明情報 行方不明者の捜索・発見情報をお届けします。防災情報 気象警報、地震情報、避難情報等の防災情報をお届けします。イベント情報 津別町内で開催予定のイベントの情報等をお届けします。ヒグマ情報 ヒグマの発見情報をお届けします。 (ささえねっと@つべつ – 津別町のホームページ)

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1月17日 防災とボランティアの日 (日本)

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1月17日 防災とボランティアの日 (日本)

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1月17日 防災とボランティアの日 / 1995年1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生した。 阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判された一方で、学生を中心としたボランティア活動が活発化し、「日本のボランティア元年」と言われた。 これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め、災害への備えの充実強化を図る目的で、1995年12月の閣議で制定が決定され、翌1996年から実施された。 歴史 / 1995年 兵庫県南部地震(M7.3)。阪神地方に大被害、死者行方不明6千人以上(阪神・淡路大震災)。 (1月17日 今日は何の日~毎日が記念日~)

1月17日 できごと / 1995年 – 阪神・淡路大震災: 京阪神地区でマグニチュード7.3の地震が発生(兵庫県南部地震)、大きな被害が出る。 記念日・年中行事 / 防災とボランティアの日(日本) 1995年に発生した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)では、国や地方自治体の危機管理体制の不備をはじめとするさまざまな問題が浮き彫りにされた一方で、ボランティア活動が活発化し「ボランティア元年」とも言われた。俳句の世界では季語「阪神忌」が存在する。 (1月17日 – Wikipedia)

防災とボランティアの日(ぼうさいとボランティアのひ)は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災に因んで制定された記念日で、日付はその1月17日である。 阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判された一方で、学生を中心としたボランティア活動が活発化し、「日本のボランティア元年」と言われた。 これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め、災害への備えの充実強化を図る目的で、同年12月の閣議で「防災とボランティアの日」の制定が決定され、翌1996年から実施された。この日を中心に前後3日を含む計7日(1月15日〜21日)が「防災とボランティア週間」と定められている。 (防災とボランティアの日 – Wikipedia)

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防災とボランティアの日 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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北海道北見市内の 高齢者・こども地域食堂 (きたほっと)

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北海道北見市内の 高齢者・こども地域食堂 (きたほっと)

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対象に子ども加えリニューアル 北見市新生町の地域食堂「きたほっと」 / ボランティアの運営により毎月2回、高齢者に格安でランチを提供する北見市新生町の地域食堂「きたほっと」が、利用対象に子どもを加えリニューアルオープンした。新名称は「高齢者・こども地域食堂きたほっと」。営業は従来通り第2土曜と第4火曜の午前10時~午後1時で、広く利用を呼び掛ける。従来通り高齢者も格安ランチ…交流の場にも 営業時間は変わらず、広く利用呼び掛け / きたほっとは、お年寄りやその家族の相談を受け専門機関につなぐ組織「北見高齢者110番の家」の拠点施設として、2012年3月にオープンした。誰でも気軽に立ち寄れることをコンセプトに毎月2回、ボランティアの運営によりランチを200円程度で提供。食事や会話を楽しみながら、困り事や心配事を打ち明けられる場となっている。これまで子ども連れの家族の利用があったが、孤食でさびしい思いをしている子どもも利用できる場にしたいと利用対象の拡大を明確にし、リニューアルした。北見高齢者110番の家は4月、認知症による徘徊(はいかい)などの行方不明者を捜索する組織「行方不明から安全に戻れる事を願う会」と合併。新組織「北見高齢者・こども110番の家」(中崎孝俊会長)となっており、きたほっとを行方不明者の捜索拠点としても活用する。リニューアル後、初の営業となった11日にオープニングセレモニーが行われた(写真)。福祉関係者や地域住民ら約50人が出席し、中崎会長が「子どもと高齢者が生き生き活動する場所になるよう、ご支援、ご協力をお願いします」と呼び掛けた。きたほっとの問い合わせは、デイサービスエーデルワイス5号館(TEL 0157-33-5671)へ。 (匡) (2018年8月20日の記事 経済の伝書鳩)

子ども食堂(こどもしょくどう、こども食堂、子供食堂)は、子どもやその親、および地域の人々に対し、無料または安価で栄養のある食事や温かな団らんを提供するための日本の社会活動。2010年代頃よりテレビなどマスメディアで多く報じられたことで動きが活発化し、孤食の解決、子どもと大人たちの繋がりや地域のコミュニティの連携の有効な手段として、日本各地で同様の運動が急増している。 (子ども食堂 – Wikipedia)

関連サイト

高齢者・こども地域食堂 きたほっとホームページ

北見高齢者・こども110番の家 きたほっとホームページ

子ども食堂の活動に関する福祉部局との連携について(通知) : 文部科学省

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きたほっと の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

地域食堂 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

子ども食堂 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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日本の 自衛隊機乗り逃げ事件について

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日本の 自衛隊機乗り逃げ事件について

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6月23日 歴史 / 1973年 宇都宮市の陸上自衛隊北宇都宮駐屯地で、飲酒した自衛官が飛行機に乗って飛び去り、そのまま行方不明となる。(6月23日 今日は何の日~毎日が記念日~

6月23日 できごと / 1973年 – 自衛隊機乗り逃げ事件発生。(6月23日 – Wikipedia

自衛隊機乗り逃げ事件(じえいたいきのりにげじけん)とは、飲酒した陸上自衛官が航空機に乗って飛び去り、機と一緒に行方不明になったという不可解な事件。なお、乗り逃げした機体および自衛隊員が発見されることはなかった。事件の概要 / 1973年6月23日の午後9時頃、栃木県宇都宮市にある陸上自衛隊北宇都宮駐屯地(宇都宮飛行場:RJTU)の滑走路から、突然LM-1型連絡機が離陸した。夜間のことであり、管制塔が閉鎖されていたため、大騒ぎになった。隊内の調査で、同駐屯地に駐屯していた航空学校宇都宮分校(現宇都宮校)所属の整備員3等陸曹(当時20歳)が飲酒の上、行方不明となっていることが判明した。飛行機は南に向かって飛び立ったのが目撃されているが、レーダーでは捕捉されず、かなりの低空飛行だったと推測されている。無線の使い方がわからなかったのか、意図的に応じなかったのか定かではないが、呼びかけにも応答せず、同機に搭載された5時間20分相当(航続距離 1,300 キロメートル)の燃料が尽きたため、墜落したと思われる。格納庫は緊急事態に備えるため、閂がかかっていただけで施錠はされていなかった。3曹は整備士として副操縦席に搭乗経験があったのみで操縦訓練は受けておらず、搭乗経験もLM-1では2時間10分しかなく、しかも酒が入った状態で単独で夜間飛行でき、市街地に墜落しなかったこと自体が奇跡であった。防衛庁・陸上自衛隊は、彼が酔った勢いで突如航空機を操縦してみたいという衝動に駆られ、乗り逃げしたものと断定した。1ヶ月間にわたる捜索でも(その後、現在に至るまで)機体は発見できず、3曹は8月1日付けで行方不明のまま懲戒免職とされた。なお、関係者7人も航空機の管理責任を問われる形で処分されている。(自衛隊機乗り逃げ事件 – Wikipedia


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自衛隊機乗り逃げ事件 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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6月13日 はやぶさの日(日本)

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6月13日 はやぶさの日(日本)

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6月13日 はやぶさの日 / 宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所がある神奈川県相模原市が2012年に制定。2010年のこの日、小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」までの7年間の旅を終えて地球に帰還した。歴史 / 2010年 小惑星探査機「はやぶさ」が7年ぶりに地球に帰還。(6月13日 今日は何の日~毎日が記念日~

6月13日 できごと / 2010年 – 小惑星探査機「はやぶさ」が7年ぶりに地球に帰還。6月13日 はやぶさの日(日本)2010年のこの日、世界初の小惑星サンプルリターンなどを成し遂げた宇宙探査機はやぶさが地球に帰還したことを記念。(6月13日 – Wikipedia

はやぶさ(第20号科学衛星MUSES-C)は、2003年5月9日13時29分25秒(日本標準時、以下同様)に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機で、ひてん、はるかに続くMUSESシリーズ3番目の工学実験機である。イオンエンジンの実証試験を行いながら2005年夏にアポロ群の小惑星 (25143) イトカワに到達し、その表面を詳しく観測してサンプル採集を試みた後、2010年6月13日22時51分、60億 kmの旅を終え、地球に大気圏再突入した。地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してのサンプルリターンに、世界で初めて成功した。反応 / 複数の技術的なトラブルに見舞われ帰還を絶望視されつつも、それを乗り越えて地球への帰還を目指すはやぶさの旅程は、多くの日本人に美談として受け止められ共感を呼んだ。天皇・皇后 / 天皇誕生日に先立つ2010年12月20日の記者会見で、今上天皇は「はやぶさ」について次のように述べた。小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」に着陸し、微粒子を持ち帰ったことは誠に喜ばしい今年の快挙でした。一時は行方不明になるなど数々の故障を克服し、ついに地球に帰還しました。行方不明になっても決して諦めず、様々な工夫を重ね、ついに帰還を果たしたことに深い感動を覚えました。— 今上天皇。また皇后は、はやぶさが大気圏に突入した時のことを和歌に詠んだ。その帰路に己れを焼きし「はやぶさ」の光輝(かがや)かに明かるかりしと— 皇后。メディア / 2010年6月13日の地球帰還が近付くにつれてニュースやワイドショーで取り上げられる機会も増え、6月10日にはNHKの『クローズアップ現代』で「傷だらけの帰還 探査機はやぶさの大航海」が放送された。インターネットによる広報と反響 / はやぶさは、「星の王子さまに会いに行きませんか」キャンペーンを実施し、国内外から88万人の署名入りターゲットマーカーを積んでいたことで、投下成功のニュースには多くの励ましのメールがJAXAに届けられた。(はやぶさ (探査機) – Wikipedia

Hayabusa (はやぶさ, literally “Peregrine Falcon”) was an unmanned spacecraft developed by the Japan Aerospace Exploration Agency (JAXA) to return a sample of material from a small near-Earth asteroid named 25143 Itokawa to Earth for further analysis. Hayabusa, formerly known as MUSES-C for Mu Space Engineering Spacecraft C, was launched on 9 May 2003 and rendezvoused with Itokawa in mid-September 2005. After arriving at Itokawa, Hayabusa studied the asteroid’s shape, spin, topography, colour, composition, density, and history. In November 2005, it landed on the asteroid and collected samples in the form of tiny grains of asteroidal material, which were returned to Earth aboard the spacecraft on 13 June 2010. (Hayabusa – Wikipedia

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関連サイト

「はやぶさ」 奇跡の帰還 | NHK名作選(動画他) – NHK語学番組 – NHKオンライン

JAXA|小惑星探査機「はやぶさ」 ついに地球へ帰還!

JAXA | 小惑星探査機「はやぶさ」(MUSES-C)

小惑星探査機「はやぶさ」 | 科学衛星・探査機 | 宇宙科学研究所

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