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天皇家 の検索結果: 105 件
ギターが大好きな 秋篠宮文仁親王殿下
ギターが大好きな 秋篠宮文仁親王殿下
1992年(平成4年)7月10日、秋篠宮家の宮邸を訪問。庭園のアジサイ(紫陽花)が歓迎してくれました(うるはしき 色は匂へど 何んとなく さびしく見ゆる あちさゐの花 明治天皇)。日中国交正常化20周年記念音楽祭ご招待(新宿文化センター大ホール)葉紅旗&南京伝統楽器演奏団・新堀寛己指揮新堀ギターオーケストラ。宮務官・富士亮さん(農学博士 宮内庁オーケストラ・ビオラ演奏者)の心良きはからいで訪問できました。ありがとうございました。
赤坂御用地の巽門を一歩入ると、ほど良く手入れされた緑の自然が豊かに広がっていました。ここは都会の真ん中かしら? 北海道の美幌町に帰って来てしまったような気持ちです。庭園を1人で歩いていると、高校生らしい女の子がやってきて「ごきげんよう!」と丁寧にあいさつをしてくれました。私は、こういうところの職員の子は良く躾けられているんだなあ、と感心して気軽に片手をあげて「やあ!こんにちは」と言って通り過ぎてしまいました。そして秋篠宮家の宮邸の玄関に着くと、宮務官が「今さっき、紀宮清子さま(黒田清子)がお帰りになられましたが途中でお会いされましたか」私は「はい、ちゃんとご挨拶いたしました!」 。
1999年(平成11年)5月14日、秋篠宮家の宮邸を訪問。日中音楽交流とギター贈呈について。お土産は、美幌町のスズラン(50苗)新居の庭で可愛く咲きますように。眞子さま、佳子さま、喜びますように! オホーツクの澄んだ空気と青空の下で、お会い出来ますように。
2006年(平成18年)2月24日、秋篠宮文仁親王妃 紀子さま(39歳)ご懐妊(宮内庁発表)。9月下旬ご出産予定。おめでとうございました。5月24日、秋篠宮家の宮邸にお祝いメッセージと懐かしの資料を送呈。5月29日、秋篠宮家の宮邸の宮務官・徳丸久衛さんから電話「とても喜ばれて、宜しくとのことです」。よかった!「美幌町の夕食宅配サービス」「イランカラプテ川柳」ご覧になっている?!
2006年(平成18年)6月1日、秋篠宮文仁親王殿下(40歳)東京農大オホーツクキャンパスご来訪。生き物文化誌学会 第4回芸術大会(オホーツク大会)ご出席。
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秋篠宮(あきしののみや)は、日本の皇室の宮家の一つで、今上天皇の第二皇男子・文仁親王の宮号。概要 / 1990年(平成2年)6月29日、秋篠宮文仁親王と川嶋紀子との結婚を機に創設された。構成 / 秋篠宮文仁親王、文仁親王妃紀子、眞子内親王、佳子内親王、悠仁親王。(秋篠宮 – Wikipedia)
秋篠宮文仁親王(あきしののみや ふみひとしんのう Fumihito, Prince Akishino、1965年〈昭和40年〉11月30日 – )は、日本の皇族。今上天皇の第二皇男子。秋篠宮の家祖。母は皇后美智子。身位は親王、皇室典範における敬称は殿下。お印は栂。皇位継承順位は兄・皇太子徳仁親王に次ぐ第2位。勲等は大勲位菊花大綬章。学位は博士(理学)(総合研究大学院大学・1996年)。そのほか、タイ王国複数の大学より、名誉博士の名誉学位・称号を授与されている。住居(秋篠宮・宮邸)は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内。1997年(平成9年)3月からは旧秩父宮・宮邸を使用している。2007年9月5日から現在まで皇室会議の議員を務めている。皇位継承資格 / 現在の皇位継承順位は実兄の皇太子徳仁親王に次いで第2位。天皇陛下の譲位にあたり、2018年現在皇位継承順位1位の実兄である皇太子徳仁親王が皇位を継承した場合、文仁親王は新たに皇位継承順位1位となる。政府は文仁親王の新たな敬称について、「皇嗣殿下」とする方針を固めた。なお、その待遇については現在の皇太子と同等になる。(秋篠宮文仁親王 – Wikipedia)
赤坂御用地(あかさかごようち)は、東京・赤坂にある皇室関連施設の名称であり、敷地内には以下の御所・宮邸がある。また、敷地の内部には園遊会が開催されることで知られる赤坂御苑がある。宮邸 / 秋篠宮邸 / 秋篠宮邸は御用地の南東部に位置する秋篠宮家の宮邸である。北に赤坂東邸が隣接し、正門は巽門という。秋篠宮邸は、改修した旧秩父宮邸を1997年(平成9年)3月から現宮邸として使用しているものである。文仁親王が皇嗣となった後は、増築が予定されている他、赤坂東邸も秋篠宮邸と一体となった利用が検討されている。(赤坂御用地 – Wikipedia)
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天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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2019年4月10日 天皇皇后両陛下の60回目の結婚記念日
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1959年 4月10日 皇太子明仁親王(今上天皇)が正田美智子さんと結婚。皇居賢所から初めてテレビ中継される。(4月10日 今日は何の日~毎日が記念日~)
1959年 4月10日 – 皇太子・明仁親王と正田美智子が結婚、ミッチー・ブームが最高潮に。(4月10日 – Wikipedia)
ミッチー・ブームとは、正田美智子(当時)が1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて、日本の皇太子・明仁親王(当時)と婚約して結婚することにより生じた社会現象。平民である美智子が、皇太子との「テニスコートでの自由恋愛」により結婚に至ったこと、美智子がカトリックのミッション系大学出身者であったことなどをマスメディアが報道し、大きな話題となる。これを契機にテレビが普及するなど、第二次世界大戦後の日本の経済、ファッション、マスメディアなどの領域で、社会に大きな影響を与えた。概要 / 婚約 / 第二次世界大戦終結後11年が経過し、1956年(昭和31年)の経済白書が「もはや戦後ではない」と明記し、景気が上昇していた中で、宮内庁は1958年(昭和33年)11月27日、皇室会議が日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子を皇太子妃に迎えることを可決したと発表する。結婚 / 翌1959年(昭和34年)4月10日の、いわゆる結婚式(「結婚の儀」「御成婚」)と、実況生中継されたパレード(ご成婚パレード)で、ミッチー・ブームは頂点に達する。関連作品 / 祝典行進曲 作曲:團伊玖磨。皇太子のタンゴ(Tango of Prince)作曲:ロタール・オリアス(ドイツ語版)、演奏:リカルド・サントス楽団 正田美智子と明仁親王の婚約発表を祝賀して制作され、ヒットした。皇太子殿下御成婚祝典序曲 作曲:芝祐靖、演奏:宮内庁式部職楽部 楽部は雅楽の演奏が主だが、西洋楽器も修得している。祝典序曲 作曲:石井歓、演奏:東京交響楽団 KRテレビで放送された。祝典曲 作曲:別宮貞雄 日本テレビで放送された。カンタータ「祝婚歌」 作曲:黛敏郎、作詞:三島由紀夫、演奏:ヴィルヘルム・シュヒター指揮NHK交響楽団 NHKの委嘱により作曲、放送された。小カンタータ「わが皇子とわが妃 皇太子・美智子賛歌」 作曲:山田一雄(当時は「和男」表記)、演奏:作曲者指揮東京交響楽団。舞楽「嘉春楽」 作曲:宮内庁式部職楽部(辻寿男・東儀和太郎両楽長補が中心となって作曲)。管絃「雲竜楽」 作曲:宮内庁式部職楽部(辻寿男・東儀和太郎両楽長補が中心となって作曲)。管絃「仁寿楽」 作曲:宮内庁式部職楽部(辻寿男・東儀和太郎両楽長補が中心となって作曲)。(ミッチー・ブーム – Wikipedia)
皇后美智子(こうごう みちこ Empress Michiko、1934年〈昭和9年〉10月20日 – )は、日本の皇族。第125代天皇・今上天皇の皇后。旧姓は正田(しょうだ)。皇室典範に定める敬称は陛下。略歴 / 1958年(昭和33年)11月27日、結婚が皇室会議において満場一致で可決された。同日記者会見にて、記者から明仁親王の魅力について問われ「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました。」と回答。これは当時の流行語にもなった[13]。また第一印象について「ご清潔な方」とした。明仁親王と美智子の巨大な写真がデパートに飾られる・「美智子さまぬりえ」が発売される等のミッチー・ブームが起こる。皇太子妃時代 / 1959年(昭和34年)4月10日、皇太子明仁親王と結婚、明治以降初めての民間出身[注釈 2]の皇太子妃となる。同日の成婚パレードには、沿道に53万人もの市民が集まった。お印は夫妻の出会いの場だった軽井沢にちなんで白樺とした。皇后時代 / 1989年(昭和64年)1月7日、明仁親王の即位に伴い皇后になる。1994年(平成6年)10月20日、還暦を迎える。「上皇后」へ / 2017年6月9日に退位特例法が成立した。これにより今上天皇の退位が実現すれば、同法に基づき称号は「上皇后」となる。著作 / 作詞 / ねむの木の子守歌(作曲:山本正美) 1966年、吉永小百合(ビクター)と梓みちよ(キング)の競作でシングルレコードとして発売。鮫島有美子や横内美知代をはじめ多くの歌手にカバーされている。(皇后美智子 – Wikipedia)
明仁(あきひと Emperor Akihito、1933年(昭和8年)12月23日 – )は日本の第125代天皇(在位: 1989年(昭和64年)1月7日 – )である。現時代においては「在位中の天皇」を意味する今上天皇(きんじょうてんのう)、または敬称をつけて天皇陛下(てんのうへいか)と呼ばれることが多い[2]。来歴 / 青年以降 / 1957年(昭和32年)8月19日、避暑で訪れた軽井沢のテニストーナメントで正田美智子と出会う。1959年(昭和34年)1月14日に納采の儀が、同年4月10日に結婚の儀が執り行われた。明治以降では初の民間出身・皇太子妃であり、また結婚に至る過程が報道されたこともあって、市民からは熱烈に歓迎され、国民的な「ミッチー・ブーム」が興る。成婚のパレードは盛大に行われ、国民の祝福を受けた。2人の成婚の様子を見るために、当時高価であったテレビも普及し始めた。また婚礼を祝して「祝典行進曲」が作曲された。2017年12月1日、天皇の生前退位の日程が2019年4月30日に決定したと発表された。同8日、政府は同日付での退位を閣議決定した。即位以降 / 1989年(昭和64年)1月7日、父・昭和天皇の崩御を受け、即座に歴代2位の年長となる55歳で即位(現在は皇室典範により、践祚と即位が統合されたため、従前の践祚に相当)。譲位 / 2017年(平成29年)6月9日の参議院で天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立し、16日に正式公布された。このため、その地位と職務をすべて皇太子徳仁親王へ譲り、自らは光格天皇以来200年ぶりとなる上皇となる予定である。また退位日については、2017年(平成29年)12月1日開催の皇室会議において、2019年(平成31年)4月30日とすることが決まった。この日限りで平成の元号は終わる。(明仁 – Wikipedia)
『祝典行進曲』(しゅくてんこうしんきょく)は、1959年(昭和34年)に團伊玖磨によって作曲された行進曲。1959年、当時皇太子であった明仁親王(今上天皇)及び美智子妃(現皇后)の成婚を祝して作曲された。概要 / 日本の作曲家・團伊玖磨が、1959年に皇太子の成婚を祝して作曲した行進曲である。1964年の東京オリンピック及び1984年のロサンゼルスオリンピックの開会式[1]、1990年(平成2年)の即位の礼、1992年の天皇訪中の際、中国側の歓迎として晩餐会で、2005年(平成17年)の黒田慶樹と紀宮清子内親王との結婚式で演奏された。2009年(平成21年)12月13日、アマチュア・オーケストラである学習院OB管弦楽団主催の今上天皇即位20年と天皇・皇后の結婚50年記念演奏会では、皇太子徳仁親王がヴィオラの首席奏者として参加し、天皇、皇后、皇太子妃が客席から鑑賞した。(祝典行進曲 (團伊玖磨) – Wikipedia)
関連サイト
天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年) – 宮内庁
皇太子さま ご結婚 | NHK名作選(動画他) – NHK語学番組 – NHKオンライン
関連エントリ
天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) – 美幌音楽人 加藤雅夫
Empress Michiko の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
Emperor Akihito の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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日本の皇室のご活動・ニュース(平成30年 春)
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皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。(皇室 – Wikipedia)
皇室の系図一覧(こうしつのけいずいちらん)では、日本の皇室(天皇および皇族)、並びに皇室を祖とする氏族に連なる人物のうち、日本史上の主要な人物を配した系図の一覧を示す。神話上の人物も、実在の人物とする説はあるので記載する。(皇室の系図一覧 – Wikipedia)
関係サイト
The Imperial Household Agency Website
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今日(3月6日)は 香淳皇后のお誕生日です ー 美幌音楽人 加藤雅夫
天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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天皇誕生日(12月23日、平成元年より)
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天皇誕生日
天皇誕生日(てんのうたんじょうび)は、日本の国民の祝日の一つである。日付は12月23日(平成元年より)。 2017年(平成29年)6月16日に公布された天皇の退位等に関する皇室典範特例法では、附則第10条に国民の祝日に関する法律の改正も盛り込まれており、同法の施行による皇太子徳仁親王の即位に伴い、2020年から天皇誕生日も2月23日に変更される予定である。変更に伴い、現行の天皇誕生日にあたる12月23日は平日に戻される予定である。なお代替わりとなる2019年は、2月23日は皇太子徳仁親王の天皇即位前、12月23日は今上天皇の退位後のため、天皇誕生日は設定されない見込みである。(天皇誕生日 ー Wikipedia)
関連サイト
宮内庁のホームページ
http://www.kunaicho.go.jp/
The Imperial Household Agency Website
http://www.kunaicho.go.jp/eindex.html
関連エントリ
天皇家の皆さま方と美幌峠(美幌町) ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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天皇誕生日 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫
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大正11年 – 昭和天皇の カラマツ (北海道 北見市 常呂)
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1922 – Larch of Emperor Showa (Kitami city Tokoro, Hokkaido)
国民の祝日 – 昭和の日 (昭和天皇の誕生日)
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Public holidays in Japan – Showa Day (Showa Emperor’s birthday)
昭和天皇、日本全国巡幸開始 (1946年 2月19日)
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天皇明仁陛下(81歳)の誕生日 (2014年 12月23日)
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Birthday of Emperor Akihito Majesty (81 years) (December 23, 2014)
秋篠宮文仁親王殿下の誕生日。(1965年 11月30日)
秋篠宮文仁親王殿下のお誕生日。(1965年 11月30日)
Birthday of Fumihito, Prince Akishino Highness. (November 30, 1965)
常陸宮正仁親王殿下の誕生日。(1935年 11月28日)
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Birthday of Masahito, Prince Hitachi Highness. (November 28, 1935)
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