大相撲美幌場所 の検索結果: 2 件

2004年(平成16年) 大相撲夏巡業 美幌場所

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2004年(平成16年) 大相撲夏巡業 美幌場所

2004年 (平成16年) 7月31日、大相撲夏巡業「北海道・美幌場所」日本相撲協会主催。力士と相撲関係者など380人が来町。会場(美幌町スポーツセンター)には2000人が詰め掛けた。場内は35度以上の猛暑でした。7人のモンゴル出身の大相撲力士(白鵬、朝青龍、安馬・日馬富士、旭天鵬、朝赤龍、鶴竜、時天空)に、北海道立北方民族博物館の総合案内書と第19回特別展「北の遊牧民 モンゴルからシベリアへ」図録をプレゼントしました。館長の岡田宏明さん、学芸員の中田篤さん(送呈)ありがとう。モンゴル出身の大相撲力士の白鵬翔や日馬富士公平(安馬公平)みなさんは大変驚き…写真を見て「コレハ本物デスカ?」「コレハ偽物デスカ?」そして私を見て「アナタ何者デスカ?!」。

北海道津別高等学校の相撲部が全国大会に出た時に、白鵬翔からメッセージが送られてきた。白鵬翔からの激励メッセージ「津別高校相撲部、がんばれ!」と手形色紙は、津別高校に贈呈した。

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公益財団法人日本相撲協会(にほんすもうきょうかい、英語: Japan Sumo Association)は、大相撲興行の幕内最高優勝者に対して「摂政宮賜杯」(現在の天皇賜杯)を授与するために1925年に財団法人として設立され、2014年に公益財団法人に移行した相撲興行団体である。公益法人としての法人格の取得及び維持のため、相撲競技の指導・普及、相撲に関する伝統文化の普及を定款上の目的としている。概要 / 日本相撲協会は、公益法人でありながら、営利的かつ職業的な相撲興行を全国規模で開催している唯一の法人である。公益財団法人に移行する前は、文部科学省スポーツ・青少年局競技スポーツ課所管[1]特例財団法人であった。通称「相撲協会」。日本国外のメディアでは「Japan Sumo Association」およびその略称のJSAが使われる。 (日本相撲協会 – Wikipedia)

Category:モンゴル出身の大相撲力士 / モンゴル国出身の大相撲力士に関するカテゴリ。 (モンゴル出身の大相撲力士 – Wikipedia)

関連サイト

日本大相撲協会公式サイト

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1954年(昭和29年) 大相撲夏巡業 美幌場所

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1954年(昭和29年) 大相撲夏巡業 美幌場所

1954年 (昭和29年)、大相撲夏巡業「美幌場所」で子供相撲に参加。対戦相手は横綱の朝潮太郎(高砂部屋三代目親方米川文敏、当時は小結でした)両手を広げて襲いかかる姿は、ゴジラかキングコングです。私のまわしに毛むじゃらの大きな手が当たり(?)まわしがポロリとはずれた。土俵上で呆然としている3人(行司も)の間に関脇の若前田さんが飛び込んで、まわしを直してくれた。そして私の身体は朝汐と若前田の間を何回もパス(空間移動)された。恥ずかしさと悔しさで頭にきた私は無我夢中で突進し、押し出しで勝った。場内から「最高の一番だ!!」土俵下で同級生の金沢君が「さっき皆でかかっていったときに朝汐の足にしがみついて、太い毛を引き抜いてやった」『そうか!だから朝汐は怒ったんだ、オレがやったと思って…オレは少し、かじっただけなのに…』。64年前の出来事です。一生忘れません。

美幌町出身 北の富士勝昭さんは、1954年の北海道巡業で横綱・千代の富士からスカウトされた。

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朝潮 太郎(あさしお たろう、1929年(昭和4年)11月13日 – 1988年(昭和63年)10月23日)は、本名・米川 文敏、鹿児島県徳之島出身(出生地は兵庫県武庫郡、現在の神戸市)で、高砂部屋に所属していた大相撲第46代横綱。来歴・人物 / 1948年(昭和23年)10月場所、本名の米川で初土俵。当時奄美は米軍の占領下にあったので兵庫県の親戚、大沢徳城を頼って貨物船に忍び込み密航、奄美が返還されるまで兵庫県(神戸)出身と番付に書かれていた。力士となってから故郷奄美の返還運動にも参加し奄美返還後は鹿児島県出身と書かれた。濃い胸毛と太い眉毛で人気を博し、当時は”一に朝潮、二に長嶋、三に三島由紀夫”と胸毛の濃い著名人を謳うフレーズが聞かれた。東宝映画『日本誕生』に手力男命の役で出演したり、週刊少年マガジン創刊号の表紙も飾った。大阪場所で強く、「大阪太郎」と呼ばれた横綱だった。1995年7月、出身地の徳之島町に銅像が建てられた。2006年12月の徳之島巡業の折には、孫弟子にあたる横綱朝青龍が銅像の前で土俵入りを行っている。夫人ら家族は長野県茅野市でちゃんこ鍋屋「相撲茶屋 よねかわ」を経営。長男はフジテレビプロデューサーの米川一成。 (朝潮太郎 (3代) – Wikipedia)

若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう、本名:由井 秀夫(ゆい ひでお)、1930年11月24日 – 2007年6月3日)は、愛知県清須市(現役当時は、同県西春日井郡西枇杷島町)出身で、主に1950年代後半に活躍した大相撲力士。高砂部屋に所属していた。最高位は東関脇(1958年5月場所、同年7月場所)。 (若前田英一朗 – Wikipedia)

北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき、1942年3月28日 – )は、北海道旭川市(出生は網走郡美幌町)出身の元大相撲力士。第52代横綱。本名は竹澤 勝昭(たけざわ かつあき)得意技は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ、外掛け。来歴 / 誕生~入門 / 1942年3月28日に北海道網走郡美幌町で生まれる。1954年のある日、故郷・留萌で大相撲の北海道巡業が行われていたので家族で見に行ったところ、恵まれた体格をした少年を見つけた横綱・千代の山から直々に「どうだ、相撲をやって、東京見物をしてみないか」声をかけられ、これがきっかけで相撲に興味を持つようになった。その後も軟式野球を続けていたが、現役横綱から直接声をかけられたことが忘れられず、北海高等学校・北海道旭川南高等学校・北海道留萌高等学校の各野球部と、北海道増毛高等学校(当時の全国優勝校)・北海道天塩高等学校の各レスリング部(当時の全道準優勝校)から熱心に勧誘されていたが、全てを断って中学校卒業と同時に出羽海部屋へ入門した。 (北の富士勝昭Wikipedia

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