ユジノサハリンスク の検索結果: 4 件

ソビエト連邦サハリン州在住のコンスタンチン君

ソビエト連邦サハリン州在住のコンスタンチン君

北海道札幌市内にある札幌医科大学附属病院の医師 金子正光さんの活躍は新聞・テレビニュースでよく見ていた。金子正光さんは 札幌医科大学附属病院の医師 和田寿郎さんのスタッフの一員でした。私が22歳のとき、1969年(昭和44年)10月、札幌医科大学附属病院胸部外科の病棟に入院・手術では大変お世話になりました。

私がソビエト連邦サハリン州を訪れたのは 1991年(平成3年)7月だった。北海道北見市の友好都市ポロナイスク市(敷香町)で音楽祭を開催するためだった。 この年の12月にソ連崩壊だった。

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コンスタンティン・イーゴレビチ・スコロプイシュヌイ(ロシア語: Константин Игоревич Скоропышный、1987年 – 愛称:コンスタンチン君、コースチャ)は、1990年に大火傷を負ったが日本へ緊急搬送されて一命を取り留めた、当時ソビエト連邦サハリン州在住の3歳幼児である。 大火傷と日本への緊急搬送 / 事故 / 1990年8月20日、断水のため湯が出ず、母は家事をしながら汲み置きしていた水をバケツに入れ、電熱棒をバケツにいれて熱していた。そして家で一人で遊んでいたコンスタンチンは、100度近くになった熱湯にしりもちをつく形でバケツ内に落下した。 母はコンスタンチンをユジノサハリンスク州立小児病院に緊急搬送したが、腹部・背中・尻が熱傷3度、手足が熱傷2度で、全身の90パーセントの大火傷をしており、医師に「この病院では50パーセントの火傷でも助からない」、「ここでは手の施しようがない」、「あと2週間も持たない」と言われた。病院で行われた治療は1日1回の輸血とビタミン剤と鎮痛剤の投与のみだった。両親は他の病院を回ったが、ここでは助からないと言われた。しかし他人の皮膚を移植する治療方法があるという話を聞いた。 緊急搬送 / 8月26日、友人の一人から、「近所に日本人が来ている。日本は医療が発達しているから日本に行けば助かるかもしれない」という話を聞き、その日本人男性の元へ行ったが、その日本人はロシア語がわからなかったため、近所の日本語ができる朝鮮系の男性を連れて再び訪れ、救助を求めた。 その日本人は8月27日朝10時に北海道庁国際交流課係長(当時)に「サハリンに大火傷をした子がいる。余命70時間しかない」と電話で助けを求めた。係長はすぐ外務省ソ連課に連絡を取り、外務省はすぐ法務省と協議した結果、コンスタンチン一家を仮上陸で日本へ入国させることで、査証なしで受け入れることを決めた。 北海道は午後1時すぎ、海上保安庁千歳航空基地に救援機の出動を依頼した。 午後2時20分、サハリン州のワレンチン・フョードロフ知事から北海道の横路孝弘知事宛に救援要請書が届く。 北海道庁国際交流課係長は、自身が以前出向していた札幌医科大学附属病院にサハリンへの医師の同行とその後の治療を依頼した。附属病院の医師は、緊急医療の原則として「助かる見込みがなければサハリンに置いてくる。しかし助かる見込みが少しでもあれば連れてくる。」とした上で、これを引き受けた。 ユジノサハリンスク空港のアプローチチャートをたまたま持っていた日本航空から取り寄せ、千歳航空基地でソ連領事館員と綿密な打ち合わせをしたあと、8月28日午前3時45分、操縦士、医師、通訳等、13名の日本人を乗せた海上保安庁千歳航空基地所属 YS11-LA782「おじろ」が、サハリンに向け千歳航空基地を離陸した。 YS-11は濃霧のためサハリン上空を1時間半旋回し、6時43分サハリン到着。 そこで医師は火傷をして1週間経っていることをはじめて知った。助かる可能性はわずかしかなかったが、コンスタンチンとサハリン州知事から唯一同行を許された父を乗せ、7時47分にユジノサハリンスク空港を離陸した。 機内ですぐに応急処置、酸素吸入、点滴が行われ、8時55分丘珠空港に着陸、すぐに北海道警察のヘリコプターで医大へ搬入、9時10分に医大に到着した。 日本での治療 / 8月30日、東京の病院から、遺族の了解を得て採取された移植用の人皮が病院に到着。4時間の皮膚移植手術が行われた。不足する皮膚は、キチン質から合成された人工皮膚も使用された。 一週間後、移植した皮膚が定着したことが確認され、火傷から10日目には意識を回復した。 9月8日には、母にサハリン州知事から出国の許可が下り、特別上陸手続きで来日した。 その後は一週間ごとに手術を繰り返し、10月23日には一般病棟に移るまでに回復した。そして11月23日に退院し、翌日帰国した。 その後 / 日ソ国境を越えたその救出劇は、冷戦終結直後の時代に、日本と旧ソビエト連邦との関係が改善されるきっかけとなった。緊急搬送の経過は、2000年7月25日にNHK『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で、「国境を越えた救出劇 大やけどのコンスタンチン君・命のリレー」として放映された。 (コンスタンティン・スコロプイシュヌイ – Wikipedia)

関連サイト

コンスタンチン君~国境を越えた命のリレー~ 平成2年 – NHK札幌放送局

国境を越えた救出劇~大やけどコンスタンチン君・命のリレー~ – BIGLOBE

コンスタンチン君救命リレー忘れられた記事冷戦国境超えた医療 | 健康と子供生活

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コンスタンチン君 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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「サハリン書道コンテスト」作品展開催

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「サハリン書道コンテスト」作品展開催。
Выставка “Сахалин Каллиграфия Конкурс” состоится.
“Sakhalin Calligraphy Contest” Exhibition held.

「サハリン書道コンテスト」作品展開催 の全文を読む

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知事コラム「サハリン州訪問」(北海道から)

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北海道から
アイヌ言葉でおもてなしの挨拶

「イランカラプテ」(Irankarapte)
こんにちは、はじめまして!

北海道のメールマガジン「Do・Ryoku(動・力)」(第377号)が送られてきました。
日本および世界各地、北海道各地の皆様にご案内いたします。(一部抜粋)

知事コラム「サハリン州訪問」(北海道から) の全文を読む

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北海道の北見市で「サハリン書道コンテスト」作品展

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ユジノサハリンスク(露: Южно-Сахалинск、英: Yuzhno-Sakhalinsk)は、ロシア連邦極東連邦管区サハリン州の都市で、同州の州都である。

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