シルバーラブ の検索結果: 7 件

留辺蘂短歌会 歌会詠草一覧

留辺蘂短歌会 歌会詠草一覧

関連記事

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会 九月歌会詠草
愛などの言の葉知らず暮しけむ今日は夕餉を深くねぎらう 寺沢武男
養蜂の巣箱を襲ふスズメバチ中に入れぬと騒然の舞 渡辺正男
真夜中にトイレにおきて足もつれ壁にぶつかり背中が痛む 荒井一子
ひ孫来て枝豆穫りに夢中なり姿が見へず呼ぶ声に「ハーイ」 伊藤光枝
手術後の経過は良しと眼科医が兄は「まぶしい」と破顔一笑 小池信子
青空がいいね元気がうれしいねそよ風の中テニスも楽し 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会 八月歌会詠草
九十を過ぐれば明日は知らねどもさや豌豆の種を採りゐる 寺沢武男
早朝にサボテンの花たば咲きに喜び束の間猛暑でしをれ 渡辺正男
今年また胃カメラ検査早いなあ異常がなくて安堵するわれ 荒井一子
陽が照るも風は秋かな心地よし草取りはかどり頑張れる朝 伊藤光枝
大声で姉の名を呼ぶ仲の良い元気な義兄が夏の夜に逝く 小池信子
伸びゆきて百合の花芽の膨らみし竹木を添えて倒るを防ぐ 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌会
留辺蘂短歌会 六月歌会詠草
ひさびさの庭木の手入れ疲れきて座して憩へばすずらんの花 寺沢武男
ペダル踏み重く進まぬ向かひ風帰路は快適ねぎ畑抜ける 渡辺正男
チューリップ今日にも散りゆく風にゆれ楽しみに待つ次の花まで荒井一子
朝明に今日の天気はと空ながめ友よりの新茶味はひうれし 伊藤光枝
ワクチンの接種終えてひと安心戴きものの冷えたワインを 小池信子
をちこちに花々咲きて彩りて我が家の庭の春は賑やか 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会 四月歌会詠草
朝刊を配る踏みあとうつすらと眩しく光る明けの淡雪 寺沢武男
出会ひから共に歩みし六十年強く生きると遺影に誓ふ 渡辺正男
春うらら花壇のゴミが目だつ時期ひときわ目をひく福寿草咲く 荒井一子
ひ孫来て手紙差し出し「ハイばあちゃん」得意な笑顔で返事待ちをり 伊藤光枝
カルテ見て「変わりないかい」と医者が聞く「まあいいでしょう」と優しい言葉 小池信子
採りたての野生のワサビ食卓にピリット辛し晩酌すすむ 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会三月歌会詠草
一椀に足るる朝餌にあれこれと添へて気づかふ妻に生かさる 寺沢武雄
潮満ちて湖に流れ入る流氷(こおり)避け羽を休めるコガモの群れが 渡辺正男
すこしでも若く見せたい女心白髪かくしてピンクのブラウス 荒井一子
昼食にいただきますと手を合はせ教えられてはひ孫をほめる 伊藤光枝
逢いたいと思いはあれどコロナにて逢えないままに恩師旅立つ 小池信子
未曾有なる大震災の様相を忘るまじきと語り部は繋ぐ 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会ニ月歌会詠草
それなりに生きて九十誕生会祝ふる子等の笑ひ弾ける 寺沢武雄
たくさんの衣類片づけ戸惑ひぬ写真に残る服で手止まる 渡辺正男
丑の人一般的にのん気ものいつもマイペース我もその一人 荒井一子
流氷がオホーツク海に来たと言ふ我が家の家の前は雪解けて春 伊藤光枝
楽しめる趣味はあれどもコロナにて我が身守りつワクチンを待つ 小池信子
「麒麟がくる」大河ドラマを観終へし夜しばし心は明智なりたし 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会一月歌会詠草
新しきシェーバーの音かろやかに撫でみる指の今朝の洗面 寺沢武男
コロナ禍に翻弄されし子年去りたとえば丑のごときと詣でる 渡辺正男
貯金箱あつめておいたつり銭は孫の年玉にすべて吐き出す 荒井一子
「おめでたう」ひ孫にっこり頭さげクルット腰かけ急ぎ靴ぬぐ 伊藤光枝
筆さばき上手に出来ぬ我なれど寿大学祭(だいがくさい)に初展示する 小池信子
初酒の香り満たして妻に言ふ「今年もよろしくお願ひします」 荒木正憲

関連サイト

留辺蘂短歌会の連絡先 0157-42-2195(荒木)

関連エントリー

ゆかりのある三歌人(富太郎、茂吉、直吉) – 美幌音楽人 加藤雅夫

老いらくの恋~シルバーラブの日 – 美幌音楽人加藤雅夫

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11月30日 シルバーラブの日 (老いらくの恋)

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11月30日 シルバーラブの日 (老いらくの恋)

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11月30日 シルバーラブの日 / 1948(昭和23)年のこの日、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出した。当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、死を覚悟しての行動だったが、養子に連れ戻された。その後2人は結婚した。 川田が詠んだ墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなしから「老いらくの恋」が流行語になった。 (11月30日 今日は何の日~毎日が記念日~)

11月30日 できごと / 1948年 – 68歳の歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出。川田が詠んだ歌から「老いらくの恋」が流行語になる。 (11月30日 – Wikipedia)

川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日 – 1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。住友総本社常務理事。 (川田順 – Wikipedia)

鈴鹿 俊子(すずか としこ、1909年9月18日 – 2008年2月20日)は、日本の歌人、随筆家。川田順の妻。本名・川田俊子。 (鈴鹿俊子 – Wikipedia)

関連エントリ

シルバーラブ の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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老いらくの恋~シルバーラブの日(11月30日)

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老いらくの恋~シルバーラブの日(11月30日)

若き日の恋は、はにかみて おもて赤らめ、壮子時の 四十歳の恋は、世の中に かれこれ心配れども、墓場に近き老いらくの 恋は、怖るる何ものもなし。(川田順)

「樫の実の ひとり者にて 終らむと 思へるときに 君現はれぬ」(川田順)
「はしたなき世の人言をくやしともかなしともなしと思へしが悔なし」(鈴鹿俊子)

「たまきはる 命うれしも これの世に 再び生きて 君が声を聴く」(川田順)
「何一つ 成し遂げざりし われながら 君を思ふは つひに貫く」(川田順)

シルバーラブの日
1948(昭和23)年のこの日、歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出した。当時、川田順は68歳で、3年前から続いていた教授夫人との恋の行く末を悲観して、死を覚悟しての行動だったが、養子に連れ戻された。その後2人は結婚した。 川田が詠んだ墓場に近き老いらくの恋は恐るる何もなしから「老いらくの恋」が流行語になった。(11月30日 今日は何の日~毎日が記念日~)

川田順
川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。 1939年、和子夫人を脳溢血で亡くす。1944年から、元京都帝国大学経済学部教授・中川与之助夫人で歌人の鈴鹿俊子(中川夫妻は既に3子をもうけていた)の作歌指導にあたる。川田と中川は旧知の間柄であったが、俊子に「新古今集」研究の手伝い等をつとめてもらう中で、川田と俊子の交際は人目を忍ぶ仲へと発展、俊子との仲は中川の知るところともなる。川田は俊子との別れを中川に誓うが、結局逢瀬に再び身をやつすこととなり、1948年8月、中川夫妻は離婚に至る。しかし川田は自責の念に苛まれたことなどから、同年11月30日に家出、12月1日に亡妻の墓前で自殺を図った。一命をとりとめたが、川田が家出の際に谷崎潤一郎たち友人に宛てて遺書を、新聞社に告白録などをそれぞれ送っていたことから、自殺未遂の顛末が報道され、俊子との交際が公になり、いわゆる“老いらくの恋”として騒がれることとなる。翌49年に川田は俊子と結婚、再婚後は京都から神奈川県に転居、俊子の2人の子を引き取って同居生活を送った。(川田順 ー Wikipedia)

鈴鹿俊子
鈴鹿 俊子(すずか としこ、1909年9月18日 – 2008年2月20日)は、日本の歌人、随筆家。川田順の妻。本名・川田俊子。 京都生まれ。同志社女子専門学校(のち同志社女子大学)中退。京都帝国大学教授(経済学者)中川与之助と結婚。1942年「ハハキギ」に入会。1944年から川田順に師事するが恋となり、1948年川田は苦しんで自殺未遂を起こし「老いらくの恋」として世間を騒がせるが、中川が離婚を承諾し、1949年結婚。女人短歌会会員。(鈴鹿俊子 ー Wikipedia)

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今日(11月30日)は、シルバーラブ(老いらくの恋)の日
http://masaokato.jp/2011/11/30/001242

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「老人とuta」の音楽療法講座

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伊賀音楽療法研究会(三重県伊賀市)から「世界と日本の音楽療法情報」が送られてきました。

音楽療法講座 のニュースブログ(Google 検索) 

「老人とuta」の音楽療法講座 の全文を読む

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「秋刀魚の歌」(佐藤春夫)1921

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佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 – 1964年(昭和39年)5月6日)は、近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。 1920年(大正9年)6月から10月にかけて中国の福建や台湾に旅行する。1921年(大正10年)に『殉情詩集』を発表し、小説家、詩人として広く認められる。(Wikipedia

「秋刀魚の歌」
さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか。

「秋刀魚の歌」(佐藤春夫)1921 の全文を読む

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今日(11月30日)は、シルバーラブ(老いらくの恋)の日

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今日は、シルバーラブ(老いらくの恋)の日。1948年11月30日、日本の著名な歌人(66)が弟子の大学教授夫人(39)とともに家出。1949年結婚。66歳の歌人が詠んだ歌から「老いらくの恋」が流行語になる。

今日(11月30日)は、シルバーラブ(老いらくの恋)の日 の全文を読む

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2010年11月の美幌町の配食サービス

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写真: おでんと鍋焼きうどん(日本) サムゲタン(韓国・北朝鮮) 火鍋(中国)

美幌町の配食サービス事業は美幌町社会福祉協議会(社会福祉法人)が実施している。高齢者、身障者、自力で調理のできない方などに食生活の充実と安否の確認が目的です。

美幌町の配食サービス内容: 宅配は週2回(火曜/金曜、15:30ー16:00)、料金は400円(所得によって200円)。現在の利用者は58人、宅配のボランティアは63人。火曜日の調理はハローランチ鳥十、金曜日の調理は(株)丸大 大西パン店

2010年11月の美幌町の配食サービス の全文を読む

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