オホーツク海 の検索結果: 83 件

留辺蘂短歌会 歌会詠草一覧

留辺蘂短歌会 歌会詠草一覧

関連記事

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会 九月歌会詠草
愛などの言の葉知らず暮しけむ今日は夕餉を深くねぎらう 寺沢武男
養蜂の巣箱を襲ふスズメバチ中に入れぬと騒然の舞 渡辺正男
真夜中にトイレにおきて足もつれ壁にぶつかり背中が痛む 荒井一子
ひ孫来て枝豆穫りに夢中なり姿が見へず呼ぶ声に「ハーイ」 伊藤光枝
手術後の経過は良しと眼科医が兄は「まぶしい」と破顔一笑 小池信子
青空がいいね元気がうれしいねそよ風の中テニスも楽し 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会 八月歌会詠草
九十を過ぐれば明日は知らねどもさや豌豆の種を採りゐる 寺沢武男
早朝にサボテンの花たば咲きに喜び束の間猛暑でしをれ 渡辺正男
今年また胃カメラ検査早いなあ異常がなくて安堵するわれ 荒井一子
陽が照るも風は秋かな心地よし草取りはかどり頑張れる朝 伊藤光枝
大声で姉の名を呼ぶ仲の良い元気な義兄が夏の夜に逝く 小池信子
伸びゆきて百合の花芽の膨らみし竹木を添えて倒るを防ぐ 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌会
留辺蘂短歌会 六月歌会詠草
ひさびさの庭木の手入れ疲れきて座して憩へばすずらんの花 寺沢武男
ペダル踏み重く進まぬ向かひ風帰路は快適ねぎ畑抜ける 渡辺正男
チューリップ今日にも散りゆく風にゆれ楽しみに待つ次の花まで荒井一子
朝明に今日の天気はと空ながめ友よりの新茶味はひうれし 伊藤光枝
ワクチンの接種終えてひと安心戴きものの冷えたワインを 小池信子
をちこちに花々咲きて彩りて我が家の庭の春は賑やか 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会 四月歌会詠草
朝刊を配る踏みあとうつすらと眩しく光る明けの淡雪 寺沢武男
出会ひから共に歩みし六十年強く生きると遺影に誓ふ 渡辺正男
春うらら花壇のゴミが目だつ時期ひときわ目をひく福寿草咲く 荒井一子
ひ孫来て手紙差し出し「ハイばあちゃん」得意な笑顔で返事待ちをり 伊藤光枝
カルテ見て「変わりないかい」と医者が聞く「まあいいでしょう」と優しい言葉 小池信子
採りたての野生のワサビ食卓にピリット辛し晩酌すすむ 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会三月歌会詠草
一椀に足るる朝餌にあれこれと添へて気づかふ妻に生かさる 寺沢武雄
潮満ちて湖に流れ入る流氷(こおり)避け羽を休めるコガモの群れが 渡辺正男
すこしでも若く見せたい女心白髪かくしてピンクのブラウス 荒井一子
昼食にいただきますと手を合はせ教えられてはひ孫をほめる 伊藤光枝
逢いたいと思いはあれどコロナにて逢えないままに恩師旅立つ 小池信子
未曾有なる大震災の様相を忘るまじきと語り部は繋ぐ 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会ニ月歌会詠草
それなりに生きて九十誕生会祝ふる子等の笑ひ弾ける 寺沢武雄
たくさんの衣類片づけ戸惑ひぬ写真に残る服で手止まる 渡辺正男
丑の人一般的にのん気ものいつもマイペース我もその一人 荒井一子
流氷がオホーツク海に来たと言ふ我が家の家の前は雪解けて春 伊藤光枝
楽しめる趣味はあれどもコロナにて我が身守りつワクチンを待つ 小池信子
「麒麟がくる」大河ドラマを観終へし夜しばし心は明智なりたし 荒木正憲

伝書鳩文芸 短歌
留辺蘂短歌会一月歌会詠草
新しきシェーバーの音かろやかに撫でみる指の今朝の洗面 寺沢武男
コロナ禍に翻弄されし子年去りたとえば丑のごときと詣でる 渡辺正男
貯金箱あつめておいたつり銭は孫の年玉にすべて吐き出す 荒井一子
「おめでたう」ひ孫にっこり頭さげクルット腰かけ急ぎ靴ぬぐ 伊藤光枝
筆さばき上手に出来ぬ我なれど寿大学祭(だいがくさい)に初展示する 小池信子
初酒の香り満たして妻に言ふ「今年もよろしくお願ひします」 荒木正憲

関連サイト

留辺蘂短歌会の連絡先 0157-42-2195(荒木)

関連エントリー

ゆかりのある三歌人(富太郎、茂吉、直吉) – 美幌音楽人 加藤雅夫

老いらくの恋~シルバーラブの日 – 美幌音楽人加藤雅夫

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北海道網走市のウミウ?カワウ?

北海道網走市のウミウ?カワウ?

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連載 カワウは悪者? ㊤ 2020/09/18掲載(網走市/社会・本誌連載) 網走で増加傾向 / 今年、網走市にある車両販売店の関係者らから、会社に駐車してある車への鳥の“糞被害”に悩んでいる-という声が本紙記者に寄せられた。実際、本紙網走支店の事務所駐車場の車も糞被害に何度も遭った。この現象をきっかけに調べてみると、カワウの存在が浮上した。網走市内でカワウは増えており、漁業被害も出ているようだ。(大)
“糞害”に憤慨「犯人は誰だ」 カワウの存在が浮上 近年は漁業被害も
■夕方の黒い鳥 「また、やられたよ。昨日、洗車したばかりなのに」。記者の知人男性は愛車をながめては、ため息をついた。記者は今夏、鳥の“糞被害”に嘆く市民の声をとても多く耳にした。実際、記者の自家用車もかなりの回数で糞を落とされた。本紙網走支店の事務所は市内大曲地区にある。近くには網走川、網走湖がある。記者は“糞被害”を機に、夕方になると網走支店事務所の上空を飛んでいく黒い鳥が気になり始めた。観察を続けると、黒い鳥はたいてい十数羽で編隊を組み、網走湖方面からオホーツク海方面へ飛んでいくことがわかった。鳥の姿からカラスではないことは確かだった。
■カワウ研究会 記者はまず、日本野鳥の会オホーツク会支部のメンバーでもある知人男性に事情を説明した上で、黒い鳥について聞いてみた。答えはすぐに見つかった。カワウであった。ただ、“糞被害”の犯人はカワウかどうかは判明しなかった。知人男性は、北海道カワウ研究会を紹介してくれた。さっそく、取材を開始した。
■道内で増加傾向 カワウの国内での繁殖地は青森県以南から九州とされる。しかし、同研究会によると、2000年代に入って初めて北海道で繁殖が確認され、「その後は道内各地に分布が広がり網走港の個体数も増えています」(同研究会メンバー)。北海道での増加理由は後述するが、網走のカワウは網走港の防波堤で繁殖しているそうだ。3月下旬に網走に飛来し、7月ころまで子育てをし、11月上旬以降は本州へ渡ると思われている。カワウは主に魚を食べる水鳥で、本州では内水面での漁業被害が問題になっているという。網走でも昨年、藻琴湖の定置網にいたニシンが被害に遭った。
次回は、市内での漁業被害の詳細や本州での糞被害などについて紹介する。
(オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

連載 カワウは悪者? ㊦ 2020/09/24掲載(網走市/社会・本誌連載) 網走で増加傾向 / 近年、網走でも増えているとされる水鳥カワウ。前回の記事で紹介した糞被害の“犯人”はカワウと断定できないが、市内の漁業者は被害に遭っているようだ。もともとは北海道で繁殖していなかったカワウ。専門家に聞くと、国内のカワウは以前、絶滅の危機にあった水鳥であった。 絶滅の危機、保護され急増…駆除へ 人間の都合に翻弄され
■ニシン食べられる? 網走のカワウは厄介者なのだろうか? 車などへの糞被害については明確な根拠がなく、カワウの仕業とは断定できない。しかし、漁業被害は実際に起きているようだ。市水産漁港課によると、昨年に藻琴湖に設置した定置網のニシンが何者かに食べられた。前例のない事態に漁業者らは困惑。同課が関係機関などに相談したところ、犯人はカワウである可能性が高まった。漁業被害と直接関係しないが、網走の水産業に詳しい男性は今年、驚くべき光景を目にした。カワウがサクラマスを丸ごと口に入れている姿を目撃したのだ。「見たときは『えっ!』と思いました。驚きました」と振り返る。
■本州では 北海道カワウ研究会によると、本州の内水面ではカワウによる漁業被害が問題になっている。北海道では現時点で問題にはなっていないようだが、網走市の“ニシン事件”を踏まえると、今後、何らかの事態が起こりうるとも考えられる。また、本州の市街地にある繁殖地では“糞被害”が報告されている。ひょっとすると、本紙記者が耳にした糞の話題は、カワウによる問題の序章なのかもしれない。
■人間の勝手? 同研究会は貴重な情報を記者に教えてくれた。カワウの“歴史”である。日本のカワウは1970年代に絶滅しかけた。絶滅を避けるため保護活動が進められた結果、個体数が増えた。しかし、その後、急激に増加したために漁業被害が深刻化し、今度は一転して本州各地で駆除が盛んに行われた。
■行動パターン 網走においてのカワウの行動パターンはどうなっているのだろうか。同研究会に聞いてみた。カワウは主に魚を食べる水鳥で「日中に行動し、夜は繁殖地、もしくはねぐらの網走港で寝ています」。カワウの行動範囲は一般的に15~20㌔程度と言われており、「網走港から20㌔以内の主に湖で食事をしているようですが、調べていないので詳細はわかっていません」
もともと北海道にはいなかったカワウ。市民からの“糞被害”の情報をきっかけに、カワウの生態や絶滅・保護・駆除といった過去を知ることができた。(大)
(オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

カワウ – Wikipedia

ウミウ – Wikipedia

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北海道北見市 PCR検査センターについて

北海道北見市 PCR検査センターについて

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北見市PCR検査センター開設 2020/08/25掲載(北見市/社会) 26日、新型コロナの検査体制強化 / 検査費無料、ドライブスルー方式で / 新型コロナウイルス感染の有無を調べる北見市PCR検査センターが26日、市内に開設される。従来の北見保健所による検査に加え、北見医師会が運営する同センターでの新たな検査体制が整った。 同センターは、道から委託された同医師会が市の支援を得て運営。検査方法は、被検者が車に乗ったまま検体採取を行うドライブスルー方式で、感染リスクが少なく、効率的に検査できるメリットがある。検査費用は無料で、1日当たり最大10人程度の検査が可能。センターの場所については、プライバシー保護の観点から非公表としている。 検査の流れは、息苦しさや強い倦怠感、高熱などの症状がある場合、医療機関に連絡。診察した医師が検査が必要かどうかを判断する。センターで採取した検体は札幌の民間検査機関に送られ、2日ほどで結果が判明する。 開設日は平日の月、水、金曜日の午後2時~午後4時で完全予約制。(柏) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

北見市PCR検査センター 2020/08/08掲載(北見市/社会) 8月中に設置 / 全国的に新型コロナウイルス感染症が拡大する中、8月中にも北見市内に感染の有無を調べる北見市PCR検査センターが設置される運びとなった。北海道から業務委託を受けた北見医師会は準備が整い次第開設させる予定で、作業を急いでいる。 北見医師会 ドライブスルー方式を採用 医療機関の負担軽減、感染リスク低下に期待 医師が必要と判断した場合のみ検査実施 / 現在は北見保健所の「帰国者・接触者相談センター」が連絡を受けて医療機関が診察と検体採取を行い、民間の検査機関または保健所が検査する流れ。検査センターが整備されることで新たな検査系統が加わり、医療機関などの負担軽減や感染リスクの低下が期待される。 市内に設置される検査センターは、車に乗ったまま検査を受けるドライブスルー方式。検査に伴う感染リスクが少なく、被検者ごとに換気や消毒をする必要がないため効率的に行えるメリットがある。 検査の流れは、息苦しさや強いだるさ、高熱などの強い症状がある場合、かかりつけ医などの医療機関に連絡。診察した医師が必要と判断した場合のみ検査が行われる。検査対象エリアは当面、同医師会管内(北見市、置戸町、訓子府町)としているが、状況に応じて対応を判断するという。 センターへは原則、被検者が自らマイカーなどを運転して移動する。本人が車を運転できない場合は医師と保健所が対応を検討するという。センターの場所はプライバシー保護などの観点から非公表。医師、看護師、車の誘導係など6人が常駐し、平日の月、水、金曜日に開設。検査費用は無料で、1日あたり最大10人前後の検査が可能という。 採取された検体は民間の検査機関に送られ、2日ほどで結果が判明。陰性の場合は医療機関を通じて本人へ連絡。陽性の場合は、保健所が本人への告知と入院調整を行う。 同保健所は「北見地方も陽性患者がいつ出てもおかしくない状況で、今のうちに検査体制を整えておくことが大切」。開設準備を進める同医師会は「今後はクラスターのほか、新型コロナとインフルエンザの同時発生という事態も想定される」と気を引き締めている。(柏) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

8月に北見市PCR検査センター開設へ 2020/07/22掲載(北見市/社会) 北見医師会 ドライブスルー方式を採用 / 北見医師会が運営する「北見市PCR検査センター」が8月中にも北見市内に開設される運びとなった。当面は同医師会管内(北見市、置戸町、訓子府町)を対象エリアとし、医師が必要性を認めた場合にドライブスルー方式で検体採取を行う。 医師が必要と判断した場合のみ検体採取 完全予約制、場所は非公表 / 道が同医師会に検査センターの運営を委託し、北見市も財政面などの支援を行う。20日に北見市役所で同医師会の吉田茂夫会長、オホーツク総合振興局の橋本智史局長、辻直孝北見市長が出席して合同記者会見が開かれた(写真)。 同センターの検査は原則、かかりつけ医などの医師が必要と判断した場合にのみ、完全予約制で行われる。対象者は軽症または症状が安定し、自家用車で移動できる人。センターの場所はプライバシー保護や風評被害防止の観点から非公表としている。 患者がマイカーに乗ったま検査を受けるドライブスルー方式とし、検査方法は状況に応じて鼻の奥から粘液を採取する方法または唾液採取で実施。センターでは検体の採取のみを行い、検査と判定は民間の検査機関が担う。検査費用は無料。センターは医師、看護師など5人体制となる見通しで、開設日は月、水、金曜(祝日を除く)の週3回とする。 吉田会長は「2次感染を防ぎつつ安定的な検査が可能となり、クラスターなどが発生した場合、早期に多数の検査をするのに有効」と説明。橋本局長は「一日も早い検査体制の強化が必要」、辻市長は「開設に向け、市としても最大限の支援をしていきたい」と述べた。(柏) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

来月 北見にPCR検査センター / ことし2月に開かれた展示会で新型コロナウイルスの集団感染=クラスターが発生した北見市で、再び感染が拡大した際に備えて来月、オホーツク海側では初めてのPCR検査センターが開設されることになりました。 これは北見医師会と北見市、道が20日に共同で会見を開いて明らかにしました。 北見市に新たに設置されるPCR検査センターは、来月中の開設を目指しています。 道から委託を受けた北見医師会が運営し、北見市は施設を設ける土地や事務を行う職員を提供します。 検査対象は医師が必要性を認め、比較的軽症で自家用車で検査施設まで来られる人で、車に乗ったまま検査する「ドライブスルー方式」で行います。 検査は月曜・水曜・金曜に午後2時から午後4時まで予約制で行い、1日に10件程度行う予定で、予約をせずに訪れる人がないよう詳しい場所は非公表とされています。 北見医師会の吉田茂夫会長は「第2波、第3波、クラスターが発生した場合、早期の診断が非常に重要で、センターを設置し多くの検査ができることは極めて有効だ」と話していました。 北見市の辻直孝市長は「東京を中心に感染者数が増えている。市民の安心安全を確保し地域医療を守りたい」と話していました。 道が業務を委託して開設されるPCRセンターはオホーツク海側では初めて、道内では6か所目となります。 (来月 北見にPCR検査センター|NHK 北海道のニュース)

関連サイト

北見医師会のホームページ

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PCR検査センター の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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網走川流域の会の活動について

網走川流域の会の活動について

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網走川流域対策、一体的に 2020/02/18掲載(網走管内/社会) 大空で推進宣言・署名式典 / 網走川流域の津別、美幌、大空、網走の4市町と国、北海道の関係機関は13日、流域の水害対策などに一体となって取り組む推進宣言をした。大空町教育文化会館で署名式典が行われた。網走開発建設部によると、道内では1時間に30㍉を超える雨が降る回数が30年前の約1.9倍に増加。網走川流域でも過去にはんらんや土砂流出、農地崩落などで農林水産業に被害が発生してきた。推進宣言は「人命や財産、産業の安全・安心の確保」をうたい、地域一体で流域の流量を抑制する方策や、土砂流出や農地崩落、環境保全、意識向上の取り組みの推進を掲げている。先行して取り組むべき対策では、河道掘削や河道内樹木の維持管理による治水安全度の向上、植樹による土砂流出の抑制と関係者の意識向上、土砂流出個所予測マップによる農地保全を挙げている。式典では、網走川流域の会の新谷哲也会長が「流域連携への軌跡~農業と漁業から始まった連携」と題して基調講演。4市町の首長らがあいさつし、首長と各機関の代表者が推進宣言に署名した。(浩) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

網走川 日本の河川 / 網走川(あばしりがわ)は、北海道オホーツク総合振興局管内を流れ、オホーツク海に注ぐ一級河川。網走川水系の本流である。 名称の由来 / 先住のアイヌからは、「リンナイ」(波の沢)という名で呼ばれていた。近現代では、網走地方を主に流れる川として「網走川」と呼ばれている。 流域 / 網走郡津別町、美幌町、大空町、網走市の1市3町を流域とする。 各自治体と農漁業団体などでつくる「網走川流域の会」が環境保全などを目的に活動している。きっかけは、2001年9月の台風で濁流が網走湖や河口付近を襲い、漁業(シジミ、ホタテなど)に大きな被害が出たこと。網走市と網走、西網走の2漁協が協議会を設立して上流を調査したところ、各地で農地や山林が崩落していることが原因と判明。国土交通省北海道開発局の協力も得て、崩落対策のほか河川清掃、子供向け啓発を行っている。環境改善により、鮭の遡上が増えるなどの効果が出ている。 (網走川 – Wikipedia)

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北海道地方2月~4月 / 向こう3か月の天候の見通し

北海道地方2月~4月 / 向こう3か月の天候の見通し

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札幌管区気象台が発表 2020/02/05掲載(その他/社会) 向こう3カ月予報 / 気温が高い傾向続く 降水量はほぼ平年並み / 札幌管区気象台が1月24日に発表した北海道の3カ月予報によると、全道的に気温が高い傾向が続き、オホーツク海側の降水量はほぼ平年並みの見込み。毎月下旬に向こう3カ月の気温や降水量など天候見通しを発表している。全道の気温は期間を通して高い確率が50%、平年並みが30%、低い確率が20%で、特に2月が高い見込み。オホーツク海側の降水量は期間の平均として、多い確率と少ない確率がそれぞれ30%で平年並みの確率が40%。「北からの寒気の影響を受けにくく、向こう3カ月間の平均気温は高い見込み。また、アリューシャン低気圧が平年より弱く、冬型の気圧配置が弱い。偏西風が日本付近で北に蛇行し、南からの暖かい空気が流れ込みやすい」などと解説している。オホーツク海側の月別の天候は「2月と3月は冬型の気圧配置が平年より弱く、平年と同様に晴れの日が多い見込みで、4月は高気圧と低気圧が交互に通過し、平年と同様に天気は数日の周期で変わるでしょう」と予報している。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

向こう3か月の天候の見通し 北海道地方 2 月~4 月 – 札幌管区気象台のホームページ

札幌管区気象台のホームページ

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北海道地方3か月天気予報(12月~来年2月)

北海道地方3か月天気予報(12月~来年2月)

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北海道の3カ月予報発表 2019/11/29掲載(その他/社会)札幌管区気象台 比較的暖かな冬に / 降水量は平年並か少ない見込み / 札幌管区気象台は25日、北海道の3カ月予報(12月~来年2月)を発表した。この期間の平均気温は「平年並」または「高い」確率がともに40%で「低い」確率は20%。厳しい寒さにはならず、比較的暖かな冬になりそう。冬型の気圧配置が平年より弱く、オホーツク海側の降水量は平年並か少ない見込みだ。上空の偏西風が日本付近では平年より北を流れるため、全国的に寒気の南下は弱い。アリューシャン低気圧の日本付近への影響は弱く、冬型の気圧配置は長続きしない見込みと解説している。オホーツク海側の天候見通しは次の通り。【12月】平年に比べ曇りや雪の日が少ないでしょう。気温は平年並または高い確率ともに40%で低い確率は20%。【来年1月】平年に比べ曇りや雪の日が少ないでしょう。気温は平年並または高い確率ともに40%で低い確率は20%。降水量は平年並または少ない確率ともに40%で多い確率20%。【2月】平年と同様に晴れの日が多いでしょう。気温は高い確率が40%で低い確率は30%。降水量は多い確率と少ない確率がともに30%。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

関連サイト

向こう3か月の天候の見通し 北海道地方 12 月~2 月 (札幌管区気象台のホームページ)

網走地方気象台のホームページ

札幌管区気象台のホームページ

北海道地方 3か月予報 – 気象庁のホームページ

関連エントリ

北海道地方天気予報 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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1897年(明治30年)5月15日 屯田兵の野付牛村開庁 (北海道北見市)

1897年(明治30年)5月15日 屯田兵の野付牛村開庁 (北海道北見市)

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北見の開拓史に新事実 2019/11/12掲載(北見市/歴史) 屯田兵の野付牛村開庁「1897年5月15日」 北見・68歳男性 / 北見市在住の元北見市職員・68歳男性が北見の屯田兵の歴史を調査し、野付牛村(北見市)に第四大隊本部、野付牛村と湧別村に中隊本部が開庁されたのは1897(明治30)年5月15日だったとした。公文書を確認したことによるもので『北見市史』にこの記載はなく、男性は「北見の屯田兵の歴史にとって、すごく重要なこと。成果をまとめて出版したい」と話している。 旧陸軍の公文書で確認…北見市史には記載なく 屯田兵の歴史にとって重要、成果を出版できたら 屯田歩兵第四大隊による雪中行軍の記録も / 屯田歩兵第四大隊本部が野付牛村に、中隊本部が野付牛村(3カ所)と湧別村(2カ所)の計5カ所に開庁された日は『北見市史』に1897(明治30)年5月としか記載がなく、何日かは不明だった。 男性は、第七師団長男爵・永山武四郎が陸軍大臣子爵・高島鞆之助に宛てた報告書で、大隊本部と中隊本部5カ所の開庁が97年5月15日と確認。 軍の命令系統の最高機関である参謀本部は当初、屯田歩兵第四大隊を野付牛村に配備する計画はなく、96年と97年に湧別村に二中隊二個を配備する予定だったことも確認した。 また、湧別への屯田兵配備について、93年12月に永山武四郎屯田兵司令官(※この年は第七師団長男爵ではなく、屯田兵司令官)が参謀総長・熾仁親王充てに報告した『明治二十八年二十九年両年ニ於ケル屯田兵移殖地』の中で、96年に二中隊を湧別村に配備し、大隊本部も根室から湧別村に移転する計画だったことを確認。 参謀本部は土地が確保されれば97年にも二中隊、都合四中隊を湧別に配備することを計画しており、北見市への配備計画はなかったとした。97、98年に北見、湧別に屯田兵配備が決定される以前に、湧別単独配備が計画されていた。?参謀本部は屯田司令官の報告をもとに95、96年の配備について陸軍省と協議するが、陸軍省は94年2月、湧別は遠く交通が不便で経費にも懸念があるとし、最終的に参謀本部は94年4月、湧別配備を取り消している。 しかし、男性は同年11月の北海道毎日新聞に、常呂原野(野付牛原野・ムカ原野)と湧別原野に屯田兵を配備するため測量が行われているとの記事を発見。 これは97、98年の配備を前提とするもので「1894年の日清戦争で8月に朝鮮半島・遼東半島を制圧、9月に平壌を陥落、また黄海海戦により制海権をほぼ掌握したことにより戦争賠償金を見込み、陸軍省は湧別の屯田兵配備にゴーサインを出したのではないか」と推測する。 また、北見に屯田兵を配備することになったのは「湧別に二中隊二個、都合四中隊を移植するほどの土地がなかったことと、北見は湧別とともに北海道庁の鉄道予定幹線に組み込まれていたこと、つまり、鉄道を軍事的に利用することが当時の参謀本部の既定路線であったことも影響しているのではないか」と推測する。 そのほか、屯田歩兵第四大隊による雪中行軍が97、98年に計2回行われ、初回(97年12月24日~98年1月9日)は三輪光儀大隊長を含む19人、2回目(2月14日~3月3日)は三輪大隊長を含む58人が旭川の永山兵村を往復した記録を確認した。 陸軍大臣に提出された雪中行軍報告書には、行軍中の日誌や参加者の氏名、積雪深度などの気象状況、駅逓での食事内容、浴場の有無、各士官らに与えられた特別任務の報告などさまざまな事項が詳細に記述されていた。 「冬季に中央道路を第七師団本部に向かう場合に必要とされる装備などに加え、おにぎりが凍ってしまって食べられなくなることへの対処法、宿泊先での食事は平素の食事より良かったため、行軍終了後に太った兵卒が多かったことなど面白いことも記載されています」と目を輝かせる。 雪中行軍の記録は膨大で四百数十コマになり「従来、湧別中隊だけで行われたとされた雪中行軍は、実は屯田歩兵第四大隊を挙げての一大事業。参加人数こそ違うが、199名が死亡した青森・弘前連隊の八甲田雪中行軍遭難事件に先立つ5年前に行われていたということです」と話している。 さらに、屯田兵を全国から海路で運んだ武陽丸と武州丸についても、「商船三井社史資料室に確認して明らかになった新事実がありました」と男性。 「私は単なる好事家。趣味の範囲で地方史を調べているが、今回の屯田歩兵第四大隊の沿革などについては、公文書などの一次資料に基づいている。今後も、確実な資料を調査し、北見市の歴史的事実を後世に残したい」と話している。(匡) (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

屯田兵(とんでんへい)は、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士とその部隊である。1874年(明治7年)に制度が設けられ、翌年から実施、1904年(明治37年)に廃止された。 (屯田兵 – Wikipedia)

北見市 日本の北海道の市 / 北見市(きたみし)は、北海道オホーツク総合振興局にある市。オホーツク海沿岸から石北峠まで東西約110キロメートル (km) に広がっている。北海道(ただし、北方領土である択捉島などを除いた場合)で一番広い地方公共団体(日本国内では高山市、浜松市、日光市に続く4番目の広さ)である。 概要 / 「北見」の名の由来は、明治政府から国名を諮問された松浦武四郎が「この地を従来から北海岸と唱えてきたので北の文字を用い、カラフト島が快晴の日には見えるので、北見としてはどうか」と進言したことによる。旧北見市市制施行前の名称「野付牛」(のっけうし)は、アイヌ語の「ヌプンケシ」(野の一方の端)に由来している。 歴史 / 年表 / 明治時代 / 1897年(明治30年):北光社移民団112戸が北見に入植し、北光社農場開設。屯田兵597戸が端野・野付牛・相内・湧別に入植。網走支庁開庁。常呂村戸長役場から野付牛・生顔常村を分離し、野付牛外1箇村戸長役場設置(旧北見市の開基)。 (北見市 – Wikipedia)

関連サイト

ヌプンケシ93号 野付牛外一箇村戸長役場開庁月日は? – 北見市のホームページ

市史編さんニュース ヌプンケシ目次 | 北見市のホームページ

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屯田兵〜家族のみた制度と生活(北見市の歴史) – 美幌音楽人 加藤雅夫

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北海道 北見市の人口について

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北見市の人口 2019/11/09掲載(北見市/社会) 10月末は11万6865人 / 前月比15人増加 / 北見市の10月末の人口は11万6865人で前月比15人増加した。 10月の社会増減は転入275人に対し、転出209人で66人増加。自然増減は出生60人に対し、死亡112人で52人減少した。その他で1人増加した。 男女別内訳は男性が5万5507人で17人増加、女性は6万1358人で2人減少した。 (オホーツクの日刊フリーペーパー経済の伝書鳩)

北見市 日本の北海道の市 / 北見市(きたみし Kitami)は、北海道オホーツク総合振興局にある市。オホーツク海沿岸から石北峠まで東西約110キロメートル (km) に広がっている。北海道(ただし、北方領土である択捉島などを除いた場合)で一番広い地方公共団体(日本国内では高山市、浜松市、日光市に続く4番目の広さ)である。 総人口 116,848人(住民基本台帳人口、2019年9月30日) 人口密度 81.9人/km2 人口に対する焼き肉店の割合が2018年時点で道内最多である。 (北見市 – Wikipedia)

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広報 | 北見市のホームページ

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北見市最新人口統計 | 北見市のホームページ

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北見市の人口 の検索結果 – 美幌音楽人 加藤雅夫

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北海道北見市の広報紙(広報きたみ)について

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北見市 日本の北海道の市 / 北見市(きたみし)は、北海道オホーツク総合振興局にある市。オホーツク海沿岸から石北峠まで東西約110キロメートル (km) に広がっている。北海道(ただし、北方領土である択捉島などを除いた場合)で一番広い地方公共団体(日本国内では高山市、浜松市、日光市に続く4番目の広さ)である。 概要 / 「北見」の名の由来は、明治政府から国名を諮問された松浦武四郎が「この地を従来から北海岸と唱えてきたので北の文字を用い、カラフト島が快晴の日には見えるので、北見としてはどうか」と進言したことによる。旧北見市市制施行前の名称「野付牛」(のっけうし)は、アイヌ語の「ヌプンケシ」(野の一方の端)に由来している。 (北見市 – Wikipedia)

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広報(市民の声をきく課) | 北見市のホームページ

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網走の四季 (秋)

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網走の四季 2019/10/24掲載(網走市/話題) 写真愛好家らのナイスショット【秋編】 山と海、川と湖を抱える網走市。豊かな自然が演出する四季折々の素晴らしい風景を、市内の写真愛好家らによるナイスショットを通じて紹介します。今回の〔秋編〕で連載終了です。 鏡橋と網走川 / 網走川と空(新橋から) / 網走川(大曲から見る) / 網走市営球場の白樺並木 / 網走湖畔呼人浦キャンプ場の夕景 (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)

網走市 日本の北海道の市 / 網走市(あばしりし Abashiri)は、北海道にある市。オホーツク総合振興局所在地。地理オホーツク総合振興局東部に位置し、オホーツク海に面している。丘陵地が多く、市街地は網走川河口付近とその南側に続く海岸段丘上の平地にある[1]。北西部に能取湖、中部に網走湖、東部に濤沸湖があり、内陸部は森や農村地帯が広がり、市域は「網走国定公園」の一部となっている。美岬にあるヤチダモの木は「森の巨人たち百選」に選定され、濤沸湖は2005年(平成17年)に「ラムサール条約湿地」に登録された。能取湖や濤沸湖のサンゴ草(アッケシソウ)群落は秋になる湖岸を真っ赤に染め、卯原内のサンゴ草群生地は「日本紅葉の名所100選」に選定されている。 (網走市 – Wikipedia)

関連サイト

あばしりの四季 – 網走市役所ホームページ

オホーツクの四季「 秋 」 |網走開発建設部 – 国土交通省 北海道開発局ホームページ

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