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2019年 北海道の道東都市シルバー合唱団交流演奏会 (最終回)

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2019年 北海道の道東都市シルバー合唱団交流演奏会 (最終回)

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道東都市シルバー合唱団交流演奏会 2019/09/06掲載(北見市/行事・文化) 26年の歴史に幕 / 第26回道東都市シルバー合唱団交流演奏会最終回が1日、北見芸術文化ホールで開かれた。長年培ってきた交流の歌声で、26年続いた演奏会の歴史を締めくくった。 中高年のコーラス愛好者の交流を目的に、平成6年に始まった。各都市持ち回りで実施してきたが、団員の高齢化とともに移動が困難になり、今回が最後になった。 参加したのは釧路シルバーコーラス、あばしりシルバーコーラス、根室コール・スワン、北見シルバー混声合唱団の4団体。それぞれ合唱を披露したほか、最後の合同合唱では、出演者全員がステージへ。「翼をください」「かあさんの歌」など各団体が1曲ずつ選んだ4曲を合唱。染み入るような歌声に、来場者は多くの拍手を送った。(菊) (オホーツクのフリーペーパー経済の伝書鳩)

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ジャクリーン・ケネディー・オナシス(Jacqueline Kennedy Onassis)について

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ジャクリーン・ケネディー・オナシス(Jacqueline Kennedy Onassis)について

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5月19日 忌日 / 1994年 ジャクリーン・ケネディー・オナシス (米:ケネディ米35代大統領の妻) <64歳> Jacqueline Kennedy Onassis (5月19日 今日は何の日~毎日が記念日~

5月19日 忌日 / 1994年 – ジャクリーン・ケネディ・オナシス、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ夫人。(5月19日 – Wikipedia

ジャクリーン・リー・ブーヴィエ・ケネディ・オナシス(Jacqueline Lee Bouvier Kennedy Onassis、1929年7月28日 – 1994年5月19日)は、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの夫人。1961年から1963年までアメリカのファーストレディであった。(ジャクリーン・ケネディ・オナシス – Wikipedia

Jacqueline Lee Kennedy Onassis (née Bouvier /ˈbuːvieɪ/; July 28, 1929 – May 19, 1994) was the wife of the 35th President of the United States, John F. Kennedy, and the First Lady of the United States from 1961 until his assassination in 1963. (Jacqueline Kennedy Onassis – Wikipedia

ジョン・フィッツジェラルド・”ジャック”・ケネディ(John Fitzgerald “Jack” Kennedy、1917年5月29日 – 1963年11月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。第35代アメリカ合衆国大統領。在任中の1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された(ケネディ大統領暗殺事件)。名前のイニシャルをとってJFKと呼ばれることも多い。ケネディの家族 / 36歳の時に結婚。ジャクリーン・ケネディ(1929〜1994) ジャッキー。3人の子どもが生まれた。しかし1人は2日後に死去。キャロライン・ケネディ(1957〜 )。ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア(1960〜1999) ジョンジョン。パトリック・ブービエ・ケネディ(1963)。(ジョン・F・ケネディ – Wikipedia

John Fitzgerald “Jack” Kennedy (May 29, 1917 – November 22, 1963), commonly referred to by his initials JFK, was an American politician who served as the 35th President of the United States from January 1961 until his assassination in November 1963. Kennedy served at the height of the Cold War, and much of his presidency focused on managing relations with the Soviet Union. A member of the Democratic Party, Kennedy represented the state of Massachusetts in the United States House of Representatives and the United States Senate prior to becoming president. (John F. Kennedy – Wikipedia

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美幌峠周辺の観光ルートの魅力を探る 美幌観光物産協会

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美幌峠周辺の観光ルートの魅力を探る 美幌観光物産協会

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美幌峠周辺でスノーシュートレッキング 美幌観光物産協会 / トレイルルート実現へ美幌峠~藻琴山間を調査 屈斜路湖中島がよく見えるポイントも / 美幌観光物産協会は11日、美幌峠周辺でスノーシュートレッキングを行った。協会などが目指す「屈斜路カルデラ外輪山トレイルルート」の実現に向けた調査で、藻琴山方向に往復約7.2キロを歩き、ルートの魅力を探った。「屈斜路カルデラ-」は、いずれも屈斜路湖の外輪山に位置する津別峠~美幌峠~藻琴山間約20キロを結ぶトレイルルート。阿寒摩周国立公園が国の国立公園満喫プロジェクトに選ばれたのを機に、美幌、津別、大空の3町の観光協会などでつくる美幌地区三町広域観光協議会(会長・三坂重弘美幌観光物産協会会長)が実現を目指している。この日のトレッキングは実現に向けた調査の一環。観光物産協会職員と美幌町内の「新町ゆうげるクラブ」の会員ら4人が美幌峠から藻琴山方向を散策した。美幌峠や藻琴山と異なる方角からの景観やダケカンバなどの植生、高低差などをチェックしつつ、約4時間かけて往復7.2キロを歩いた。折り返し付近では、樹木などにさえぎられることなく屈斜路湖の中島が間近に見られる地点も。協会の事務局長は「今回歩いたルートは高低差が50メートル前後で比較的平坦。幅広い年代の方が歩けるはず」と話した。三町の協議会は今後、6月の藻琴山開きに合わせて藻琴山周辺を調査。夏から秋にかけて美幌峠周辺の植生調査を計画するなどルート確立への取り組みを続ける。(浩)(2018年3月15日の記事 経済の伝書鳩

美幌地区三町広域観光協議会 屈斜路外輪山トレイルルート確立に向け調査 / 10月に30周年記念式典 / 美幌、津別、大空の3町の観光協会などでつくる、美幌地区三町広域観光協議会(会長・三坂重弘美幌観光物産協会長)の定期総会が27日、美幌グランドホテルで開かれた。20人が出席。30年度事業計画では、新たな観光資源として藻琴山-美幌峠-津別峠間の「屈斜路カルデラ外輪山トレイルルート」の確立に向け、5月に津別峠~美幌峠間を踏査するほか、6月の藻琴山開きに頂上付近を調査。夏から秋にかけて美幌峠周辺の動植物の生態を調査する。また、協議会が昭和63年10月の設立から30周年を迎えることから、記念式典を行うほか、記念誌を発行する。式典は10月26日を予定している。このほか、3町のまつりの抽選会に特産品を提供することなどが承認された。三坂会長は「トレイルルートの実現や30周年記念事業、各町のイベントの協力体制に力添えを」と呼び掛けた。(浩)(2018年3月31日の記事 経済の伝書鳩

津別峠~美幌峠の縦走踏査 美幌地区三町広域観光協 / トレイルルート整備目指し 約10キロを楽しみながら4時間かけて ルートが秘める可能性実感 / 美幌、津別、大空の観光関係機関でつくる、美幌地区三町広域観光協議会(会長・三坂重弘美幌観光物産協会長)が4月27日、屈斜路湖外輪山に位置する津別峠から美幌峠まで約10キロの縦走踏査を行った。協議会が実現を目指して本年度、本格的に着手した津別峠-美幌峠-藻琴山間の「屈斜路カルデラ外輪山トレイルルート」整備の一環。美幌、津別の協議会メンバーら11人が参加した。一行はスノーシューを着けて津別峠を出発。右手に屈斜路湖、はるか前方に藻琴山を眺めながら外輪山を歩いた。この日のルートで最も標高が高い974メートルの「サマッカリヌプリ」や、コース上に植林が行われた津別スキー場跡、ダケカンバなどたくましい木々、雄大な景色が広がる美幌峠牧場など見どころも多く、楽しみながら踏査した。約4時間かけて美幌峠に到着。参加したメンバーは「距離は長いが、楽しく歩くことができた」とルートが秘める可能性を実感していた。一方の美幌峠-藻琴山間は、3月に美幌観光物産協会が一部を踏査したほか、協議会が6月にも藻琴山付近の踏査を計画している。(浩)(2018年5月3日の記事 経済の伝書鳩

屈斜路湖(くっしゃろこ)は北海道東部、弟子屈町にある自然湖である。日本最大のカルデラ湖で、全面結氷する淡水湖としても日本最大の面積を持つ。昭和9年、全域が阿寒国立公園に指定された。人間史と観光 / 江戸時代の探検書・古地図には「クスリ・トー」(アイヌ語で温泉、薬の湖の意)と書かれていた。その後、釧路川源流付近にあったコタン名「クッチャロ」(喉・口、湖からの流出部の意)から現在の「屈斜路湖」となった。冬季には、2月になると全面結氷し総延長5-10km程度の日本最大級となる鞍状隆起現象 御神渡り が形成される。1970年代には、謎の生物クッシーの棲む湖として話題となった。伝説 / 昭和50年代(1975年から1985年頃)に大きな影が遊泳する様子や湖面の波紋が立て続けに目撃され、この湖に巨大な未知の生物が棲んでいるという噂がテレビなどで取り上げられた。ネッシーにならってクッシーと名付けられた。とはいえ、酸性が強いこの湖に大型水生生物が存在する可能性は無いとされる。(屈斜路湖 – Wikipedia

クッシー(Kussie)は、北海道屈斜路湖で1973年から目撃証言のある未確認生物(UMA)。有名なイギリスのネス湖に生息するネッシー(Nessie)に倣って名付けられた。目撃証言以外にも、湖面の波紋などが幾つかの写真にも納められているが、正体は不明とされている。湖面の美しい屈斜路湖における神秘性の高い話題として、地元では観光資源の一つともなっている。日本の未確認巨大水棲生物でもイッシーと並びかなりの知名度を誇る未確認生物だが、2000年代以降は目撃されることがほとんどない。(クッシー – Wikipedia

阿寒摩周国立公園(あかんましゅうこくりつこうえん、英称:Akan-Mashu National Park )は、北海道にある国立公園。2017年の「阿寒国立公園」からの名称変更に伴い、摩周湖・神の子池周辺まで区域が拡がり、1市10町に跨る総面積9万1000ヘクタールとなった。概要 / 北海道で最も歴史ある国立公園の1つであり、大雪山国立公園、日光国立公園、中部山岳国立公園[9]、阿蘇国立公園(現在の阿蘇くじゅう国立公園)とともに指定された。公園区域の大部分が亜寒帯性の針葉樹林を中心とする天然林で被われており、原始的な姿を留めている。阿寒湖、屈斜路湖、摩周湖の3つのカルデラがあり、火山と湖が幾つも近接している地形は日本国内で貴重なものになっている。中でも屈斜路湖は周囲57km、面積79.7km²ある日本国内最大のカルデラ湖になっている(中島も周囲12km、高さ355mあり、湖中島としては日本国内最大の規模になっている)。歴史 / 1906年(明治39年)の北海道国有未開地処分法に基づき、薩摩生まれの官僚で山梨県知事も務めた前田正名が阿寒湖畔の土地約3,800ヘクタールを取得して前田一歩園を設立した。当初は耕作と牧畜植林に供する目的のため農場・牧場の経営に乗り出したが、阿寒湖一帯の美しさに魅せられて「この山は切る山ではなく、観る山にすべきである」と観光地への発展を見越していた。正名は「前田家の財産はすべて公共事業の財産とす」という家訓を遺して1921年(大正10年)に他界するが、次男の前田正次と妻の光子によって引き継がれて1983年(昭和58年)に財団法人「前田一歩園財団」が設立し(2012年に一般財団法人になる)、自然環境の保全と適正利用などに努めている。(阿寒摩周国立公園 – Wikipedia

スノーシュー(英: snowshoe)とは、雪の上を楽に歩くための雪上歩行具のひとつ。西洋「かんじき」。素材はおもにプラスチックとジュラルミン。ワカンよりもサイズが大きいため、浮力が強くラッセル能力が高いというメリットがあるが、狭い場所が歩きにくく、持ち運ぶ際にかさばって重い(2kg程度)など、デメリットもある。ワカンやスキー、アイゼンなどを用いるより手軽に雪上の歩行を楽しむことができることから、近年ではスノーシューを履いて雪上を歩き、自然に親しむことを目的としたツアーが各地で行われている。(スノーシュー – Wikipedia

トレッキング(英語:trekking)は、山歩きのこと。登頂を目指すことを主な目的としている登山に対し、トレッキングは特に山頂にはこだわらず、山の中を歩くことを目的としている言葉。ただし、結果的に行動の過程で、山頂を通過することもある。ニュージーランドでは、トランピング (tramping) と呼ばれている。(トレッキング – Wikipedia

美幌峠(びほろとうげ)は、北海道網走郡美幌町と川上郡弟子屈町の境にある国道243号の峠。オホーツク総合振興局と釧路総合振興局の境界にもなっている。概要 / 1920年(大正9年)開通[1]。阿寒国立公園内にあり、眼下には日本国内最大の火山湖(カルデラ湖)である屈斜路湖のパノラマが広がっているほか、阿寒の山々が一望できる景勝地でもある。美幌峠は、東西29 km、南北20 kmの規模がある屈斜路湖のカルデラの外輪山の西縁に位置する標高525 mの峠である。屈斜路湖から吹き上げる風を遮るものがないことから、パラグライダーやハンググライダーなどのスカイスポーツが行われる。周辺 / 峠の頂上部には道の駅ぐるっとパノラマ美幌峠があり、あげいもやクマザサ(熊笹)を使ったメニューなどがある。標高525mの美幌峠展望台は眺望スポットとなっている。(美幌峠 – Wikipedia

関連サイト

美幌峠からみた屈斜路湖 – インターネット自然研究所 – 生物多様性センター

ぐるっとパノラマ美幌峠 – 北の道の駅

美幌峠ライブカメラ | 美幌町ホームページ

美幌峠 | 美幌町ホームページ

阿寒国立公園広域観光協議会のホームページが公開されました | 美幌町

美幌観光物産協会 公式ホームページ

美幌観光物産協会 – ホーム | Facebook

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美幌観光物産協会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

美幌地区三町広域観光協議会 の検索結果 ー 美幌音楽人 加藤雅夫

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第21回 北海道 道東都市 シルバー合唱団 交流演奏会

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第21回 北海道 道東都市 シルバー合唱団 交流演奏会

21th Hokkaido eastern city Silver Choir exchange concert

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12月13日、聖ルチアの日。(Saint Lucy’s Day)

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聖ルチア祭 (Sancta Lucia、または聖ルチアの日)は、キリスト教の聖人聖ルチアの聖名祝日を祝う行事で、12月13日に行われる。 クリスマスの始まりを告げるアドベント(待誕節)と同時に行われる。 16世紀にグレゴリオ暦が改訂されるまで、聖ルチア祭は北半球の冬至の日だった。 祝祭: スカンディナヴィア諸国: スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランドでは、12月13日に一家の子供の中で年長の少女が祝祭に参加する。少女は聖ルチアに扮してロウソクの冠を被り、ロウソクを手に持ち、同じ扮装をした少女たちと一緒に行進する。ロウソクは、生命を奪うことを拒む、火の象徴である。少女たちはナポリ民謡『サンタルチア』のメロディーを歌いながら部屋へ入ってくる。 行進はクリスマス・キャロルや、そのほかのルチアの歌を歌う。(wiki/聖ルチア祭

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今日の音楽、「ドビュッシーのシランクス」(8月22日)

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クロード・ドビュッシー
クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 – 1918年3月25日)は、フランスの作曲家。 幼少期: ドビュッシーは1862年8月22日の午前4時半にイヴリーヌ県のサン・ジェルマン=アン=レーに生まれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・ドビュッシー

ルイ・フルーリー
ルイ・フルーリー(Louis Fleury, 1878年 – 1926年)は、フランスのフルート奏者。 クロード・ドビュッシーからフルート独奏曲《シランクス》を献呈されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ・フルーリー

シランクス
『シランクス』(フランス語: Syrinx)は、クロード・ドビュッシーにより1913年に作曲された無伴奏フルート作品。19世紀末から20世紀前半に活躍したフランスの名フルート奏者、ルイ・フルーリーに献呈された。 シランクスとは、ギリシャ神話のニンフにしてアルテミスの従者、シュリンクスの名をフランス語読みにしたものである。彼女は牧神パンに一目惚れされてにじり寄られ、恐怖に駆られて逃げ惑ううちに葦に姿を変えたと言い伝えられている。パンはその葦を手折って葦笛シュリンクスパンフルートを作り、自らのトレードマークとした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/シランクス

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スペースシャトルコロンビア号空中分解事故 2003年2月1日

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2003年2月1日、STS-107スペースシャトルコロンビア号がテキサス州上空で空中分解事故。乗員7名が全員死亡。(コロンビア号空中分解事故)

Space Shuttle Columbia disaster (コロンビア号空中分解事故)
コロンビア号空中分解事故(コロンビアごうくうちゅうぶんかいじこ)は、2003年2月1日、アメリカ合衆国の宇宙船スペースシャトル「コロンビア号」が大気圏に再突入する際、テキサス州とルイジアナ州の上空で空中分解し、7名の宇宙飛行士が犠牲になった事故である。コロンビアは、その28回目の飛行であるSTS-107を終え、地球に帰還する直前であった。(Wikipedia

スペースシャトルコロンビア号空中分解事故 2003年2月1日 の全文を読む

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ナルシソ・イエペス記念館

私の心の恩師で旧友のナルシソ・イエペスに捧ぐ
"Tribute to Narciso Yepes" Masao Kato in Bihoro

Narciso Yepes
ナルシソ・イエペス 1927.11.14ー1997.5.3
イエペスは4歳の時に初めてギターに触れ、ロルカの音楽アカデミーで
ギターを学び、その後バレンシア音楽院に進んでギターや作曲を学んだ。

ナルシソ・イエペス記念館 の全文を読む

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心の糧に

心の糧になる素晴らしい音楽をすべての人々と分かちあいたい!
音楽は生きた心の財産です。それは人間だけに与えられた心の糧です。音楽を深く楽しめることは本当に幸せです。人に希望と勇気も与え、愛を育て、社会にうるおいをもたらします。
私達はよい音楽を運ぶメッセンジャーになりたい。番人にはなりたくない。心の糧となる音楽を感動をもって語るプロフェッショナルになりたい。与えるのではなく育てる人になりたい。そして誰もが価値ある音楽をおう歌し、共に楽しみ、心の文化と機械の文化の歯車が美しくかみ合うユートピアを実現したい。

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美幌峠 クッシーおじさん

北のロマンー謎と伝説の湖・屈斜路湖(くっしゃろこ)

私は屈斜路湖の美しさと、クッシーとネッシーの姉妹愛をいつまでも育んでやりたい。華麗な舞を披露する白鳥とともに、クッシー物語には北国の夢とロマンがあります。遠い異国スコットランドに住むネッシーと、この道東の風土にひそむクッシーが互いに呼びあい、便りを交わしあっていることに、私は深い感動を覚える。生きとし生けるもの誰でも永遠の平和と静けさを望み安住の地を捜し求めている。だから、心ない探検者たちの追及にさらさせることがあってはならないのです。美幌町 前川市治郎  (美幌峠) (ネス湖) (オホーツク文化)

クッシーとネッシーの姉妹愛「私のクッシー物語」美幌町 前川市治郎

阿寒国立公園には、ご承知のように三つの火山湖があります。いずれも原始のままの美しさを、そのままソックリ現在に残しておりますが、またともに伝説の湖として今もなお語りつがれております。阿寒湖にはマリモの悲恋物語があります。摩周湖の火の山にまつわる哀しい話は、今年も旅する人に熱い涙を流させることでしょう。
さて、屈斜路湖には、いつ解けるともしれない深い謎に包まれた秘められた物語があるのです。
それはそれは、ずいぶん昔のことであったといいます。何千年、何万年、いいえそれどころてはないんです。もっともっと気の遠くなるほどの大昔であったといいます。そのころの地上の世界は、今より水がきれいに澄んで山にも野にも緑があふれ、その中にたくさんの動物たちが棲み、自由に平和に暮らしていたということであります。その頃のあの動物たちは、その後、永い永い年月の間にどのように進化したのでしょうか。また退化したのでしょうか。今地上に現存しているものはないといわれております。ただ時折り、深い土の中から、化石になった大きな骨格の破片が発見されては、わずかに当時を想像させるにすぎません。その時代の天上の世界も、実にすばらしかったといいます。
夜ごと夜ごとの星は、今よりももっともっと鮮やかに輝いて、そのまたたく音も地上では降るようにも聞こえたといわれております。

その星空に、女王星と呼ばれてサファイヤのようにきらめく、五つの光ぼうを放つ一際美しい星がありました。その夜も、平和に更けていよいよ華やかな夜半になろうとする時でした。突然、天体に大きな異変が起こったのです。女王星もはげしくゆれました。その振動が更に強くなった一瞬です。それまで美しく輝いていたサファイヤ色の光ぼうが二つ女王星を離れたのです。二つの子星は並んでどこかへ落ちてゆきます。どこへ行くのでしょうか。どうやら地球に向かっているようであります。そして地球に近づくと、その一つは西へ西へと流れて、現在のスコットランドのネス湖へ。もう一つは東へ東へ流れて北海道の屈斜路湖へ。ともに蒼白い光の尾をひいて、湖底深く沈んだということであります。

 

大地が大きく裂けて。その裂け目に水を湛えたような断崖に囲まれたネス湖に、間もなく怪獣の噂が流れました。人々はその怪獣を「ネッシー」と呼んで、あの星屑の化身だと思っていたそうであります。
一方、火山の陥没によってできたというわが屈斜路湖でも、やがて湖畔の人々の間に怪獣の噂がささやかれました。誰いうとなく「クッシー」と呼んで、あの星の子だと信じて疑うものはなかったといわれております。そして、この話は親から子へ、子から孫へと語りつがれていったということであります。
さて、天上の世界から湖底の生活と急変した「クッシー」は、孤独の寂しさにたえかねて、波静かな日は湖面に自分の姿をうつして見るのでした。けれども変わりはてた我が身の醜さを嘆くでもありません。このように産み落とした親を恨むでもありません。不しあわせな運命を呪うでもなく、夜ごと美しい星空を見上げては、ただひとり物思うときが多かったといいます。
何を思い、何を考えていたのでしょうか。物をいわない「クッシー」の心を、私は詩にしてみました。

    (一) 昔むかしの 大むかし
        そのまた昔の大むかし
        夜空に星が かがやいて
        二つ流れて 落ちたとさ

    (二) スコットランドの湖と
        日本の北の みずうみに
        サファイヤ色の尾ひいて
        二つ流れて 落ちたとさ

    (三) 誰から受けたこの身やら
        いつ迄生きるさだめやら
        千年ひそむ 屈斜路湖
        いつか呼名もクッシーさ 
      
               「ネッシーとクッシー」 唄 田中星児・ビクターレコード

さて、屈斜路湖をめぐる四季の移り変わりは早いものであります。四月の末なると、張りつめていた厚い氷が解けて、岸辺の水がぬるみ太古のままの草花が一斉に咲きます。その楽しさも短く、見上げる外輪山や中島が緑一色に衣をかえた夏も束の間、澄んだ湖面に月影が砕け、やがて枯葉が浮かび、間もなく白鳥が三羽、五羽と数を増してゆきます。氷の下での冬眠の時期がまたやってくるのです。
クッシーとネッシーは、いずれが姉か妹かは知るすべもありませんが、今は地球の裏と表の湖底を棲み家として、再び会うことの許されない孤独の寂しさからでしょうか。かって女王星の子として、共にきらめき合った華やかな天上の夜の懐かしさからでしょうか。互いに便りを交し合い、慰め合い、はげまし合っているのだといわれております。こころみに夜更けの屈斜路湖の空をごらんください。しきりに西へ流れる星を見ることができます。あの星は、クッシーの便りを持って遠くスコットランドのネス湖へ、そしてネッシーに届けられているのだということであります。折り返すように西風が吹いてまいります。美幌峠の笹原をサッサッと波打たせながら、湖心へ吹きおろしてゆくあの西風に、ネッシーからの返事が次ぎつぎに、届けられているのだということです。クッシーはきっと湖面に首をのばして、風音の一つも聞き漏らすまいと、聞きいっていることでしょう。このようにして星と風との便りは、摩周岳の空に暁の明星が輝くころまで、夜を徹して妹いとし、姉恋しとつづけられているのだということです。

さて、かって天上の華と、うたわれたあの女王星は、二つの小星を地球へ落として以来その光も色もあせて、今はどの星座を探しても見つけることできません。
でも、クッシーとネッシーの身を案じながら空のどこかで見守りつづけ、寂しくまたたきつづけているのだといわれております。そして、地上の人々の「ネッシーとクッシー」の唄声が聞こえますと、またたきを忘れ、目をうるませて聞き入っているのだとも、いわれております。
どうか皆さんもこの歌を唄ってやって下さい。クッシーとネッシーのために。そして今はおとろえた母星のためにも。
田中星児さんは更に唄いつづけます。 

    (四) 花よ青葉よ 月かげよ
        白鳥くれば また冬よ
        暗い湖底で 春をまつ
        ネッシーあなたはどうしてる

    (五) 西へ流れる お星さま
        私の思いを つたえてよ
        ネス湖のたよりは西風が
        吹けばくるだろ
        とどくだろう

                「ネッシーとクッシー」 唄 田中星児 ビクターレコード

二人の天文愛好家から貴重な写真を戴きました
高知県 高知市/関勉 (コメットハンター)
北海道 美幌町/円舘金 (星ドロボウ)
http://masaokato.jp/info/astronomer

北海道美幌峠(屈斜路湖)の、クッシーにまつわる話。Kusshii  クッシー   Nessie  ネッシー  

クッシーの話題が私どもの耳に入ったのは昭和47年の7月末頃だったのです。
北見市立北中学校の遠足で藻琴山(標高1,000メートル)から屈斜路湖を眺めていた生徒が、湖上を波を切って走るかなり大きな物体を発見して大騒ぎになったんです。新聞は各社がペンを揃えて怪獣発見の見出しも大きく報道しましたし、テレビもショッキングな話題として取り上げ、ある局はその後1ヶ月間も湖畔にカメラを据えつけて取材にあたったほどです。誰がつけたのかその怪獣をクッシーと呼んで近郷近在どころではなく全国的な話題として、噂の輪が拡がっていったんです。

でも私はこの話を聞いてそのまま素直に受入れることはできませんでした。然し全く否定する根拠も持ち合わせておりません。ともあれ現地へ行って聞いてみよう、あわよくばこの目で見たいものだと、湖畔へ出かけたのです。周囲57キロ、推進130メートルの屈斜路湖はほとんど原始の山や森にかこまれて南側にだけ農村がひらけ人家もまばらです。

 「今までもこんなことがあったのですか」と、この湖畔に生れ、親の拓いた土地で酪農をやっている方にきいてみました。「ええ毎年何回も怪獣は現れていたんですよ」

「なぜ今までこの話が広がらなかったんでしょう」…湖畔で一番お年寄りのおばあさんにきいてみました。そのおばあさんの両親は明治の終り頃開拓者として屈斜路コタンの近くに住んだそうです。初めての土地で生活するので頼りにするのはコタンのアイヌの人達で、魚の獲り方や、熊から身を守る方法など何でも親切に教えてくれたそうです。そして「この湖水には大昔からとても大きい恐ろしい形のヌシがいるんだ。もし見ても黙っている人にはかかってこないから騒いではだめだよ。そのことを人におしゃべりしてもならない。きっと異変が起きるのだから」と強く戒ましめられたそうです。このように見ても見ぬふり、聞いても聞かぬふりでその戒めを守っていたということです。それでも時々地震が起こってその度に、「誰かが禁を破ったのではないか、障らぬ神にたたりなしだぞ」と人々の口は更に固く閉ざされたと語って「それにしても今度の騒ぎはあまりにも大きく何事もなければね」と顔をくもらせました。

私はこのあたりが地震の多いことはかねてから知っておりました。隣町の美幌に住んで、その度にそば枕をくっていたからです。地震の原因はこのあたりの地底を千島火山脈が走っているので温泉も多く火山性の地震に揺られることも又やむを得ないと思っていたのですが、クッシーは長い間濡れぎぬをかけられていたことがわかりました。「おばあちゃん、クッシーは決して人に迷惑をかけるようなヌシではないんだよ。地震はこんなわけでこれからも時々はあるかも知れんけどそれはクッシーには関係ないんだよ。そしてクッシーは湖畔の人々にかわいがられて、いつまでも長生きしたいと一生懸命生きているんだよ」とクッシーに体する誤解を解くことに努めたんです。

私はその頃スコットランドのネス湖にすむというネッシーに関するものなら新聞、週刊誌、単行本、と何でも読んでいました。そしてネッシーに関する記録と、屈斜路湖畔できいたいろいろの人の証言とがあまりに似ていることが多いのにびっくりしました。ネッシーに関するものは1400年くらい前から残されていました。お伽ばなしの域を出ないような証言ですが様々な話が残されています。クッシーについても何か残されていないのだろうか、もしあるとすればユーカラの中にでもと思い図書館へ行きました。文字を持たなかったアイヌ民族はユーカラを唯一の伝承の方法としていたそうです。浄瑠璃や浪花節のように物語を節を付けて歌い伝えたのがユーカラだそうです。

私が読んでもわかるように解説されたぶ厚い本がありました。日高、十勝、釧路、北見など各地に伝わる話が解説されておりますが、カワウソやキツネ、クマ、フクロウ、キツツキ等にまつわるものが多くクッシーに関すると思われるものは遂に発見できませんでした。ガッカリして隣の本棚を見ると「久摺日誌」と書かれた脊表紙が見つかりました。幕臣松浦武四郎さんが北海道各地の見聞録を書いたものです。松前、石狩、十勝等につづいて釧路を起点としての見聞録が久摺日誌になっていたのです。

1850年頃です。湖畔の屈斜路コタンを足場に物知りのアイヌ人を道案内にして数日間、この附近の地理、気候、住民の生活、風俗など細かな調査の結果が記述されていました。数日間、幕府のお役人松浦のダンナ様と行を共にしたことですからもしアイヌ人が「この湖にはこのような奇怪なことがあります」と、コッソリとでも打ち明けていたなら松浦さんはきっと書きとめられたにちがいないと、丹念に読んだんですがそれらしいことは全く書かれておりませんでした。やはり湖畔の人々はクッシーのことはタブーとしていたのだと、改めて思い直したことでした。

その後も私は、何度も湖畔を訪ねては、いろいろの人に会いクッシーに関する話を聞きました。私がクッシーの資料をあつめているということがわかって、何人かの人からは写真まで戴くことができました。水面に首でしょうか脊中でしょうかその一部を現して相当のスピードを思わせる長い航跡を残して遊泳しているのがハッキリ写し出されています。何分にも3キロ、5キロの距離で咄嗟に望遠レンズも充分でないままに、シャッターを押しているのですから不鮮明はやむを得ませんが、貴重な資料として大切にしております。

その後湖畔のアマ写真家たちは我もわれもと、制度のいい望遠レンズを用意して手具脛を引いておられるということですし、観光客の中にも望遠レンズを持った方が多くなったそうです。

こうして屈斜路湖での調査と並行して、私は附近の湖水についても一度調べてみました。すぐ近くに摩周湖や阿寒湖、網走湖やサロマ湖などたくさんありますが、これらの湖に屈斜路湖のクッシーの遊泳のような現象が起きるのだろうか。もし似たようなことでもあればと調査をしたのです。然し他の湖にはそんなことは全然ないということがわかりました。

こうしたことを踏まえて「クッシー物語」を作ったのです。クッシーはこの美しい屈斜路湖を生涯安住の棲家として、湖畔の人々に愛されながら、いつまでも生きつづけたい、そして遥かなネス湖のネッシーとの便りを交し合いたいという願いだけは誤り伝えられたくないと私もまた願っております。 美幌町 前川市治郎 

(2007年 秋 美幌町 加藤雅夫)
前川
市治郎さん(ビホロホテル経営) 1907明治40年1月15日生れ、
1999平成11年1月22日死去。今年は生誕100年です。(美幌は開基120年)
前川さんは、美幌を訪れる観光客の皆様に北国の美しい自然を守り育てることの大切さ、心のふれあいの大切さを願ってクッシーとネッシー物語(冊子)を作られました。この度、前川さんの心からの願いを受け継ごうと、サイトにクッシー物語を掲載しました。そして前川夫人(85才)に承諾いただこうとしたら、すでに病気のため亡くなられていました(7月19日)。昨年初夏に訪問した時はとても元気だったのに…残念です。札幌の前川さん(長男)に事情をお話しました。そして快諾されました。本当にありがとうございます。

 

美幌のクッシーおじさん~前川さんとの思い出 
美幌音楽人 加藤雅夫

前川さんはとても静かにお話しをされる方ですが、すぐに温かい心が私を包んでしまいました。心に熱い並々ならない人を愛し、自然を愛し、平和を深く育てようとするものがあるからでしょう。それは美幌町の町風そのもののでもあるかのように一体感で迫ってきて強い印象を心に宿してくれました。クッシーとネッシーの姉妹愛「私のクッシー物語」も、前川さんの理想をすべて出し切って実現したに違いありません。これ以上の本物の物語はないと思います。

23年前の事です、前川さんは「クッシーとネッシーの歌詞を英語に直訳してみました、ちょっと聴いて見てください、だいじょうぶでしょうか?」と言って歌ってくれました。私は『だいじょうぶです!前川さんの心がちゃんと伝わりましたよ。自信もって大きな声で歌ってください』。
ネッシーの棲むネス湖(スコットランドのインバネス市)の事をもっと知りたい一心で、前川さんは努力を重ねて英語の勉強に励んでいたのです。
ある時、米国オハイオ州からやって来た留学生ジェニファー(18)を前川さん宅に連れて行きました。前川さんは英語で歓迎の挨拶をし、五大湖(スペリオル、ミシガン、ヒューロン、エリー、オンタリ)の名を言い、そしてクッシーとネッシーの歌を、大きな声で歌ったのです「ロ~ング ロング ア ゴー ロ~ング ア ゴー」と。
留学生ジェニファーの大きな目には涙が溢れていました…。

今頃、あのジェニファーは、オハイオ州の美しい川のほとり、栃ノ木に囲まれた家の中で母親として子供たちに、クッシーとネッシー物語を語り聞かせ、そして歌っていることでしょう。「long long ago long ago」と…。

次回につづく

こちらで、前川さんの肉声朗読が聴くことができます→ クッシーとネッシーの姉妹愛「私のクッシー物語」 http://masaokato.jp/2011/01/15/011505

☆ 美幌音楽人加藤雅夫のお勧めウェブサイトです 2008.4.8 
北海道  美幌峠  屈斜路湖  摩周湖   阿寒国立公園
オホーツク  知床(世界遺産)   女満別空港 オホーツク地方
East Hokkaido 東北海道 Mr.Gon Website
小惑星の名前は北海道 美幌町の円舘金 Kin Emdate (小惑星ハンター)
        
屈斜路湖物語・丸木舟 Music designer, atuy (Guitarist)
MOSHIRI  LIVE    アイヌ詞曲舞踊団モシリ 心の糧に・リンク集 No.66

宿・花ふらり オーナー 藤原多美(宝塚歌劇団花組・沙加美怜)
花ふらりミニミニコンサートについて LakeMashu(摩周湖)楽友協会

屈斜路原野ユースゲストハウス  主人 山本和之
(食べるエコロジー)鹿料理ランチレストラン屈斜路原野
☆ 山本和之さんからのメールを紹介します 2008.4.8
初めまして、美幌音楽人さん、この度は激励の言葉をいただきありがとうございます。とても嬉しく思いながら貴サイトを拝見させていただき、クッシーにもいろんな挿話があるんだと興味深く読ませていただきました。
鹿料理については、単なるレストランではなく、食べるエコロジーという考え方で運営しております。繁殖しすぎたエゾ鹿の被害はとどまるらず、私達は駆除という形でその害を防ごうとしております。
北海道庁(自然環境課)はこのエゾ鹿をただ駆除するだけはなく なんとか有効利用して人と鹿が良い形で共存できないかと模索しております。その活動に私として何かお手伝い出来ないものかと始めたのが鹿料理のレストランでした。
こちらへお越しいただく機会がございましたら是非立ち寄り下さい。季節の変わり目、風邪など召されぬようご自愛下さい。 益々のご発展お祈りしております。
屈斜路原野ユースゲストハウス  山本和之・マネージャー
url:http://www.gogogenya.com(携帯電話からもアクセス可)TEL/FAX:015-484-2609
〒088-3341北海道川上郡弟子屈町字屈斜路原野443-1
Kussyarogenya Youth Guest House (Hokkaido,Japan)
Parents: Kazuyuki Yamamoto (Mr.), Yumiko Yamamoto (Mrs.) 

☆ かずさん(屈斜路原野ユースゲストハウスだよ~ん!)
昔、サハリン・ポロナイスクで、トナカイ(カリブー)ステーキを食べました。野性味いっぱいで大変うまかった。また食べたいと思っています。エゾ鹿肉も、とても美味しいですね。トナカイの呼称は、アイヌ語ですよ。こんど、サハリン(樺太)ポロナイスク(敷香)トナカイ料理をどうぞ!そして、北方少数民族アンサンブル「メングーメ・イルガ(銀の文様)」と仲良くして来てください。ネス湖のネッシー(スコットランド・インバネス)にも会って見る?
美幌のクッシーおじさん~美幌音楽人 加藤雅夫 Guitarist, Masao Kato

☆ 食品安全について、お知らせ 
生シカ肉を介するE型肝炎ウイルス食中毒事例について
報道発表資料(2003年8月) 厚生労働省HP 
鹿肉を刺身で食べるとE型肝炎に感染するケースがあることが最近、確認されました。手当てが遅れると命に関わる危険性もあります。厚生労働省は、シカ肉の生食は避けるよう呼びかけています。また同省によると、E型肝炎ウィルスは63度・30分以上の加熱によって死滅します。くんせい料理の際もミートサーモ(温度計)を利用してこの温度を確保するなど、細心の注意を払われることをお勧めします。
☆ 社団法人エゾシカ協会HP (北海道札幌市)

☆ レラ・East Wind へようこそ
屈斜路湖畔のペンション クッシャレラ    
風の館 Information Kussha-rera
ペンションクッシャレラは、水と空気がおいしい、阿寒国立公園の屈斜路湖畔に2004年4月にオープンした、オーナーの夢がぎっしり 詰まった3室だけのプライベート感覚のペンションです。屈斜路湖とアイヌ語の風を意味する「レラ」からネーミングしました。そん なわけで、「風の舘」と呼んでください。 
風の展示室 Gallery Kussha-rera  風のたより Photo Letters Kussha-rera 
風の広場 BBS Kussha-rera       アクセス Access Map Kussha-rera
Information of KAZE no YAKATA Kussha-rera.com
"Kussha-rera" is located at the lakeside of Lake Kussharoko in
Akan national forest full of clean water and fresh air. 
Designed and planed heartily with the owner’s dream,
it opened in April 2004 as a resort inn,
and now offers only three guest rooms like a private cottage does.
The inn is named with mixing idea of "Kussha" from Lake Kussharo and
"
Rera" from Aynu language meaning "breeze".
Please call this inn
"kaze no yakata or Inn of Breeze".
*
"Aynu" is the native people who once inhabited Hokkaido.

 

北海道の道北・道東地方(オホーツク)の観光ポイントとアウトドアー、
釣りや渓流と滝巡りのガイドもあります

* 道北の釣りと旅 http://www.kitakaido.com/index.html
  北の大地北海道 ゆっくり走ろう北海道 新しい何かを発見できるかもね
* 道北の釣りと旅・別館 http://hiro239.fc2web.com/ 
* フォトギャラリー・道北の釣りと旅 http://www.kitakaido.com/album/tabi_10.html

 

北海道遺産 神秘の湖 『摩周湖』 弟子屈町(てしかがちょう) Teshikaga, Hokkaido 
* 摩周湖のライブカメラ http://www.masyuko.or.jp/livecam.html 
  摩周湖第一展望台 屈斜路ウォータースポーツ交流公園 アイヌ・コタン 
* 摩周湖のホームページ http://www.masyuko.or.jp/
* Lake Mashu Lake Kussharo Hokkaido, Japan
*  Guide MapLake Mashu Lake Kussharo http://www.masyuko.or.jp/english.html
♪ Akira FuseKirino Mashuko 霧の摩周湖
♪ 布施明(ふせ あきら)「霧の摩周湖」晴天!摩周湖ブルー(マシューブルー)と、
  オホーツクの海と空(オホーツクブルー)が見事です。
     霧の摩周湖おじさん(布施明)と、クッシーおじさん(美幌音楽人 加藤雅夫)は、 
     同年生れの誼みがあります。健康留意、がんばれ。
* ブログ/未来の風 http://blogs.yahoo.co.jp/xmanxjp77  
YouTube – 懐メロ「霧の摩周湖」 
* xmanx77 

北海道ライブカメラ H
* 北海道現風景 北海道各地のライブカメラ画像・映像
自己満足 北海道 http://jiko-hokkai.hp.infoseek.co.jp/index.html
* 北海道ライブカメラマップ/北海道内の地図表示ライブカメラ集 
北海道航空ホームページ http://www.hokkaido-koku.co.jp/index.htm
* 北海道 まるごとウォッチング 
NTT Information LIVE http://www.ilive.hokkaido.isp.ntt-east.co.jp/search.html 
* ライブカム ジャパン 北海道
LiveCam JAPAN http://orange.zero.jp/zad23743.oak/livecam
/  

屈斜路湖まつり「カムイイピリマ」開催のお知らせ 
第1回屈斜路湖まつり「カムイイピリマ~神々の耳打ち~」が2008年10月15日から11月24日まで屈斜路湖プリンスホテルガーデンの屈斜路湖畔特設野外ステージでロングラン開催されます。ステージは毎日午後8時から約40分間。
アイヌ詞曲舞踊団モシリMOSHIRI代表 シノッチャキ房恵) が北海道の先住民族・アイヌ民族の伝統的な精神と唄や踊りを神秘的に披露します。
チケットは1000円。
問合せは:屈斜路湖まつりカムイイピリマ実行委員会(015-482-2200)または、屈斜路湖プリンスホテル(015-484-2111)まで。
Kamui (カムイ) ★ 美幌音楽人 加藤雅夫のコンサート情報 


2008年9月14日、中秋の名月を愛でつつ…どこで何想い、何食べてるのかな? 
経済 株式 食欲の秋より、芸術の秋ですよ!!  渡辺タカコさん。
* 渡辺タカコのPhotoblog http://takakowatanabe.cocolog-nifty.com/photoblog/
* 経済・株式キャスター渡辺タカコのBlog日記 http://takakowatanabe.cocolog-nifty.com/blog/
* 渡辺タカコのHP http://homepage3.nifty.com/takakowatanabe/ 
* 渡辺タカコさんからの祝メール(2008年5月8日)~北海道美幌町出身・佃咲江選手(北京オリンピック日本代表選出)について~加藤雅夫のあゆみ 2008

 

網走支庁あばしりしちょう) Abashiri Subprefecture, Hokkaido 
北海道 網走支庁のホームページ 
オホーツク地域のまち~北海道網走支庁管内
* 北見市きたみ) Kitami, Hokkaido  
北見菊まつりは、全道唯一菊人形展を開催し、菊花展、フラワーロード等、全道一の伝統と規模を誇るまつりです。北見市の歌・校歌
* 網走市あばしり) Abashiri, Hokkaido  
冬のダイナミックな流氷、夏のアウトドア、山海の幸、温泉、感動的風景など多彩な魅力が網走にあります。
* 紋別市もんべつ) Monbetsu, Hokkaido 
紋別市は、都市像を「流氷を開発し心豊かで活力あるオホーツク圏の中核都市」と定め、「流氷研究国際都市構想」のもとに街づくりを進めています。
* 大空町おおぞら) Ozora, Hokkaido  
大空町は、芝桜が有名な町です。5月中旬から6月上旬にかけて、芝桜公園はピンク色のじゅうたんで覆われます。麦の収穫後に植えられるひまわりは、ビートの緑と相まってパッチワーク模様で見る人の心を和ませます。女満別空港。
* 美幌町びほろ) Bihoro, Hokkaido 
美幌町は「長生きを楽しめる町」をコンセプトに、健康で安心・安全なまちづくりを進めています。美幌町叢書・
びほろの唄(うた)100曲。武満徹(たけみつ とおる)作曲・美幌町町歌。團伊玖磨(だん いくま)作曲・美幌農業高等学校校歌。美幌町は「うたのまち」です。歌の町・美幌町
* 津別町つべつ) Tsubetsu, Hokkaido 
津別峠展望台標高947m-からの眺望は道東一とも言われ、週末やシーズンには多く観光客でにぎわいます。
* 斜里町しゃり) Shari, Hokkaido 
「みどりと人間の調和を求めて」長い間、自然を守り育む活動を続け、知床(しれとこ) Shiretoko は世界自然遺産として正式決定、リストに登録されました(2005年7月17日)。
* 清里町きよさと) Kiyosato, Hokkaido 
日本百名山の斜里岳を中心とした大自然に抱かれる清里町は、平成15年花のまちづくり日本一に選ばれました。
* 小清水町こしみず) Koshimizu, Hokkaido 
世界中のゆり100万本が13ヘクタールの敷地一面に咲き乱れる、ゆりの郷こしみず「リリーパーク」。7月下旬から見ごろです。
* 訓子府町くんねっぷ) Kunneppu, Hokkaido 
北海道農業の縮図と称されるまでに様々な農業を展開。農業関連研究施設も集積し、農業資源には事欠かない。
* 置戸町おけと) Oketo, Hokkaido 
14コースを誇る自然の変化に富んだ本格的な「おけとパークゴルフ場」158mの超ロングコースは圧巻。
* 佐呂間町さろま) Saroma, Hokkaido 
雄大なサロマ湖と緑豊かな大地。そこで育ったおいしい味覚。サロマは海と大地の恵みであふれています。
* 遠軽町えんがる) Engaru, Hokkaido 
太陽の丘えんがる公園虹のひろばでは、10ヘクタールもの広大な土地を1,000万本のコスモスが色とりどりに覆います。北海道遺産の「森林鉄道蒸気機関車雨宮21号」、世界の木のおもちゃを集めた「ちゃちゃワールド」など見どころがいっぱいです。
* 上湧別町かみゆうべつ) Kamiyubetsu, Hokkaido 
屯田兵(とんでんへい)が開拓したまち上湧別。チューリップ公園は全国的に有名で、網走管内有数の観光地となっています。*
* 湧別町ゆうべつ) Yubetsu, Hokkaido 
流氷の海オホーツクとホタテの故郷サロマ湖に挟まれた砂州「龍宮台」は四季を通じ大パノラマが楽しめます。
* 滝上町たきのうえ) Takinoue, Hokkaido 
5月上旬から6月上旬にかけて滝上公園一帯に芝ざくらが咲き誇り、10万㎡の大群落を見ることができます。
* 興部町おこっぺ) Okoppe, Hokkaido 
酪農の丘にある「モーモー城」など、生活の場が美しい風景の一端であることを証明する純酪農地帯です。
* 西興部村にしおこっぺ) Nishiokoppe, Hokkaido 
豊かな緑に映えるオレンジの建築物が建ち並ぶ西興部。4大夢施設「森夢リム」「木夢コム」「IT夢アトム」「花夢カム」へ是非お越し下さい。
* 雄武町おうむ) Omu, Hokkaido 
雄武町は、網走管内最北端に位置する漁業と酪農の町で、海浜公園、キャンプ場、温泉(ホテル日の出岬)のある「日の出岬」は、四季を通じ雄大なオホーツクの大自然が満喫できる観光スポットとなっています。
* 北海道網走支庁管内(3市15町1村)、オホーツク地域のまち。 

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